黒部は挑戦の地(黒部名水マラソン前半)
バカ、なめるんじゃない。黒部じゃケガはないって。ミスしたら死ぬしかないんだ。気を緩めるんじゃないぞ。
『黒部の太陽』より
なぜ人間は、多くの犠牲を払いながらも自然への戦いをつづけるのだろう。たとえば藤平たち隧道行工事技術者にしてみれば、水力用隧道をひらき、交通用隧道を貫通させることは、人間社会の進歩のためだという答えが出てくるが、藤平にとって、そうした理屈はそらぞらしい。かれには、おさえがたい隧道貫通の単純な欲望があるだけである。発破をかけて掘りすすみ、そして貫通させる、そこにかれの喜びがあるだけなのだ。自然の力は、容赦なく多くの犠牲を強いる。が、その力が大きければ大きいほど、かれの欲望もふくれ上がり、貫通の歓喜も深い。
吉村昭『高熱隧道』より
先週某日。
出張で広島に行っていたのだが、そのビジネスホテルで『黒部の太陽』を鑑賞する。
いつもならば出張中は酒を飲んだり、会社PCを開いて仕事をしたりするのだが、今回は酒も炭酸ジュースにし、仕事もほどほどに終わらせ、上映会を楽しんだ。
石原裕次郎と三船敏郎。日本を代表する二人の映画スターが、限りない映画への夢を抱いて実現させた世紀のプロジェクト。
昭和30年代、不可能と呼ばれた黒部ダム建設に、文字通り命を賭けた男たちのドラマを、映画演劇人総出演の豪華キャストにより、
かつてないスケールの空前のスペクタクル映画。
上映時間が3時間越えの超大作だった。途中眠くなったりもしたが、その日のうちに最後まで見終えることができた。三船敏郎と石原裕次郎の夢の共演が見られる傑作作品である。CG無しにこの作品を作り上げるのはどれだけ大変だったことだろう?(というか、本当に死者を出してないんだよね……?)
ところで、この映画を出張中に観た理由、それは、6月4日に控えた
黒部名水マラソン
に参加するからであった。
黒部に行くのは初めてであった(というか、富山県自体、初めて足を踏み入れた)。そこで、予習目的で「黒部の太陽」を観たというわけである。
これでばっちり、黒部への興味関心を持つことができました。
――
6月3日。(大会前日)
昼前、前日受付のために、会場の宇奈月温泉に向かう。マラソンは前日受付が多いし、そもそもフルマラソンの開始が9:00なので、前日から現地に入っていないと参加が難しいのである。余談ながら、マラソン前日のホテルは確保が非常に難しく、価格も暴騰する傾向にある。私も泊まる場所がなかなか見つからずに苦労した。
さて、大阪から向かう場合、以下のルートとなる。
新大阪→→(サンダーバード号)→→金沢駅→→(北越新幹線)→→黒部宇奈月温泉駅→→(バス)→→会場
移動中、一冊の本を読む。それは、以下の本。
黒部第三発電所――昭和11年8月着工、昭和15年11月完工。人間の侵入を拒み続けた嶮岨な峡谷の、岩盤最高温度165度という高熱地帯に、隧道(トンネル)を掘鑿する難工事であった。犠牲者は300余名を数えた。トンネル貫通への情熱にとり憑かれた男たちの執念と、予測もつかぬ大自然の猛威とが対決する異様な時空を、綿密な取材と調査で再現して、極限状況における人間の姿を描破した記録文学。
黒部の予習第2弾である。最初に取り扱った『黒部の太陽』が黒部第四発電所(クロヨンダム)ならば、この小説の題材はその前の黒部第三発電所である。
小説ながら、正直『黒部の太陽』よりも恐ろしく、迫真に感じた。トンネル貫通を阻む高熱地獄や泡雪崩など、圧倒的な自然の脅威に立ち向かう人間が勇ましい。
……しかしそれ以上に、閉塞的な環境で、トンネル貫通を何が何でも行わなければならない状況に追い込まれることで、主人公や周囲の人間の人格がみるみる変わる過程があまりにも不気味であった。あくまで資料を基に描かれた作品ではあるが、このような出来事が現実にこの国で起こっていたことを思うと、背筋が寒くなる。
個人的感想だが、フィリップ・ジンバルドー『ルシファー・エフェクト ふつうの人が悪魔に変わるとき』(スタンフォード監獄実験のレポート)や、スタンレーミルグラムの『服従の心理』(アイヒマン実験のレポート)を読んだ時のような、人間の脆さを感じた。
読了後は決して爽やかな気分ではないものの、「いい本を読んだなあ」と思えた。吉村氏の小説は初めてだったが、ほかの作品も読んでみたいなあ。マラソンを通じて、良い出会いができたと感じました。
……あ、そうそう、マラソンの日記でしたね(笑)
15時頃、会場に到着。会場に着くと、一気に感情が高ぶりますね。
そして、この日楽しみにしていたのが、高橋尚子氏のトークショーである。
会場は人でいっぱいでした。Qちゃん、きれいだなあと思ってみていたが、実は私よりも20歳近く離れていることを後で知る。走っている人って、本当に若いですね。
話し方や動作をみていると、すっかりテレビの人って雰囲気だなあ、って感じました。Qちゃんもどんどん変わっていくんだなあーなんて、何様目線で思ったのでありました。
――
会場を後にし、宿泊施設に向かう。
宿泊先のロビーでのんびりしていると、近くに座っていた人に話しかけられる。
年齢30代前半くらいのイケメン男子。まあ、高橋尚子に限らず、ランナーって年齢がわかりずらい人が多いので、あくまで推定ですが。
男性「あなたも明日参加するんですか?」
「あ、はい。そうなんです(笑)」
男性「フルですか?」
「そうですね(へらへら)」
男性「そうですか!お互い頑張りましょう」
その後、お互いのことについてさっくりと話す。話していると、私とは違い、本格的なランナーであることがすぐにわかる。
男性「僕、マラソン始める前は10㎏以上太っていて、これはまずいなあって思って。それで始めたんです。そこからはまっちゃって、今では毎日走ってますね。今だと180日連続ランニング中です(笑)」
「すごい記録ですね。ぼくなんか、平日に1回、土曜日に1回走るのがせいぜいなので……全然練習量が違いますね(笑)意識が足りないですね」
男性「いや、そんなことはないですよ。走る頻度は人それぞれでいいと思いますから。ただ、私は少し病的になってきている気がしますね(苦笑)ところで、今回の目標タイムはどんな感じですか?」
「うーん、前回が4時間15分くらいだったので、できればサブ4(4時間以内)でしょうか?(笑)まあ、練習量があれなので……ひとまず、完走できることを第一に頑張ります(笑)男性さんはどうですか?」
男性「そうですね~いやあ、今回はタイムを少しでも伸ばしたいと思ってるんですが、今回のコースはちょっときつそうですね(苦笑)」
「そうですね。結構高低差がはっきりしていましたからね」
黒部名水カーターマラソンHPより
男性「今のところ、ベストタイムが3時間5分くらいなので、5分縮めてサブ3ってところですかね。これまで、毎回5分ずつ縮めることに成功しているから、なんとか……って感じですね(笑)」
「は、はあはははは。頑張ってください(次元が違う)」
こういう徹底したランナーって、本当にマラソンへの向き合い方がすごいと思いました。ブログを拝見しても、こんな感じの人がわんさかいてびっくりさせられますが、直接会話をしてみると、その意識の高さにもっとびっくりしましたね(笑)
なんというか、彼らは、おさえがたい走ることへの単純な欲望があるだけである。発破をかけて走りすすみ、そしてゴールにたどり着く、そこにかれの喜びがあるだけなのだ。フルマラソンのコースは自然の産物であり、容赦なく苦労を強いる。が、その力が大きければ大きいほど、かれの欲望もふくれ上がり、ゴールの歓喜も深い。
という感じですかね。まあ、あたしゃここまでの境地にはまだまだ程遠いですがね。ただ、こんだけ取り組み方に差があると、かえってすがすがしい気持ちで応援したくなりました(笑)
本番に向けて夜は22時くらいには眠った。
当日は後半に続く。(興味があったらよんでね)
戦の前のひとっぱしり
人間の体は、使えば使うほど丈夫になるし、鍛えれば鍛えるほど強くなっていく。それは、高橋尚子もあなたも同じなのだ。だれもがオリンピックの金メダルを取れるわけではないし、世界最高記録を樹立できるわけではないが、だれもが今の自分より丈夫になれるし、強くなることができる。ランニングを始めることで、自分にはこんなこともできたのかと、きっと驚くことになるだろう。
小出義雄『知識ゼロからのジョギング&マラソン入門』より
自分が一歩でも二歩でも走れば必ず速くなる。
昨日の自分より今日の自分、今日の自分より明日の自分と、いつも自分に挑戦して欲しい。人と比較しないで、まず自分を超えていく。そういう気持ちを持って、毎日一生懸命走って欲しい。
朝。
6時半に起床。カーテンを開けると、見事な晴天がひろがっていることに安堵。夜中に干した洗濯物もすっかり乾いている。
カラダを軽くストレッチし、朝食にバナナ数本とエナジー系ゼリーを食す。
「――さて、いこうか」
8時過ぎ、ランニングウエアで家を出る。
――
いつものランニングコースである河川敷に向かい、いつものように走り始める。ただし、今日はいつもよりも長く走った。
距離的にはもはやフルマラソンであった。最初は好調だったのだが、29㎞あたりから足が一気に痛くなった。さらに、エネルギー不足と水分不足と日射ダメージで満身創痍となり、結局途中から歩いてしまった。……これが俗にいう「30㎞の壁」というやつである(たぶん)。
結局、30㎞地点からほとんどプラプラ歩いてゴールしたため、事実上、30㎞ランだったような気もする。でも、なんとか42.195㎞何とか走りぬいた。
まあ、なにはともあれ、本番前にフルマラソンの距離感を確認できたのは良かったと思います。
あ、本番?
実は、来週こいつに参加してきます。
先週くらいに参加案内が届いた。公式大会でのフルマラソンはこれで2回目。黒部が俺を呼んでいる。当日は高橋尚子氏もスペシャルゲストで参加するらしい。超楽しみ~。
目標は、
前回タイムの「4時間13分」を超えること
……前回の自分、今の自分にとっては結構手ごわいですね。でも、決して勝てない相手ではないと思っております。
ともかく、あと1週間はしっかり体を休め、本番に臨むぜよ。黒部ダム建設の戦士たちに敬意を表しながら、頑張ります。
曇り日の結論
晴れる日、曇る日、嵐の日。人生はお天気そのもの。人の運命はどうなるか分かりません。お天気同様、予測不可能ですよ。
いいかえれば、人生には明確な「結果」があり、そのときになればある行動の意味を最終評価できるという考え方そのものが、都合のいい作り事に等しい。現実には、われわれが結果とみなす出来事も決して真の終点ではない。むしろそれは押しつけられたまがい物の里程標であって、映画の結果が実際にはこれからもつづく物語にまがい物の終止符を打つことであるのと変わらない。そしてある過程のどこに「終わり」を押しつけるかによって、結果から導かれる教訓は大きく異なってくる。
ダンカン・ワッツ『偶然の科学』
金曜日の夜。
テレビを見ながら、何ともむなしい気持ちでいた。花の金曜日だというのに、どうしてこんなにむなしいのだろう?酒のせいか、くだらないバラエティー番組を見ても涙がこぼれる。
自分の気持ちを高めようと、借りてきた『七人の侍』のDVDを観る。だが、今度はこの映画の内容のすばらしさよりも、長すぎる放映時間に疲れを覚える。
気づけばもう23時。前半のDVDが終わる。後半のDVDを観ようか?いや、今日は早めに眠りにつこう。今自分に必要なのは、休息なのだ。
酔いきれぬ頭のまま、私は布団に入った。
――
土曜日
朝。8時30分ごろ。
電話。会社の携帯が鳴る。
土曜日に会社の携帯が鳴る悪夢
かと思ったが、どうやら現実に会社の携帯が鳴っている。
「はい――焼き芋です」
ナタデココ「あ、もしもし、ごめんね、土曜日に」
「あ、ナタデココさんですか。おはようございます」
ナタデココさんは、私が所属する部署の事務職の女性である。
ナタデココ「あれ、まだ寝てた?」
「モーニングコールでした。いい目覚めです」
ナタデココ「あら、それは失礼しました(笑)」
「どうかしましたか?土曜日に電話なんて」
ナタデココ「いや、ちょっと焼き芋君にお願いしたいことがあって」
「はあ」
ナタデココ「実はどうしても今日中にやらなければならない仕事があって――」
「はい」
ナタデココ「仕事内容はコウコウコウコウ――って感じ」
「なるほど」
ナタデココ「――でも、今日はちょっと用があって、対応できないのよ。だから、休日に申し訳ないんだけど……」
「いえいえ」
ナタデココ「……お願いしていい?」
「もちろんです。あたりまえです。承知しました」
ナタデココ「本当に?ありがとうね!」
「いえ、いつも助けていただいていますから。それに今日は特にすることがなかったので」
ナタデココ「じゃあよろしくね!ほんと助かります」
電話を切る。すぐに、お礼のメールがナタデココさんから届いた。これで、「夢を見たたと思っていた」で済ませる選択肢はなくなった。
というわけで、土曜日に急きょ会社に行くこととなった。
仕事内容は決して複雑な内容でない。単純作業であり、誰でもできるものである。ただ、期日が限られているという点で、どうしても土曜日にその仕事を遂行しなければならなかったのである。
休日に仕事をしなければならないことは、私の気分をより一層落ち込ませた――わけではなく、むしろ高揚させた。
先輩社員から仕事を頼まれるというのはうれしいものである。それが別に私じゃなければできない仕事というわけでもなかったとしても(まあ、私にしかできない仕事なんてないですが)。
この時ばかりは、土曜日に何も用事を入れていなかった自分をほめてやった。そして、昨日までモヤモヤしていた悩みはすっかり忘れ、最高に晴れやかな土曜日の朝を迎えた。
シャワーを浴びる。
家を出る。
会社に着く。
仕事を始める。約1時間で終える。
完了した旨ナタデココさんにメールし、会社を出る。
家にそのまま帰る。
――
帰宅。すでに夕方になっている。
携帯を見ると、彼女からの着信履歴があることに気が付く。
「あ、もしもし?」
彼女「あ、おはよう。今起きたの?」
「そんなわけないでしょ?今日は会社に行っていたんだよ、まったくまったく」
彼女「土曜日に会社?なにかあったの?緊急事態?にしては、やけにご機嫌だこと」
「いや、緊急事態といえば緊急事態?まあ、大したことなかったんだけどね。朝、会社の先輩から電話がかかってきたんだよ。それで、どうしてもやらなければならない仕事があるけど、用事があるからできなくなったってことで、俺に急きょ頼んできたってわけ。断るわけにもいかないから引き受けたんだけど、ほんと、まいっちゃうよね(笑)」
彼女「仕事?なんであんたに頼むの?」
「そんなの俺は知らないよ、というか先輩に訊いて?(笑)まあ、先輩からしても、俺が一番頼みやすかったんじゃないの?」
彼女「――へえ、そうなんだ」
「まあ、悪い気はしないよね。先輩から頼られるって。仕事が本当にできないやつには頼まないからね」
彼女「どうして先輩は自分でやらなかったの?」
「だから、土曜日に用事があったんだって。まあ、どうしても誰にも頼めなかったら、その用事も犠牲にするもんだと思うけど、幸いなことに頼める後輩がいたってことなんだろうね。そして、それがボクチンというわけだ」
彼女「へえ」
「まあ、しょうがないよね。まったく、俺も今日はやることがあったんだけど、まあ、しょうがないよね(へらへら)」
彼女「何をやる予定だったの?」
「え?まあ、借りていたDVD観たり、落語聴いたり――あ、英語の勉強したりだよ。もう、本当に忙しいったら忙しいったら」
彼女「私に会いに来るっていう選択肢はないのね」
「え?あ、いや、まあ……え?」
彼女は少し不機嫌な様子。
彼女「はあ、なんだか疲れた。じゃあ、またね」
「……じゃあ、うん、とりあえず。また」
といって、電話を切る。
我が気持ちにモヤがかかる。
――
夜。
英語の勉強を軽くした後、ビールを飲む。まあ、特に達成感もない、ぼんやりとした気分。
(あ、そういえば今日は走っていないなあ……)
土曜日に走るのは我が日課である。仕事とは言え、大切な日課を済ませずにお酒を飲むことにうしろめたさを覚える。
昨日のデジャブのように、なんだか酔いきれぬ気分。気分転換で、借りてきた『七人の侍』の後半を見る。
面白かったけど、なんだかかえって気分が落ち込んだ。
――
日曜日。
この日記をコメダ珈琲で記す。
ぼんやりした日記を書いてしまいました(笑)
でも、こんな日記も悪くない(悪いという人は明日雨になるでしょう)。
あなたの弱いところ
たまに真剣な顔するとこ 話がちょっとオーバーなとこ お化けを怖がるとこ 急に歌いだすとこ ロマンチストなとこ 何かとかっこつけているけど 見栄っ張りだけど 少し猫背な後ろ姿 すぐ分かる歩き方 どんなあなたも好きだよ 好きだよ
あなたの良いところ ダメなところの全てを ありのままに愛せるように 隣にいたい
西野カナ『あなたの好きなところ』
あなたはお世辞にも批判にもとらわれてはいけない。どちらにとらわれてしまっても、それはあなたの大きな弱点となる.
ジョン・ウッデン
あなたの強みと弱みを教えてください
就活生の頃、こんな質問を何度受けたことだろう?今となっては良き思い出である。
学生時分は、面接官に向かって、
はい、私の強みは、どんな立場の人の意見にも耳を傾けることができる点だと思います。学生時代、ほにゃららな経験をし、そこから、自分の意見、自分にとって都合の良い意見だけではなく、不都合に感じる意見や立場が違う人の新鮮な意見を取り入れることの重要性を学びました。今では、できる限り多くの人の意見を聴きながら決断するよう、努めることができます。
逆に弱みは、少し優柔不断なところがある点です。これは強みと通じるところもあるのですが、多くの意見を聴くということは、それだけ決断が難しくなります。この点についてはなかなか難しい部分もありますが、社会人経験を通じながら、よりスムーズな決断ができる人間になっていきたいと思っております。
という言葉がすらすらと出てきたものである。
自慢だが、私は面接が得意だった。得意すぎて、受けた会社のほとんどが、最終面接以外パスしたことである。それが本当に最終面接だったかは不明だが(アメリカンジョーク)。
しかし、どうやら学生時代の「面接」と、社会人になってからの「面接」は、何かが違うらしい――。
――
少し前。
「それでは、よろしくお願いいたします」
上司「はいはい、まあ、気楽にいこうか」
「はい」
上司との面談。最近、自分の上司が変わった。そこで、改めておたがいのことをよく知るために、面談が行われたのであった。
「――」
上司「――」
今自分が携わっている業務について、お互いの意見交換をする。組織の中にいる以上、上司が変われば業務への取り組み方も変わるものである。今回の面談は、そこらへんを柔軟にできるやつどうかを見られているといってもよい(と思う)。
30分ほどし、上司がワンクッション置くために次のような質問をした。
上司「――硬い話はこれくらいにして、焼き芋君は自分自身の『弱み』をどうとらえるかね」
「弱み、ですか?」
上司「そう。弱み。英語に直すとWEAKPOINT。まあ、べつにそこまで重要な質問ではないよ?気楽な気持ちで答えてほしい。私も今後君と一緒に仕事をする上で、君の内面的な部分も知りたいだけだから」
「はあ。うーん……(苦笑)」
すぐに答えが出てこない。むろん、考え込まないと「弱み」が出ないほどの完璧な人間でないことなど、自分が一番よく分かっている。
ただ、このシチュエーションにおいて、どのように己の「弱み」を伝えるのが正しいのかよくわからなかっただけである。この場合、就活生の方がよっぽどうまく伝えられるだろう(良い回答かどうかは別にして)。
上司「ちなみに私は、自分が正しいと思ったことは、簡単に意見を曲げられないところかな(笑)15年前、私が初めて部下を持ったころ――」
上司が話しているのに相槌を打ちながら、私は自分のWEAKPOINTを探す。
上司「……ということがあってね。まあ、なかなか自分の意見を曲げるというのは難しいもんだ。もちろん、今後君の上司として仕事を進めるにあたり、できる限り君たちの意見もしっかり聞いていきたいと思っているから……おっと、すまんすまん、私ばかり話してしまった。それで、焼き芋君のWEAKPOINTは?」
「……そうですね、おそらく、『人付き合いが苦手』というところでしょうか?あんまり社交的な場も得意でないので」
と苦笑いしながら言う。もちろん、嘘を言っているつもりはない。
――だが、上司は今一つ納得いかない様子。
上司「人付き合い?そう?ほかの社員と比較しても、そういう風には見えないけど。例えば、どんな時にそう感じるの?」
「ええっと、なんというか、ノリとか求められる場が苦手でして」
上司「まあ、確かにノリや即興の笑いでその場を盛り上げるようなタイプの人間ではなさそうだが」
「ええ、そういう部分が特に足りないと思います」
上司「……でも、それはWEAKPOINTという感じでもない気がするなあ。人付き合いができない、ということではないんでしょ?できなかったら営業なんてできないだろうしね」
「取引先様との関係は別腹です。仕事ですので。もしもどうしても脱がなければならないならば、頭を切り替えて精いっぱい脱がせていただきます(その場合、即興ではなく、しっかり計画を練って、脱ぐタイミングを計算して脱ぎます)」
上司「そうか。まあ、仕事に支障が出ないなら十分だと思うがね。それに、我々の仕事の場合、一番には誠実さと真面目さが求められるからね。ここら辺は、君は充分にできるようと思うし。ベラベラと言ってはいけないこと言ったり、場当たり次第でいい加減なことを言ったりする人に比べたら、よっぽど人付き合いがうまいと思うよ」
「……そうですね」
上司「我々の仕事は、取引先との長期的な関係構築が求められる。それは夫婦関係も同じだ。夫婦は、ノリや場当たりな言動だけでは継続できないのだ。まあ、君はまだ結婚していないから、実感がわかないかもしれないがね」
「なるほど(まあ、そういう仕事かもね)」
上司「話がそれたけど、まあ、君が社交的だったら、君じゃなくなる気もするし、いいんじゃない?あ、これは誉め言葉だよ?」
「あ、それはありがとうございます。じゃあ……『女性が苦手』ってことですかね」
上司「女性が苦手?あ、そうなんだ。私もあまり得意じゃないけど。でも、女性と話ができないわけじゃないだろ?取引先に女性だっていっぱいいるんだし。それに、君、付き合っている彼女もいるんだろ?」
「はい。でも、なんというか、見知らぬ女性とたわいもない話をするのが苦手で」
上司「そんな機会、そんなにいっぱいあるの?」
「いや、ないですね。考えてみれば」
上司「じゃあ、べつにいいじゃない(笑)」
「そうですね、たしかに」
上司「まあ、プライベートを女性がらみで充実させたいならばべつだが、そうじゃないならそれはWEAKPOINTとはいいがたいね。むしろ女性が好きすぎて溺れているやつを何とかしないといけないからね」
「はあ(それは〇〇さんのことかしら?)……じゃあ、『お金にだらしないってところ』ですかね」
上司「……お金?そうなの?ちょっと意外だなあ。ギャンブル好きとか?」
「いや、ギャンブルはしません。2年くらい前に、パチンコで1000円使ったのが最初で最後です」
上司「じゃあ、女につぎ込んじゃうとか?あ、でも女が苦手なら関係ないか……あれ、あれ、それともそれともコッチが好き?」
「いや、そういうことは(苦笑)今のところ女性が好きです。えっとですね、ちょっと高いものでも、すぐにホイホイ買っちゃうんです」
上司「ほう。じゃあ、最近買った高いものは?」
「ミキサーですかね」
上司「ミキサー?」
「はい。ミキサーです。趣味のお菓子作りの為に買ってしまいました。キッチンエイドという、海外で有名なミキサーです」
上司「ほう、君、お菓子作りが好きなの?」
「はい。パン作りも好きです。ハマると一日つぶれることもあります。そんな日は『時間を無駄にしたなあ』と後悔しますね(本当は充実感もあります)」
上司「へえ。男なのに変わった趣味だね。悪くはないと思うけど。それで、そのミキサーはいくらだったの?」
「大体5万円くらいですね。高かったんですよ。業務用ですからね。ただ、日本製にはできない強い攪拌ができます。……でも、まだ数回しか使ってなくて。こりゃ金にだらしないと言われてもしょうがないですね(笑)取引先様にも笑われましたよ」
と苦笑しながら言う。だが、上司はやはり、ぴんと来ていない様子。
上司「えっと、ほかには?」
「え?ほか?」
上司「いや、ほかに最近買った高いものは?」
「え~っと……なんだろう?3000円の本ですかね。あとは……え~と……」
上司「ふーむ、じゃあ5万円が本当に高い買い物なんだ」
「……はあ」
上司「君ぐらいの年齢の独身男なら、時々5万円使うくらい、高い買い物とは言わないだろう。もちろん、毎日5万円だったら別だがね。我々の若いころなんか、見栄のために大して乗りもしない車に百万単位の金を使ったりしていたんだから」
「ええ(よく聞くバブリーなやつですね)」
上司「しかも、それで取引先の笑い一つとれたんだったら、儲けもんだろ」
「……はあ」
上司「ほかには?WEAKPOINT」
「え~っと(彼女の連絡がマメでないところ?違うな。顔が悪いところ?まあ、それはしょうがないしな……性格が悪いところ?でも具体的にどこが?方向音痴なところ?でもこんな回答、上司は求めてないだろうしなあ)」
上司「……君のWEAKPOINTはなかなか見つからないね。まあ、いいことなんだが」
「(いや、あんたが納得する『WEAKPOINT』がないだけだよ)じゃあ、酒に弱いところ。これには本当に頭を悩ませています」
上司「あ、酒が飲めないの?」
「いや、逆です。酒が好きなんです。酒が好きすぎて困ってます。ほぼ毎日のようにぐびぐび飲んでます」
上司「なるほど、それは心配だ。身体を壊す人もいるからね」
「はい、そうなんです!すごい心配なんです(はい、これで終わり終わり)」
上司「……しかし、営業なんだから、酒は飲めた方がいいんだよな」
「え?」
上司「私はそんなに酒が強い方じゃないから、結構苦労してんだよ。特に立場が上になればなるほど、お酒を飲む機会が増えるんだよね。みんな年齢を重ねて身体が心配とか言いながら、サウナ後の牛乳のようにがぶがぶ飲んで、けろっとしている人ばっかりなんだよ。そんな人たちの中で、こっちは意識を保つのに必死なんだからね。いっつも思うんだ、『もっと酒が強かったらどれだけいいだろう』って」
「はあ」
上司「アル中にならない程度に気を付ける必要はある。しかし、そうじゃなきゃ、酒を飲めるのはSTRONGPOINTだ」
「はあ……」
上司「しかし、こう考えると、君はWEAKPOINTがないね」
「いや、そんなわけないんですけどね(笑)」
上司「うん、私もそう思うだけどさ(笑)」
不毛なやり取りをし、面談は当初予定していた30分を超え、1時間を超えるのであった。
まあ、なんとなく、上司の人柄が見えたやりとりでした。上司のこういった人柄がWEEKPOINTなのかSTRONGPOINTなのか、私にゃわかりませんがね。
父との会話
人生の最後の日までをどうすれば満ち足りて生きていけるかを全体から見る視点が欠けているから、私たちは自分の運命を医学やテクノロジー、見知らぬ他人が命じるまま、コントロールするがままにしている。
Atul Gawande『BEING MORTAL』
(アトゥール・ガワンデ 邦題『死すべき定め』)
ゴールデンウィーク某日。
夜、父とともに酒を飲みながら、テレビを見ながら、雑談しながら――。
「――んで、肋骨の調子はいいの?」
父「うん、別にもう痛みはない。車の運転もできるようになったしな」
昨年末、父はふとした拍子に転び、肋骨を3本折っていた。父は現在67歳。農業界では平均年齢レベルだが、世の中的には「高齢者」の部類である。
「気を付けてくれよ。おふくろの負担がそのまま増えるんだから。車の運転も気を付けてよ?最近、テレビとかでも高齢者の運転が危険だって、よく話題になるし」
父「うーんそうだなあ。高齢者マークは70歳からだけど、俺ももう67歳だからなあ……」
「うんまあ、まだ若いから大丈夫だと思うけど……」
父「まあ、なあ……。最近、車に乗ることも減ってきたなあ(苦笑)」
「いやあ……そうなの?」
父「うん。まあ、最近の移動範囲も狭いからなあ」
冗談のつもりだったが、父の反応が想像していたよりも暗いのが気になった。私は話題を変えた。
「ー―そういや、最近走ったりしてんの?」
父「ーーいや、だいぶ走ってないよ。最近、足が痛いんだ。でも、お前も去年に大阪マラソンに出て、フル走ったんだろ?すごいよなあ。たいしたもんだ」
「うん。まあ、オヤジの影響が大きいと思うよ」
父「ははは。そうかねえ」
私の父は、昔から運動音痴だったようだ(これは私にもしっかり遺伝している)。しかし、ちょうど40歳ごろに自分の体が気になり始めたらしく、気軽な気持ちでランニングを始めた。元々ハマりやすい性格のようで(これも遺伝済み)、そこからフルマラソンを何十回と参加し、マラソン目的でホノルルにもいくようになった。
私の幼少期には、そのマラソン練習につき合わされて明け方に走ったり、親子ペアマラソン等にも参加したりしていた。走り終わった後のポカリスエットは何よりもおいしかったことを、今も忘れない。それに、確証はないが、この時の経験が今の私のマラソン趣味に影響を与えていると思っている。
さて、そんなマラソン好きの父だが、私が就職して以降、すっかり走る姿を見ることはなくなっていた。
「親父はもう走らんの?」
父「――まあね。本当に、足も痛くなってきたし。もう年だからね。40代に頑張りすぎたツケが今に来ているよ」
「いやいや、60代でも走っている人はいっぱいいるでしょ。70代でも関係なくフルマラソンでている人もいるし。国内だと83歳の人がフルマラソン完走最高齢らしいよ。親父なんてまだ若い方でしょ」
父「いやあ、もう無理だ、そんなの(笑)」
「大丈夫でしょ?それに今はシューズもウエアもサポートグッズも昔とは比にならないくらい出てるから、親父もびっくりすると思うぜ」
父「あ、そうなの?でも、無理だな(笑)」
「……まったく。せっかく、去年マラソン用の時計を誕生日プレゼントであげたのに。フルとは言わずにハーフでも10㎞でも――」
父「でも、今だって母さんと散歩してるよ。それくらいで十分なんだって。時計は散歩のときに使わせてもらってるよ」
「ふーん……あ、チャンネル変えていい?」
父「うん、好きなの観な」
「やっぱり実家に帰ったらローカル番組が観たいんだよね」
父「あ、そう。……ああ、なんだか眠くなってきた。もう21時か、いつもなら寝ているところだ」
「はや!(笑)おじいちゃんかよ」
父「もう、おじいちゃんだよ。お前も早く孫を見せてくれ」
……こんな会話をしつつ、私は、マラソンに対する父の態度が腑に落ちずにいた。
私は父との会話を通じ、父を
年齢を言い訳にチャレンジする気持ちを失った男
と解釈していた。同時に、
気持ち次第ではいくらでもフルマラソンのチャレンジができるはず
と思った。その方が、結果として心身ともに充実した老後を過ごせると思ったし、いずれ訪れる死を少しでも長引かせることができると思っていた。
最近、いずれ必ず訪れるであろう
親の死
意識することが増えた。それは、父が定年を過ぎたこと、年始に滑って骨折したこと、人間ドックであまり喜ばしい結果が出ていないことなどがあったからだ。もちろん、直接、両親にこんな話をするわけではない。
……ただ、父と何気なくテレビを見ていても、内容が「突然訪れる可能性がある危険な病気」を面白おかしく取り上げるような番組になったりしたら、私はすぐにチャンネルを切り替えるようになった。こんな番組が増えたなあと思うのは、番組数が増えたのか、私がそういった番組が気になるようになっただけなのか?……どうでもいいが、そういった番組が気になっても、親と一緒に観たいとは思わないのはなぜだろう?
――
土曜日の朝、飛行機で大阪に戻った。
飛行機の中で、ある本を読む。そして、涙があふれる。
内容紹介
「豊かに死ぬ」ために必要なことを、私たちはこんなにも知らない
今日、医学は人類史上かつてないほど人の命を救えるようになった。しかし同時に、
寿命が大きく延びたことにより、人はがんなどの重篤な病いと闘う機会が増えた。
老人ホームやホスピスなど家族以外の人々も終末期に関わるようになり、
死との向き合い方そのものが変わってしまったのである。
この「新しい終末期」において、医師やまわりの人々は死にゆく人に何ができるのだろうか?
圧倒的な取材力と構成力で読む者を引き込んでゆく、迫真の人間ドラマ。
現役外科医にして「ニューヨーカー」誌のライターでもある著者ガワンデが、
圧倒的な取材力と構成力で読む者を引き込んでゆく医療ノンフィクション。
【英語版原書への書評より】
とても感動的で、もしもの時に大切になる本だ――死ぬことと医療の限界についてだけでなく、
最期まで自律と尊厳、そして喜びとともに生きることを教えてくれる。
――カトリーヌ・ブー(ピュリツァー賞受賞ジャーナリスト)
われわれは老化、衰弱と死を医療の対象として、まるで臨床的問題のひとつであるかのように
扱ってきた。しかし、人々が老いていくときに必要なのは、医療だけでなく人生――意味のある
人生、そのときできうるかぎりの豊かで満ち足りた人生――なのだ。『死すべき定め』は鋭く、
感動的なだけではない。読者がもっともすばらしい医療ライター、アトゥール・ガワンデに期待したとおり、
われわれの時代に必須の洞察に満ちた本だ。
――オリヴァー・サックス(『レナードの朝』著者)
アメリカの医療は生きるために用意されているのであり、死のためにあるのではない
ということを『死すべき定め』は思い出させてくれる。これは、アトゥール・ガワンデの
もっとも力強い――そして、もっとも感動的な――本だ。
――マルコム・グラッドウェル(「ニューヨーカー」誌コラムニスト)
この本を手にしたのは、3月頃のこと。上に述べたように、昨年末から漠然と親の死というものを考えるようになった。ある日、関係しそうな本をなんとなく探していた時に、偶然に出会った。思い立ったら吉日と思い、本を購入していた……のだが、なかなかじっくり読む機会に恵まれずに、ツンドク状態となっていた。
だが、GW中に実家に帰ったこともあり、今一度親の死について考えてみようと思い、かばんに入れて帰省した。実家にいるときは結局読まなかったが。
この本では、死を目前にした人を扱っている。それは、重病を患った人だけでなく、「老衰」による必然の死を迎えた人も含んでいる。
筆者は、「死すべき定め」にある人に対し、様々なエピソード(時には身近な知人について、時には自身の親との経験について語りながら)や、学術的な見解を踏まえながら、我々はどのような過ちを犯し、どのような方法によって寄り添うことができるのかを説明する。
……決して難解な学術書ではない。しかし、単純なドキュメンタリーというわけでもない。「死」を扱うのが得意な宗教系の内容でもない。当たり前ながらハウツー本でもないし、お涙頂戴物でもない(私は泣いてしまったが)
繰り返すが、この本で扱っているのは「人の死」である。非常に難しいテーマであることは間違いない。終末期を迎えた人の気持ちは、この本を読んだだけで計り知れるものではないだろう。ただ、理解するためには、相当の努力が必要であり、相手の立場に立つことがいかに重要であるかということを、この本を通じて多少なりとも学ぶことができたと思う。
私の父はまだ70歳前だし、余命を意識するような重病を抱えてはいない。それでも、それほど遠くない時期に、この本に書かれていることが身近になると思う。その日を前に、有意義な時間を得られたかな。
価格は2800円(税抜)と結構いいお値段がするが、1人居酒屋で両親についてぼんやり考えた、と思えば安いものである(実際、それ以上の価値は保証する)。
冒頭の父との会話は、この本を読んだ後と前とでは、まるで違ったものにとらえられる。読む前ならば、マラソンチャレンジは
息子として、父のためを思っての言葉
ということになる。……だが、読んだ後ならば
父の立場には何一つ立つことができないまま、父のことを自分の立場に立ったまま思いながら発した息子の言葉
ということになるだろう。
かつての父が大事にしていたものではなく、今の父が何を大事と思い、向き合っているのかを、思い付きではなく、もっと時間をかけて一緒に考えたいと思った。
両親がまだ元気なうちに、この本に出会えたことはとてもありがたいことだと思う。もっと真剣に、親の死について考えてみたい。結局、それが自分の人生にとっても大事なことになるのだから。
……蛇足かもしれないが、この本に記されていた印象深い一文を一つ。
時が経つにつれて人生の幅は狭められていくが、それでも自ら行動し、自分のストーリーを紡ぎだすスペースは残されている。このことを理解できれば、いくつかはっきりした結論を導き出せる――病者や老人の治療において私たちが犯すもっとも残酷な過ちとは、単なる安全や寿命以上に大切なことが人にはあることを無視してしまうことである――人が自分のストーリーを紡ぐ機会は意味ある人生を続けるために不可欠である――誰であっても人生の最終章を書き換えられるチャンスに恵まれるように、今の施設や文化、会話を再構築できる可能性が今の私たちにはある。
『死すべき定め』より
――でも、こんな本を読んでるなんて、両親には絶対知られたくないですね(笑)いつも思いますが、本棚って、自分以外の人に見られたくないですよね~?特に身近であればあるほど(違う?)
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資格を取る意味
し‐かく【資格】
1 あることを行うのに必要な、また、ふさわしい地位や立場。「理事の―で出席する」
2 あることを行うために必要とされる条件。「税理士の―を取る」
デジタル大辞泉より
5月1日。
会社から帰ってポストを開くと、1枚の封筒が届いていた。その外観を見て、それがある通知であることがすぐに分かった。
紅茶検定、合格しました。少し前の日記で受験したことを記していました。
紅茶検定とは
紅茶が日本にもたらされてから、100年以上になります。
紅茶は、その豊かな香りとフレーバーで多くの人を楽しませるだけでなく、リラックス効果のあるテアニンや抗酸化作用のあるタンニンなど健康に良い成分も多く含んでいます。
一杯の紅茶がもたらす優雅な時間と健康効果は、今や暮らしの必需品となっています。
紅茶検定では、
紅茶の歴史や文化、産地ごとの特徴、ブランド、器具、美味しい入れ方、保存方法など、紅茶の楽しみ方を広げる知識を問います。紅茶検定を通し、紅茶について知識を深めることで、
ティータイムがより味わい深く楽しい時間となることを願っております。
紅茶検定HPより
平たく言えば、紅茶の基本のキを学ぶような検定である。
私の場合、この試験を合格するために費やした時間は約1か月。いいわけながら、仕事が立て込み、なかなかまとまった時間がなかなか取れなかった。でも、仕事前や仕事後にカフェに行って勉強したり、土日などもカフェにこもって勉強を続けた(もちろん、紅茶をオーダーしました)。会社では毎日のようにティーバッグを使って紅茶を飲み、土日は紅茶の淹れ方を体感するために茶葉で淹れる練習も重ねた。茶葉の特徴を知るために、ルピシアのような紅茶専門店で勉強したりもした。
結果、試験当日まで特に苦痛を感じることなく、楽しみながら紅茶について学ぶことができたと思う。
――まあ、紅茶について何も知らなかったど素人が、たかだか1か月間だけ勉強した程度で合格した資格である。言うまでもなく、この資格を手にしたからといって紅茶マニアを自負できるわけでもないし、紅茶店の開業につながるわけでもない。したり顔で紅茶を語りだした日には、本当に紅茶を長らく愛し続けている人からすれば噴飯ものであろう。
でも、これまで全く飲まなかった紅茶について興味関心もち続けているし、紅茶専門店などに立ち寄ることも多くなった。それに、合格できたことは素直に嬉しいものである。
これからも紅茶を愛していきますわ!
あ、以下まじめなことを記す。心してかかるように。
ところで、資格を取得する目的はなんだろう?
――人それぞれだろう。好きなことをさらに突き詰めたいから勉強する人、仕事に活かしたいから勉強する人、仕事先を変えたいから勉強する人、会社から取得を命じられている人、資格を取ること自体が好きな人などなど。
どんな目的でもよいと思う。
ちなみに、私は資格取得は知識を得ることよりも重要なことがあると思っている。それは、
限られたエネルギーを、「学習」にむけさせる力を養えること
である。
エネルギーの流れ
個人的な解釈
学習:自分から知識・技術を身に着ける行動
煩悩:意志の有無にかかわらず、向上心の伴わない行動。享楽、感情が先導?
あることを行うために必要な「知識」や「技術」を得るためには、限定的なエネルギーを「学習」に費やさなければならない。
好きこそものの上手なれ
とはよく言われる。確かに、好きなことを極限まで突き詰めて学習できる人は素晴らしいと思う。――しかし、しばしば、我われは好き嫌いにかかわらず、学習を強いられることがあるのもまた事実である。
・結婚するために日本料理を学ばなければならなくなった
・転勤に伴い、英語を勉強しなければならなくなった
・社長の思い付きでマーケティングやら統計学を学ばなければならなくなった
・興味がないけど受験の為に数学を勉強しなければならない
などなど。こんな悩みは尽きませんわね。
自分の好きなこと以外の学習にエネルギーを費やすのは並大抵なことではない。ただ、どんなことでもうまく努力できる人がいる。こういう人は、「エネルギーを学習に向けさせる力」がとても発達しているんだと私は思う。
あくまで個人的な考えだが、学習を通じて得られる「知識」や「経験」そのものよりも、「エネルギーを学習に向けさせる力」の向上の方が、よっぽど重要だと思っている。
資格取得を通じて、「エネルギーを学習に向ける力」を養うことができると思っている。まあ、資格取得じゃなくても、どんな学習でもいいんだろうけど。ただ、自分の好きなこと以外のことを勉強することが重要なんだと、私は思います。もし、この力を一定以上まで養うことができたら、自分の興味があること以外からでも学ぶことができるようになるだろう!
……あ、いや、正確には、「どんなことにも興味を持つことができるように工夫できるようになれる」、という感じかしら?となると、「どんなことでも好きになれる」ということになるのかしら?ということは、「好きこそものの上手なれ」と通じるところがあるということかしら?
あれ、何を言いたかったんだっけ?
……うん、まあ、いいや(笑)
どうでもいいことを回りくどくいっただけですね(笑)GWに入り、時間を持て余しているから、こんなよくわからん日記を書いてしまうんですね。
難しいことを書いてみたかったのだが、難しいことを書く資格は今のところないようですね。おあとがよろしいようで~
孤独の食事は六分目
大人になって土曜日 車乗ってドライブ 一人乗り
色着けたこの街は 一人用には造られていない
キンモクセイ『目隠しの街』
自分を命令しない者は、いつになっても下僕にとどまる。
日曜日。実に良い天気。
朝8時30分に起床。寝ぼけ状態でコンタクトレンズをつけ、軽くストレッチ。
ストレッチを終え、ランニングウェアに着替える。いつものスタイルになった直後、窓を開けて外気に触れる。
(……そろそろ、パーカーはいらないかしら?)
私は羽織る程度に身に着けていたパーカーを脱ぎ、いつもよりも軽装で外に出る。
そして、いつもの河川敷を走る。
連休のせいか、河川敷は昼間からBBQで楽しむファミリーや、ラグビーや野球などの団体競技を楽しむ人たちであふれかえっている。そんな中を一人走る私ってイッタイ……――でもこんな自分も嫌いじゃない(自惚れ結構結構)
(初Garmin画像)
この日は約20㎞走る。天気が良かったせいか、心身ともに気持ちよく走ることができた。
――
ランニングを終えた昼下がり。午後から行きたいところがあった。それは、こちら。
知っている人は知っている、知らない人は全く興味なしの大イベント、そう、
『食博覧会』
である。
このイベント、私はよく知らなかったのだが、電車広告でしばしば見かけていた。その広告文面にある
4年に1度
という言葉に強い力を感じ、興味本位で行ってみたくなったのである。
――あ、この食博覧会は、簡単に言ってしまうと、
大阪の最大規模の展示会会場(コスモスクエア)を貸し切り、日本中、いや世界中の美味しいもののをあつかう屋台がぎっしりと詰め込まれた食の大イベント
である。食べることが大好きな人であれば、一日いても退屈しない、まさに4年に1度の大イベントとなるだろう。ゴールデンウイークに重ねて行うあたりも、ニクイ演出である。
「じゃあ、フラッと立ち寄ってみようかしら?」
と思ったマダムのために解説しておくが、このイベント、実は
入場料
がかかります。
まあ、結構いい値段しますね。
「まあ、中に入ったらいろいろ食べられるんだし、安いんじゃないかしら?」
と思ったそこの貴婦人。勘違いしないでほしいが、これはあくまで入場料である。上記に記した通り、中はいろいろな屋台がたくさんあるわけだが、決してタダではありませんよ。
「……え、そうなの?入場料払ったら食べ放題じゃないの?」
まあ、各屋台に金を払えば食べ放題でんがな。
「で、でも、入場料払っているわけだし、普通に買うよりも安く提供してくれるんでしょ?」
なにを甘いこと言ってまんの。そんなわけあらへんがな。大阪なめたらあかんで。普通に定価でんがな。まあ、屋台の定価やから、普通より少し高めの価格設定ですやん。でも、いいモン提供しまっせ。
「でも、やっぱりこういうイベントで入場料とるのはどうかと思いますが……築地が入場料とりだすようなもんじゃないですか」
まあ、いろんな場所を旅してうまいもんを食べ歩くと思ったら、安いんと違います?こちとら天下の台所でやってますんで、築地なんかと一緒にされたらかないませんわ。
「……」
ともかく、夕方から独り、電車で食博覧会へ。
夕方17時頃に会場に到着。
会場入り口で当日券を買う。あ、夕方16時以降のナイトチケットは、ちょっとだけ安くなる。たぶん、時間が遅くなるにつれて入場者が減ってくるから、入場料を安くしたのだろう(邪推)。
ちなみに、中では本当にいろいろな屋台ブースが出店している。
(パンフレット引用。まあ、展示会会場貸し切っているわけだから、そりゃすごい規模ですわな。)
17時から20時(閉館時間)まで、このパンフレットをもとにぐるぐると会場を歩き回りまくった。もう、テーマパークさながらである。
(あ、あのラーメン食べたいな。……いや、コレを食べたら他のものが食べられなくなる。とりあえず、もう少し回ってみよう。状況が変わるかもしれない)
(あ、この牛串おいしそう。でも、本当に今食べる必要があるか?牛串はメインディッシュだろうが。まだ前菜も食ってないのに。とりあえず前菜を探そう。でも、前菜って何?)
(アイスクリームくらいだったら……いや、アイスの満腹感を侮るなかれ。うまそうだけど、ここは保留だ。とりあえずメモだけ……)
(ハンバーガーか……。いいね、これだったら軽食になるかしら……いや、マックと同じベクトルで考えると痛い目にあうぞ。こういうシッカリしたハンバーガーは腹にたまるからな)
(……いっそ気付けにアルコールを体に染み込ませようか?――いや、それは逃げだ。真摯に各ブースを見るのだ。アルコールは最後の手段だ。でも。ドイツビールコーナーもちょっと立ち寄ろう)
(よし、このチーズ店に入ってみよう……って、あれ?店じまいを始めてる……?まだ18時なのに……?あ、店じまいじゃなくて商品入れ替えか。でも、なんだか出鼻くじかれたな……。とりあえず、保留なり)
(決めた、今日はから揚げ祭りにしよう。から揚げブースを回りまくろうっと――ん?あのから揚げ店の店員、隣の競合店のから揚げ娘といちゃついてやがる。商売なめてんのか?そんな奴の店からは絶対買わないもんね。調子乗るんじゃねーぞ)
(……とりあえず、もう一周……)
……店が多すぎるとなかなか決断ができないもので、くいだおれたかったのに、結局食べる決断がなかなかできなかった。
結局、会場に3時間もいて、食べたのはこの2つだけだった。
(コロッケ屋さんのコロッケ。ミニご当地コロッケ4種セット。とってもうまいよ!)
(仙台牛タンとフランクフルト。牛タンってなんでこんなに興奮するでしょうね)
そんなこんなで食べているうちに、閉館時間に合わせて蛍の光が会場内に流れ始める。
私はいそいそと購入したものを食べ、会場を後にした。結局、中で払ったお金より、入場料の方が高くついてしまった(入場料1,600円。飲食代750円)。まあ、いろいろな食文化に触れられたのでマイナスではないのだろうが。
ともかく、今回得た教訓。
……こういう食のイベントを楽しむときは、一人ではなく、最低2人以上の知人・ご家族と回ったほうが良い
と思います。それは、複数人数で回ったほうがいろいろなものを食べられるという実利的な側面があるし、ツレに決断を任せることができるからである。あと、帰り道がさみしくならないしね。
以上、気弱でだらしない男の戯言でした。……本当はもっと楽しげな食レポにしようと思ったんだけどな……。