切る人が切れば、見る人が見れば
人は己を美しくして初めて美に近づく権利が生まれる。
約2か月前。
「うしろはこんな感じになります」
「はい、大丈夫です」
「何かつけます?」
「いや、大丈夫です」
「お疲れ様でした~」
「ありがとうございます」
「ありがとうございました~、はい、お待ちの大麦さん、どうぞ~」
私の散髪を終えた理容師は、すぐに次のお客を相手に接客を開始。
家から歩いて5分のところにある理髪店。スピードも速く、料金もお手頃。出来も申し分ない。普段は5万円/回の美容院に行っていたが、今後はこの店を愛用させていただこう。
その数日後、ツレと会うと――
「あれ、髪切った?」
「うん、まあね」
「――」
「……なに?」
「今回は床屋だったんだ」
「……え?」
「違う?」
「違わない。……なんで、わかるの?」
「やっぱりね(笑)だと思った」
「本当にわかったの?」
「そりゃわかるわよ」
「……超能力者?俺全然わからないんだけど」
「本当に分かんないの?」
「どこを見て思ったわけ?」
「教えないよ(笑)」
残念ながら、私はおしゃれのセンスを一切持ち合わせていない。正直、髪を見てもその人が美容院を使ったか床屋を使ったかなんて、まるで検討がつかない。
……しかし、見る人から見れば、散髪後をみただけで、床屋に行ったか美容院に行ったかがわかるものなのだろうか?ツレは結構外見に気を遣っている人なので、特別に分かったのかもしれない。しかし、もしも普段会う人も、ツレと同様、美容院で切った場合と理髪店で切った場合との見極めがつくとしたら……それは結構怖い話である。
男のくせにそんなこといちいちに気にすんな!男は内面勝負じゃ
と思う一方、
わかんないけど、次は美容院に行った方がいいかなあ……
なんて思ってもしまう。うーん、難しい年ごろなのね。
――
そんなこんなで、今日。
前回理容店に行ってから約2か月がたち、再び髪がびよびよと伸びたことを感じる。朝に鏡を見て、なんとなく
……うーん伸びたなあ
と思いながら、頭をシャカシャカする。
(ソロソロ、切るか。)
そんなあいまいな基準で、仕事終わりに髪を切りに行くことにした。今日は仕事が忙しかったので、予約は21時すぎでも受け付けてくれるところを探す。もちろん、時間帯以外の条件として、
美容院であること
を設定。
――
21時、仕事終わりに予約した美容院へ。
髪を切ってくれたのは20代の女性。気さくな雰囲気の方。
「仕事終わりですか?サラリーマン大変ですね~」
とか
「手元にクッション置いてください。このクッション、人気なんですよ~」
とか
「後ろ髪がすごい癖が強いので、この部分は思い切ってばっくり切りますね!」
といったような言葉が印象的だった。
――
約30分で散髪終了。
「うしろはこんな感じになります」
「はい、大丈夫です」
「何かつけます?」
「いや、大丈夫です」
「お疲れ様でした~」
「ありがとうございます」
出来をあらためて見る。
……正直2か月前に理容店で切ってもらったときとどう違うのか、私にはあまりわからなかった。まあ、自分にはわからなくても、わかる人にはわかる……のだろうか。
次にツレにあった時、今の私の頭はちゃんと美容院に切ってもらった、ってわかるのかしら。
……なんとなく「あ、今回は美容院で切ったんだ」って言いそうな気がする。これはわかる気がする。何でかはわからないけど…何でだろうね。
そんな月曜日でした。――さて、明日も頑張ろう。
タイトルなんてあるわけナシ
今日は資格試験だった。
――いやあ、ようやく終わった。今年一番の重労働だったように思う。頭が良くないので、体を動かすより頭を動かしているほうがかなりエネルギーを使う。
個人的なことながら、これまでの人生、試験を受けると、大体
今回はダメだったな
とか
今回は受かったな
というのが試験終了後にわかってしまっていた。唯一わからなかったのは、大学受験のころだったかな。大学受験のころは――(ながくなるのでやめるが)試験後に合否の予想がある程度ついていたわけである。
――でも、今回の試験は正直よくわからん。
試験勉強の為に会社を数日休んで勉強した(いつか、そんな日記も書いたなあ) 。それ以外の土日も、勉強に時間を費やした。平日も酒を断って、仕事終わりに勉強したっけ。我ながらよく頑張ったと思う。
――でも、本来ならば、「数週間前から頑張っている」時点で既に対応がかなり遅れているような試験内容だった。要するに、ちょっと難しかったんです。
落ちているといわれたら、まあしょうがないか、って思うし、受かっていたら、嗚呼受かっていたか、ヨカッタヨカッタ――て思うだろう、と思う。でも、今回は本当によくわからない。そんな試験だった。
……受かっていてほしいなあ。でも、わかんないな。こんな気持ちは大学受験を終えた高校生ぶりの感覚。高校生の頃も、大学受験がうまくいったのか、その当日はよくわからなかったなあ。こんな気持ちを味わえるから、試験って楽しいんですよね。心に潤いが与えられて楽しかったです。(結果は11月下旬。気になる日々がまた続く)。
オチもなく、内容もなく……今日は久しぶりに酔うぜ~って言ってみたり。
明日からまた気を引き締めて頑張ります。
走れば走るほど(しまだ大井川マラソンinリバティ)
学べば学ぶほど、自分が何も知らなかったことに気づく、気づけば気づくほどまた学びたくなる。
10月29日。日曜日。
朝、5時に起床。この日は静岡に宿泊。それは、「しまだ大井川マラソン」があったため。
昨晩はなかなか眠れなかった。どうしても、マラソン大会が実施されるかどうか気になってしようがなかったからである。当日の朝になり、予定通り実施する旨、公式HPより発信されていることを知る。ここでようやく、走るためのスイッチを入れることができた。
ホテルで朝食を済ませ、着替えなどの準備を済ませたら、いざ出陣!
7時30分ごろに会場最寄り駅である島田駅に到着。到着すると、エキナカにはすでに多くのランナーが所狭しにいらっしゃる。会場にさっさと向かって行く方もあれば、雨を前に進むのを躊躇する人も。(私は躊躇するタイプ。)
約10分くらいウダウダしてからようやく会場に向かう決意。と、その前に、駅前にある栄西像にご挨拶。
歴史の授業で習った通り、鎌倉時代に臨済宗を開いた超有名人。その一方で、実は中国から茶を飲む習慣を日本に持ち込んだ人であるということは、あまり知られていない。茶世界のバイブルである『喫茶養生記』を記し、ニホンノデントウである「茶」の文化をこの国に根付かせるきっかけとなった伝説の人。(だから、茶産地である島田市に銅像があるんですね)
まさに宗教に関係なく尊敬できる人物。そんな栄西様に、今日は満足のいく走りができるよう、願掛けをした(知らんがな、という栄西氏の声が聞こえた)。
――
さて、歩いて10分ほどして会場に到着。
(……うわ)
会場について早々、私はある後悔に駆られた。それは、
雨具を何も用意していなかったこと
である。
みんなカッパやらウインドブレーカーやら、ゴミ袋で雨対策をしている。まあ、雨降りの中を走るうえでは基本的なことであろう。にもかかわらず、私は晴天の時と同じような身軽な格好。アホまるだしである。(※)
(※)全員が全員、雨具を身に着けているわけではない。だが、身に着けない人はちゃんとした理由がありそうな人ばかりだった。そして、私は、十中八九着るべき人間なのに、単純に忘れてしまった大ウツケなわけである。少なくとも、みんなが雨具を身に着けている姿を見て、私はそう思った。
到着早々、関係ない所で気持ちが沈んだ(まあ、自業自得である)。落ち込みながら軽くストレッチ。
【コンディション】
気温: 15〜17℃
天気: 雨(雨→土砂降り→雨→小雨→雨→土砂降り→小雨→雨→土砂降り――を繰り返す)
風: 穏やか。ほぼ無風?
なお、今回のコースはこんな感じ。
折り返し地点を挟むと、対称的に見える。高低差は少なく、比較的走りやすいコースと思われる。
さて、今回の目標は、
「絶対に完走」「歩かない!」
の2本を掲げた。これは、決して小さな目標とは思わなかった。それは、雨の強さ次第で先行きが全く読めなかったからである。
台風の影響から、おそらく、スタート段階よりも雨が弱くなってくれる、ということは考えづらい。天気は時間の経過とともにどんどん悪化していくことだろう。すると、晴天の時には許されていたことが、今回の天気では命取りになることも十分に考えられる。だからこそ、完走すること、そしてどんなことがあっても歩かずにゴールを迎える、ということを第1に考えた。それくらい、この日は慎重になっていたわけである。(まあ、雨具を忘れて精神的ダメージを受けていたことも多少関係するが)
さて、スタート!
〇スタート~10㎞ 5:55/km
スタート後は市街地を駆け抜ける。雨天なのに声援を送ってくれる方々の気持ちに感謝。しかし、気持ちを高ぶらせすぎず、ゆっくり走ること最優先に意識。
4㎞程度走ると、市街地を抜け、マラソンコースに突入。大井川沿いをせっせと走るコースとなっていく。
さて、5㎞あたりの最初の給水ポイントで惨事。なんと、雨が強くて給水ポイント前の道路が完全に水浸しになっていたのである。
ランナーたちは悲鳴をあげながら隙間道を走ったり、コースアウトしながらその水を避ける。おそらく、給水しそびれた人も多かったことだろう。
(……こりゃ大変だぞ。中止になることも有り得るだろうな)
出だしから嫌な予感。しかし、こんなのはほんの序の口であったことを後々知ることになる。
――
市街地の沿道にはたくさんの人が応援だったが、マラソンコースに入ると、応援は一気に減る。それくらいに沿道の足場は悪く、雨を防ぐものがほとんどなかったわけである。そんな中でも応援してくれる方々もおり、心より御礼。応援の絶対数は少ないものの、だからこそ、一つ一つの応援が響く。
その応援も途絶え途絶えになると、もう雨が道を打つ音と、ランナーの足音のみとなる。雨は不定期に強弱をつけながら振るため、ランナーを一喜一憂させていた(まあ、私の話ですが)。
(天気は一向に良くならない。……本当に、中止になるんじゃないかしら)
気持ちが重くなりながら、もうすぐ10kmかというタイミングで最初の助っ人が登場。
荻原健司氏。スキー界のキング。今回の大会のゲストである。上がり切らない気持ちを高めるべく、この方にハイタッチ!おかげで、なんとなくもやもやしていた不安が払拭されました。
しかし、運営サイドもこんな序盤でキングオブスキーを送り込むとは。ランナーの心境を察した見事な判断と思った。
〇11~20㎞ 5:35/km
少しだけペースを上げていく。しかし、それでも上げすぎないように調整。
(とりあえず、後半まで様子を見て、焦らずに行こう)
と考える。ここまでは、ただひたすらに我慢しながら慎重に走り続ける。
〇21〜30km 5:45/km
20㎞地点を超えた段階で疲れは無し。いつもだったら少しずつ呼吸が荒くなってくるのだが。
(……ちょっと、慎重すぎたかな)
最初の折り返し地点にたどり着く。軽やかな足取り。疲れはほとんどない。これは逆に調子がいいのでは?と思うほど。
調子に乗りそうな気持を抑えつつ、前を見ながら走ると――
(あ!)
サブ4ペースメーカーの後ろ姿。その周りをサブ4狙いのランナーが取り囲む。
(もしかしたら、サブ4行けるペース?意外としり上がりでペース上げられるかも?)
と、昂揚感が高まる。だって、今回はタイムはとりあえず考えていませんでしたから。
そんなことを考えていると、前に再び助っ人登場。
ご存知、千葉ちゃんこと千葉真子氏。ここも浮足立ってハイタッチ。
「よーし、順調!ナイスラン!」
と激励をいただく。気分はもう最高潮!ペースがどんどん上がっていく!!
――と思ったのだが、そうもいかず。
(……もう限界である)
ここあたりでトイレに行きたい衝動を抑えられなくなる。
(この天気だし……我慢し続けるのは無理だな)
走っているうちはあまり気づかないが、振り続ける雨の影響でからだの中はすっかり冷え切っていたようだった。
24㎞地点でやむなくトイレに入る。しかし、タイムロスなどは気にしない。雑念を捨て、目標達成だけを頭に入れる。
トイレで用を済ませて仕切り直し、ペースを整えながら走る。
――
しばらく人気の少ないコースが淡々と続く。横を見ると、今にもあふれかえりそうな大井川。雨は強弱をつけながら振り続ける。すでに走路は水浸し。ここで靴が水に浸かることを気にしているランナーは、おそらくほとんどいなかっただろう。
〇31~35km 6:40/km
30kmすぎ、しまだ大井川マラソン名物の大エイドステーションがランナーを迎える。これを楽しみにしている参加者も多い。
(これは公式画像。当日はこんな晴天ではない)
しかし、私はここにきて限界に到達。再びトイレに駆け込む。……だが今回は単純な体内の水分排出だけでは済まされない状態だった。
(……気持ち悪)
雨によって体が大分弱っていたのかもしれない。筋肉の痛みよりも、内臓の悲鳴が体を動かなくさせる。本来ランナーにとって楽しみのはずの大エイドステーションが、今は避けなければリタイア直結の物となっていた。
楽しそうなランナーを横目に私は大エイドステーションを抜ける。抜けた後も、気分が相当悪い。
(こんな時は、日ごろの練習を思い出すんだ――)
と、少年漫画のように思うわけだが……。
「ああ、今日は雨か。じゃあ、休みの日~(笑)」
「二日酔いで気持ち悪……。今日は体を労わろう。それもできるサラリーマンである」
「走りたいけど、今日は勉強する日って決めてんだ。走っている場合じゃない!あ、その前にコメダ珈琲に行って気分転換しよ」
(……言われてみれば、雨の中走る練習ってしたことなかったなあ。それに、ここ最近、何かにつけて練習さぼってたし……。マラソンって、日頃の積み重ねなんだね)
マラソンに向き合ううえで、基本的ながら最も大事なことを、今更ながら再認識する。私には、ピンチの時に己を支えてくれるものが悲しいほど何もなかった。
(何という薄い背中よ。しかし、これが本来の実力である……)
と無念極まりない心地。雨の力で自分の中にあった薄っぺらの皮が剥がされたのであった。
……しかし、当初掲げた目標である
「絶対に完走」「歩かない!」
だけはどうしても成し遂げたかった。それだけを頭において、腹を手で温めながら走りをつづける。
〇36km~ラスト 7:00/km
ここはもう、つらかったことしか覚えていない。肉体的な疲労と内臓の疲労が相まって、正直地獄であった。どんな道を走ったのかも、あんまり覚えていない。だから、書くこともあんまりない。
ただ、お経のように頭の中で
(歩くな歩くな歩くな歩くな歩くな歩くな歩くなーー)
と唱え続けていたように思う。ほとんど歩いていると変わらないペースであったとしても、ここは自分との戦いだけである。
もしも、ここで
実はゴールは43.195㎞でした!がんばって!
と言われたら、たぶんゴールできなかったかもしれない。
そんな状態、そしてあと残りわずかというところ――。
「4時間以上走った自分をほめてあげましょう!そして、ゴールは万歳をしましょう!ここで恥ずかしがったら絶対もったいない!」
という、大会ゲストのDJケチャップ氏の声が聞こえる。この声に従うまま、小さく万歳をして――
ゴール!
ゴールして近場で寝そべりたかったが、あたりがご覧のありさまだったので、ヨロヨロとその場を立ち去る。
小中学生と思われる方々が、「お疲れ様です」と計測チップを外してくれたり、「お疲れ様です」と笑顔で参加賞の飲み物をくれたり、「お疲れ様です」とTシャツを渡してくれた。当然ながら、彼ら彼女らも、雨に濡れ靴も泥だらけになりながらその仕事をしてくれている。
もう、あなたたちはいったいどういう教育を受けたらこんな大変なことをそんな素敵な笑顔でできるんだ!
と心の底から思った。走り終わった直後、心身ともにギリギリの状態で思ったくらいだから、走り終えた今、その思いはさらに強い。
本当にありがたかったです。こんな天気でも走り切ることができたのは、こういったサポートの方々の力が大きいのだと思います。
――
脚を引きずりながら預けていた荷物を受け取る。そして、早々に帰りのシャトルバスに向かう。
「こちら、温泉に向かうバスでーす」
という声が耳に入る。どうやら、島田駅行きのバスと、近くの温泉に向かうバスの2タイプがあったらしい。
私は帰りの時間を確認しながら、どうしてもお風呂に入りたい欲求に駆られて、風呂行きのバスを選ぶ。
(余談だが、バスの座席はすべてビニールシートで覆われている。ずぶ濡れのランナーを乗せるわけですからね。)
出発前のバスの中で、参加賞のおむすびをいただく。正直、まだ体調がすぐれなかったのであまり食は進まなかったけど、ちびちび口に入れる。おいしかった!
シャトルバスが発進し、温泉に向かう。バスの窓から外を見ると、まだ走っている方々の姿が目に入る。
心の底から応援。届かない声援だろうけど、この方々が完走することを切に祈る。それと同時に、最後まで声援を送り続ける方々のことを思うと、本当に頭が上がらなくなる。
――
その後、バスで約30分で、「伊太和里の湯」に到着。
幸せだった。とても幸せな入浴だった。ただ、私の場合、帰りの時間も迫っていたので、10分くらいの入浴時間だった。許されるならば、1時間以上風呂に浸かっていたいくらいだったが。それでも、冷え切った体を温めるのには十分なほど、幸せなひと時であった。本当にありがとうございました。
再びシャトルバスに送られ、島田駅に到着。シャトルバスの運転手やアテンドの方々も、土砂降りの中、ずぶ濡れのランナーを送るという、本当にやっかいな仕事だったでしょうに。温かいご対応、本当にありがとうございます。本当にありがたかったです。(なんかしつこいかもしれないけど、やっぱり書いておきたい)
島田駅に到着し、切符を買っていた頃、
パンパーン
という音が聞こえる。同時に、あたりから
あ、おわりかあ
という声が聞こえる。時計を見ると、16時。制限時間に達したようであった。
ーー
その後、浜松駅まで電車で揺られる。雨脚はさらに強くなっていった。
(浜松駅前)
浜松駅に到着。エキナカで晩御飯を購入。
そして、イソイソと大阪行きの高速バスに乗る。バスの中では起きてるんだか寝てるんだかよくわからない気分で、マラソンを振り返る。
ーー
夜の23時頃に家に到着。帰ったらすぐに寝てしまう。なんだか慌ただしい一日であった。
――
さて、この日の結果だが、タイムとしては
4時間20分弱
でした。個人的には当初立てていた目標である「完走」と「歩かない」は達成できたのだから、万々歳な結果である。
ただ、今こうして日記を書いて思うのが、
フルマラソン、全然わかっていなかったなあ
ということである。
練習不足は否めない。もっと本番で力を発揮できるような積み重ねが必要だろう。あと、緊張感も少し持たなくては。雨具を忘れるあたりはマラソンに対してあまりにいい加減な態度と言わざるを得ないだろう。30kmあたりの体調不良も、もしかしたら避けられたものだったかもしれない。
まあ、一方で、そんな体調不良の中でも、最後まで自分の目標を達成すべく走り続けたことは、素直にほめてあげたい。 たぶん、今までのフルマラソンの中で一番リタイアが脳裏をよぎった大会だった。それくらい、35㎞からはつらかった。まあ自己満足だけど、あそこからはしっかり頑張ったなあと思う。次回からは辛くならないようにしなくては、だけどね(笑)
本当に、まだまだ学ぶことの多いマラソン。経験を重ねて、もっといい走りができるよう、頑張っていきますで。
おしまい。
せっかく来たんだから…。
「『茶色』ってなんで『茶色』なの?」
「え?」
「いやさあ、焙じ茶とかは『茶色』だけど、普通の人の茶のイメージって『緑色』だろ?どうなのよ、お茶娘」
「名前で呼んでくださいよ」
ここは茶処静岡川根。越すに越されぬ大井川。川の流れのように途切れなくからかわれております。
茶柱倶楽部第9煎『茶柱、再び』より
土曜日。朝。
あさ、慌てて準備をし、外に出る。
(雨である…)
傘をさすほどではなかったので、そのままで最寄駅に向かう。そして大阪駅のバスターミナルへ。そして、約5時間、バスに揺られながら静岡は浜松駅に向かった。
前回記した通り、10月29日、静岡の『第9回しまだ大井川マラソン』にでることになっている。
ただ、台風が見事な直撃ルートになるため、行くかどうか少し悩んだ。正直、前回記した通り試験勉強が忙しく、なかなか練習ができなかったし、慣れない勉強疲れで少し疲労がたまっていたのもある。
わざわざ行って当日中止だったら目も当てられない。逆に大会決行になっても、風と雨が降るなか走りきる根性があるかどうか…。
とりあえず、高速バスで浜松にむかい、前泊することにした。
さて、浜松駅に14時半に到着。浜松駅はすでに雨。
疲れを取るべくホテルで休もうかと思いつつ、せっかく静岡に来たんだから観光の1つくらいしたいなあと思い…
ここに来てみた。静岡の菊川市にあるサングラムカフェ。san grams green tea & garden cafe。
静岡といったらやっぱり日本茶。ここで抹茶とかぶせ茶、そして抹茶プリンを堪能した。
大変美味である。お茶の淹れ方までレクチャーしてくれたのも嬉しい。余は満足である。(あとは、客の私が髭面のボサボサ頭で大変似合つかわしくない様子だったのが申し訳なかった。)
さて、ホテルに帰ってサービスカレーを食べながら明日に備える。
うまい!そして準備万端!明日は中止になりませんよーに!
ただ、この日記を書きながら、なんだか中止になりそうな気がしてます……だって、同日開催の他のマラソン大会が中止になり始めてるんだもの(苦)
「余裕」を作れるのは、「余裕」がある時だけらしい
人がスラックをつくらないのは、いまやらなくてはならないことに集中し、将来起こりうるあらゆることを十分に考えないからだ。いま現在ははっきりと間近に迫っているが、将来の不測の事態は緊急度が低く、想像するのが難しい。漠然とした将来を目の前にある現在と突きあわせると、スラックはぜいたくに感じられる。結局のところ、そんなものを取っておけるほど、自分は十分に持っているとは思っていない。――(中略)――欠乏に直面したとき、スラックは必要不可欠である。それなのに、人はたいていそのための計画を怠る。もちろんその理由はもっぱら、欠乏のせいで計画するのが難しくなることにある。
『SCARCITY:Why Having Too Little Means So Much(いつも「時間がない」あなたに)』 センディル・ムッライナタン&エルダー・シャフィール
どんな困難な状況にあっても、解決策は必ずある。救いのない運命というものはない。災難に合わせて、どこか一方の扉を開けて、救いの道を残している。
セルバンデス
2017年、とし初めのこと。
「勤労休暇――ですか?」
上司「うん」
「……すみません、勤労休暇ってなんでしたっけ?」
上司「知らんの?会社に勤めて★年目とか◆年目とかの社員に与えられる『休む権利』だよ。――そうか、お前は今年が初めてか。まあ、平たく言うと、会社からの命令で、『連続して最低でも6日間は休みを取れ』ってこと。連続だからな」
「それは土日を含めてですか?」
上司「どっちでもいいよ。含めても良いし、含めないで6連休以上にしてもいい。まあ、どんな形であれ、今年のどこかのタイミングで最低6日間連続で休めばいい」
「土日含めなかったら?何日休めるんだろう……?」
上司「そうやなあ。まあ、土日を含めなかったら、土・日・月・火……・土・日で……9連休か。まてよ、祝日とかのタイミングに合わせたらもっと休めるな。ゴールデンウィークや年末年始にくっつけて2週間くらい休んだらどうだ?」
「なるほど……でもさすがにそれはできませんね。いろんな意味で怖くてできないです」
上司「……それやる人は、相当勇気あるだろうなあ。俺も怖くてできんわ……でも、別にいいよ?無理に休む必要はないけど、せっかく会社が休ませてやるって言ってるんだから、有意義に休んだらいいよ。ただ、1月中に休む時期を決めろよ」
「わかりました、ありがとうございます――」
勤労休暇、実にありがたい仕組みである。さて、年初の段階では、別に「この時期に休みたい!」というのが全く思いつかなかった。ただなんとなく、その時の私は、
多分、10月って精神的にも疲れてるんじゃないかしら。
というよくわからない経験則から、10月にこの勤労休暇を入れていたのだった。
そして、その勤労休暇ウィークが今週なのであった。
――さて、6日間、だれの目を気にすることもなく休めるとしたら、あなただったら何をするだろう?
・旅行(あてもなく彷徨いたい)
・実家帰省(親孝行できる時間もそう長くないしね)
・お腹がはちきれるほど食べ歩き(バイキングだろバイキング!)
・大量のDVD鑑賞(海外ドラマだな。ポップコーン買いだめしないと)
・本の虫(久しぶりに山本周五郎?司馬遼太郎?それとも星新一全作品読破?)
・お菓子作り(すっかりさぼってんがな)
・愛人との蜜な生活(沖縄だろ?愛媛だろ?金沢だろ?あと北海道とフランスとウクライナとインドネシアと――)
ちょっと考えただけでもこんなことを思いつく。どれも楽しそうだし、せっかくなので思いっきり振り切ってエンジョイしたいところ。
……だが、今回の連休は、これら以上にやりたいことがあった。というか、どうしてもやらなければならないことがあった。
それは、
資格試験のためのお勉強
である。
イエーイ!!ビバがりべーん!!
……いや、違うんです。ま、まあ最後までお付き合いを。
本年、とある試験を受けることになっていた。試験を申し込んだのは約半年前。まあ、コツコツ勉強すれば恐れるに足らないのだが、日頃の仕事を言い訳に、資格の勉強をすっかり怠っていた。そして、気づけば受験日まで20日を切っているというわけである。
ちなみにこの資格、平均的な資格習得のための標準学習期間は、各種参考サイトによれば
4-6ヶ月間
とのこと。繰り返すが、私に残された時間は約20日間。そして、今までほとんど手付かず。……まあ、客観的に見てかなり厳しいでしょうな。ちょっとなめすぎである。
ま、せっかくの連休なんだから、資格なんてまた次に受ければいいじゃん。
と思う人もいるだろう。私自身、その衝動に駆られた。しかし、自分で受験すると決めたのに、それを捨てて享楽的に過ごすことなど、私にはできない。
人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。
と私の中の吉田松陰先生も言っている。
……まあ、正確に言うと資格を受けるために払った教材費が惜しいのである。(受験代を含めると、10万円はゆうに超えている。ぼったくりか!)
おまけに、会社の人事評価の際に提出しなければならない
目標設定
にも、この資格取得を掲げていたのである。そのため、個人的には何としても合格しなければならないわけである。そんな大事な試験なのに、直前まで何もやらないとは……。わが師である吉田松陰先生は、自分の約束を破るものをくだらないというが、同じように、やらなければならないことを直前までやらない人間も、同等にくだらないと思うわけである。
……さて、すでにどう頑張っても及第点すら絶望そうだが――このタイミングで6日間の連休である。前述のとおり、個人的にはどう頑張っても付け焼き刃で立ち向かえるような資格ではないと感じている。……しかし、しかし、である。私の目の前にあるのは、
6連休
である。社会人にとって、この6連休という言葉の重みは計り知れない。大学生の夏休み2か月に匹敵するほど、いやもしくはそれ以上の価値ではないだろうか?それくらい、社会人にとって6連休とは、実に圧倒的な時間である。(学生諸君、今はわからないだろうがいずれわかるぞ、いずれ――)
……神は私に最後のチャンスを与えたのだろうか?それとも、悪魔が追い詰められた人間をもてあそんでいるだけなのだろうか?
いずれにしろ、試験を無視して遊びに興じられるほど肝の据わった人間ではない。ダメで元々、仮に落ちたときにも
やるだけのことはやった
と会社に報告するためにも、今回の6連休は資格勉強に費やすことにしたのであった。
さて、土曜日より、毎日家にこもって勉強をつづけた。外出したと言ったら、食糧の買い足しで近所のライフに行ったときか、気分転換に軽くランニングした時くらい(あ、あと選挙投票にいった)。……もう、軟禁状態である。
まあ、営業職なので、平日には取引先から電話がかかってくる。あとは、彼女からかかってくる電話にはちょこちょこ出ていたか。でも、普段営業でいろんな人と関わらなければならないせいか、土日平日含めて6日間、部屋にヒトリこもりっきりというのは実に珍しい過ごし方であった。
不思議なもので、外部との接触が薄れると、
もしかして、この世界には自分しかいないんじゃないか?
って思ってしまった。マンガ家や小説家がそんなSFを書きたくなるのもうなづける……と勝手に解釈を巡らせたくなるほどに。いずれにしろ、こんな過ごし方、多分、そんな長い期間は耐えられそうにない。たぶん、いまの私には6日くらいがギリギリですね(笑)まあ、学生時代は毎日こんな生活だったんですが(あの時は勉強ではなかったが)。
とりあえず、最終日である木曜日に到達。おかげさまで、6日間ずっと勉強に勉強を重ねることができた。そして、
このペースで死に物狂いで頑張れば、もしかして……いけるかもかもかもか
と思えるくらいには到達できました。この調子で、明日からは働きながら勉強を頑張ろう!
と、ここまで書いたのだが、実は今週、こいつが待っている。
待ってました!ご存知、静岡は大井川で開催の
しまだ大井川マラソン
でござんす。来週の日曜日は静岡で走るぜよ!嗚呼、楽しみだなあ。
……え、勉強?まあ、移動中とかはちゃんと勉強しますって(えへらえへら)。
(……あれ?なんか右上に)
(しまだ大井川マラソンHPより)
「……え、台風来てんの?」
テレビとかネットとかもあんまり気にしてなかったから、台風が来ていることに気づかなかった。マラソンにうつつを抜かしていることに、神が怒り狂ったのだろうか!?
なんてね_φ(・_・
…さて、明日からはまたサラリーマンの生活に戻ろう。
まだ、自分だけのマラソン(新潟シティマラソン 2017)
ある人に合う靴も、べつの人には窮屈である。 あらゆるケースに適用する人生の秘訣などない
石ころをつかんでも地獄、燃える星をつかんでも地獄。結局、一番安全で楽しいのは、星を見上げていることだ。
伊吹有喜『ミッドナイト・バス』
月曜日。新潟シティマラソン当日。
5時半ごろに起床。ビジネスホテルに前泊していたおかげで、ゆっくり眠ることができた。6時過ぎにホテルの朝食を食べ、お腹がパンパン。
ホテルを出て、新潟駅から会場に向かうシャトルバスに向かおうと思ったのだが――
(ホテルより撮影)
(げ、もうかなり並んでるじゃん!)
ホテルの窓からシャトルバス乗り場がみえるのだが、すでに恐ろしい数の人が列を作っていた。急いで列に向かうと、さらに驚く。バス停からしばらくグネグネ曲がった後、階段を伝って駅の中まで入り込んでいたほどであった。バスはその列を無くすために、次から次へと駅にやってきた。
私自身、時間に余裕を持たせてホテルを出たつもりだったのだが、会場に着いた頃には開会式10分前になり、かなり慌ただしい状態になってしまった。
(スタート地点となるデンカビッグスワンスタジアム。ワオ、人がいっぱいである)
荷物を搬送トラックに預け、いそいそとストレッチをしながらスタート地点に向かう。
スタート地点も、まあ、人がたくさん。さすが12,000人参加規模だけある。老若男女、幅広い方々が周りを取り囲む。
開会式では、市長やご当地アイドルのNegicco(ねぎっこ)、そしてマラソン界のアイドルである高橋尚子氏がご挨拶。会場がどんどん湧き上がっていく。
さて、今回のコースはこんな感じ。
どうやら、2017年になり、コースが少し変更されたらしい。比較的平坦といえるコースだろうか。ただ、やはり気になるのが13㎞地点から続く「新潟みなとトンネル」くぐりである。はて、この高低差がどうでるか。
天気:曇り時々晴れ
気温:22℃前後
湿気:やや感じる
風:忘れた。でも、あんまり意識しなかったら、ほとんどなかったかも
(比較的走りやすい気候だったと思います。)
さて、スタート!
〇スタート~10km (5:30秒/km)
スタートの号砲が鳴った後も、人が多くてなかなか前に進まない。ようやく走れるようになったのは2分ほど経過してから。それ以降も、50cm周辺には人がいるような密集状態。
スタート地点から応援が多いのが嬉しい。新潟市民のほか、高校生のチアリーディングや吹奏楽、ダンスに太鼓など目白押しである。
(余談だが、大会プログラムを見てみると、応援にも力を入れているのがうかがえる。)
(こういうオマツリ感がいいんだよね)
とニヤニヤしながら走る。
一方、走りの方はというと、なかなかペースを作れずに戸惑った。5分30秒くらいで走りたいのだが、10秒前後早くなったり遅くなったりしてしまう。
(ちゃんと走らんと……。こういう時は、求めるペースで走っている人に付いていこう)
と思い、周囲を見渡すと――
(あのお姉さん、良い按配に5分30秒くらいで走ってるなあ)
その女性は安定して5分30秒くらいを維持して走っているように思えた。そこで、その女性の後ろを、一定の距離感を取りながらついていくことにした。
あ、言っておくけど下心なんてないですからね。たまたまその人が綺麗でランニングウエアが大変似合っていましたが、まあ、そこは偶然です。もしもフルマラソンに不埒な感情を持ち込むようであれば、即刻退場すべきだし、飛び蹴りを食らわせる必要があると思ってますから(……でも、あの人、綺麗だったなあ)。
そのお姉さんを参考にしながらペースを整える。
〇 11km~20km (5:15/km)
少しずつ体がほぐれて調子が上がってくる。ペースを作ってくれたくれた女性に心の中で別れを告げ、少しペースを上げる。(……どうでもいいが、ここでペースを上げなきゃよかったんだよなあ、と今になって思うわけだが。)
さて、気になっていた長いトンネルにいざ突中。
トンネルを走るなんて初めてだったのでとても新鮮。一定間隔でカラフルな照明でトンネル内が照らされるが、やはり薄暗い。人の熱気も手伝ってか、中はかなり蒸していた。汗も結構出てくる。
周りの人のペースが少しずつ緩やかになる中、私のペースは快調に上がっていく。(上げなきゃよかったんだよなあ……)
〇 21~35㎞ (5:25秒/km)
トンネルが二つ続いているわけではなく、1つのトンネルを超えた先に折り返し地点があった。折り返し地点にたどり着き、再びトンネルに突入。反対方向には、逆にトンネルに入ってきた人たちが走っている。
長いトンネルを抜けると、ようやくフルマラソン後半地点である。
長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった
川端康成が記した『雪国』の舞台は新潟県であるわけだが、今回の新潟シティマラソンの場合、
長いトンネルを抜けると、そこは緩やかな上り坂
であった。
決して急峻ではないものの、断続的に続く坂道はじわじわと足に負担をかける。トンネルの高低差ダメージも影響し始めるところであり、周りには、少しずつ歩き始める人が現れてくる。
――だが、まだまだ私には余裕があった。それどころか、後半に差しかかかっても、ペースは安定、心身ともに余裕があった。
(俺は田沢湖のあの地獄坂を乗り越えたんだ。こんな上り坂、屁でもないわ。田沢湖は俺に翼を与えてくれたようである)
と大変に勇猛な心地であった。絶えることなく続く沿道の応援に、我が気持ちはどんどん高ぶっていく。
……しかし、田沢湖マラソン以降、大して練習もしていないくせに急に翼が生えてくるわけもない(練習不足でカビが生え、さらに肩こりと隠れ腰痛で腐れかかっている)。
幻の翼はあっという間に消えてしまう。30kmあたりで、案の定、
(ツラクナッテキタナ……)
と、アホ丸出しで「30kmの壁」に突入。30kmあたりでみるみるタイムは落ちていく。そして、今まで痛くなったことなんてなかった膝もきしみ始める。
心身ともにつらくなり始めたころ、前方にある女性が目に入る。
(……ん、あれは)
30kmをすぎたあたりだったと思うが、ちょうど高架下をくぐる場所に、あの人が待っていた。
Qちゃん、その人である。疲れたランナーを応援するために、通り過ぎるタイミングでハイタッチをしていたのであった。
(菩薩じゃ、女神じゃ……)
以前、黒部名水マラソンに参加した時にも、Qちゃんのハイタッチにはお世話になった。
再びQちゃんとハイタッチできようとは。
「大丈夫大丈夫!いけるいける!」
と、私だけにしか理解できない言葉をかけてくれた。おそらく、この世を探しても、Qちゃんと2回もハイタッチしたことがある人間は数本の指に入る程度だろう(こうして勘違い男は増えていく)。
――
Qちゃんに勇気をもらいながらも、やはり足の痛みは治らない。
余談だが、ここらへんで救急車のサイレンがコースに鳴り響いていたことをよく覚えている。
(自分もぶっ倒れるんじゃないかしら……)
と不安に駆られたのであった。気温はどんどん高くなり、気候的にもしんどくなってきた。
〇 35km~ラスト (6:00/km)
ペースは一気に落ちる。止まるほどつらいということではないが、足がだるい。(なぜいつもペース配分を間違えるのか、と自分を責める。)
歩かないことだけを特に意識しながら走り続けた。
最後手前の給水ポイントで梨を食べ、最後の力をふり絞る。(あの梨はとてもおいしかったです)
――ちょうど40㎞あたりにさしかかったあたりだろうか、後ろから大群のランナーが迫ってくる。そして、その大群はチンタラ走っている私をあっさり追い抜いていく。
(もういい、抜きたきゃ抜きなさいよ。私は私のペースで走るんだからね)
と気にも留めずにいたのだが……。
大群の中心で走る男性は、滑稽なフーセンの帽子をかぶっている。彼が仮装ランナーではないことはすぐに理解ができた。それと同時に、血の気が引く。
――おなじみ、4時間ペースメーカーである。
(きゃあああああ!えっ、なんでなんで?なんでここで出てくんの?)
と心の中で絶叫。そして、混乱。
なぜならば、時計を見ながら、4時間はなんとか切れるだろうと思われる範囲でペース調整をしていたからである。それなのに、なぜ4時間ペースメーカーに抜かれなければならないのか?今一度時計をみる。やはり、4時間で行けるペースのはず。しかし、ペースメーカーはどんどん私を引き離していく。
(え、え、どういうこと?これどういうこと?と、とりあえずペースを上げないと)
とペースを上げようとするのだが、足が思うように動かない。足が動かない悔しさと、4時間を切れないことへのみじめさに襲われる。
涙が出そうだったが、周りの応援に励まされ、足を止めずに走り続ける。なお、ゴール間際、沿道から
「ここまで頑張ったんだから、歩いても大丈夫!よく頑張った!最後まで頑張るだけでいいから!」
という声援があった。意識朦朧ながら、個人的にはこの言葉は今でも鮮明に覚えている。すごく励まされた。……でも、ここで歩くわけにはいかなかった。
(歩くわけにはいがねえで……とりあえず走り切らねばならねなや)
と、ヘロヘロになりながらゴールを目指す。
ゴールである新潟陸上競技場に到着。ゴール前では高校チアリーディングの応援が待っていた。その声と姿をみたら、誰だって全力疾走したくなる。最後の気力を振り絞って走り切る。
そして、無事にゴール。
(ゴール周辺。みなヘタヘタであるが、笑顔の人が多い)
フィニッシュ後、私もゴールから少し離れたところでへたり込んでしまった。でもこの開放感がたまらない。これのために新潟に来たんだよなあ!と己の脚を撫でまわす。
少し落ち着いて、着替えを済ませる。そして、ゴール後にもらえるヤキモチとおにぎりをいただいた。ヤキモチは焼き立てで大変に美味であった。本当に美味しくて、詰まりそうになるくらい、一気に呑み込んだ。ジャンボおにぎりは全部食べられなかったので、夕方くらいにお腹がすき始めたタイミングで美味しくいただきました。おにぎりの具?それは来年参加して一緒に確かめましょう(笑)
さて、タイムですが、
約3時間59分(ネットタイムだと57分くらい?)
でした。辛くも4時間切り達成!4時間ペースメーカーにはおいてかれたんですけどね(笑)
……それにしても、前回も3時間59分だったのだが、これはどういうことだろう?
4時間ギリギリ切りが己の限界で、今回も限界まで頑張った
もしくは
もっと早く走れるのに、サブ4達成以上の向上心がない
ということだろうか。個人的には前者なのだが……。まあ、それは追々考えていこう。
さて、走り終えた後、いつもならば翌日の仕事に備え、いそいそと家路につくのだが、今回は有休をとっているので、慌てて帰る必要もない。ちょうしあわせー。ぴーやぴーや(まだ不安)。
――かといって、新潟で特段やることがあるわけでもない。そこで、せっかくだからと、ゴール100m前の応援に混じりながら今まさにゴールを迎えようとしているランナーたちをぼんやりと見る。
仮装して走りきる人たち、こんな風に参加しようと思えるサービス精神が素晴らしいと思う。……私にはなかなか難しいかな。
同じシャツを着てチームで参加して走る人たち。ゴール直前で同じシャツを着る人たちとハイタッチしながら完走を喜ぶ姿はとても楽しそうだ。横目でうらやましそうにチラ見する。
もう70歳をゆうに超えているだろうに、歩くことなくひたすらゴールを目指す人生の先輩。本当に圧巻。きっと、私なんかとは全く違う目的意識で走っているのだろう。
途中で足を痛めたのだろうか、足を引きずり苦悶の表情を浮かべながらゴールに向かうアスリート風ランナー。あらためて特段の問題なく走り切れた自分を褒めると同時に、フルマラソンの怖さを再認識する。今回はなんとか無事に走り切ったが、「偶然だぞ」と自分を戒めた。
――ゴール間際は色んな人のドラマを想像できて面白い。今まではフィニッシュ後にすぐ帰っていたけど、もう少しゆとりを持ってマラソン大会の雰囲気全体を堪能したいものである。今回は、このゴール間際のシーンを見れただけでも有休をとった甲斐があったというものである。(いや、本当に)。
――最後におまけ。別に私が書くまでもないが。
Qちゃんはゴール間際でもランナーたちを迎えていた。
一人一人のランナーに向けて個々に笑顔と声援、そして、ハイタッチを繰り返す。
この方にとって、フルマラソンを1回やる以上の疲れを感じる仕事だということは容易に想像がつく。だって、約12,000人の見ず知らずの人間とハイタッチするんですから。場合によっては怖いこともあるだろうし、あえて「高橋尚子」がやることでもない仕事であろう。でも、この人はそんなことを思わせることもなく、ひたすらランナーを応援し続ける。
こういう姿を見ると、本当に仕事熱心な人なんだと尊敬の念を抱く。
ゲストなんだから当たり前だ
という意見もあるかもしれない。だが、それは違うんじゃないか、と思う。
この方、もはやマラソン界ではレジェンドQの人である。この方の活躍は、今更私がここで記すまでもない。
そんな人とマラソン大会でハイタッチや握手や並走できることが、一般ランナーにとってどれだけ幸せなことだろうか。それは、Qちゃんとハイタッチする人たちの嬉しそうな表情が一つの答えになるのだろう。この人は本当に多くの人に活力を与えている人なのだと思う(かくいう私も活力をいただいた1人である)。若輩者の私が言うのもおこがましいが、自分の立場と役割を的確に理解し行動に移すプロフェッショナルだと思った。そんなプロフェッショナルの仕事を遠目で見させていただきました。
ともかく、自分も仕事をちゃんと頑張ろうと思えたのだった。
おしまい:->:->:->:->
もう一度解放感を
私との旅行じゃ有休取らないくせに……
遠くにいるツレ
日曜日。
朝早くに起床し、私は新潟に向かうために身支度をし、家を出る。
10月9日(月)、私はこの大会に参加する予定となっていた。
新潟を舞台にしたマラソン大会、新潟シティマラソンである。
1983年から創立された、歴史あるマラソン大会。新潟市内を走れ、市全体で応援してくれるお祭りのような大会のようである。
9月に出た田沢湖マラソンのようなハードコースの大会もよいが、新潟シティマラソンのように沿道に応援がたくさんいる中で走るというのも、実にすがすがしいものである。
最近、色々と心身ともに疲れを感じることが多かった。先週も社外プレゼンやら接待が続き、社外とのやり取り以上に、社内調整の難しさを実感した。むしろひと段落した今になって、大分疲れが出てきた。
胃腸が荒れて気だるい。また、お肌も荒れ気味。一番問題なのは、肩こりである。たまに整体に行くと、肩と首回りがガチンガチンと言われる。湿布が気持ちよくてしょうがない。
このように、他の人からすれば大したことないレベルなんだろうけど、ストレスを強く感じている最近なのであった。ブログをゆっくり書いたり、ほかの人のブログを見て刺激を得たいのだが、なかなかそれもできなかったのも、このストレスのせいなのであった(これは言い訳)。
こんな愚痴愚痴した言葉って、漫画の中のサラリーマンだけのものだと思っていたけど、意外と身近なものだったようである。となると、これからは出世競争や派閥争いなんてのもあるのかもしれない。プロジェクト失敗に伴う左遷とかも、つらいだろうな。憧れの先輩社員との不倫なんて言うのも、現実に起こったっておかしくともなんとない。実はそれがハニートラップだったらどうしよう?……本当に、夜も眠れない。
嗚呼、もう、サラリーマンなんかやめて、どこか遠くに行って、ゆっくり過ごしたいもの――。
こう思うことも何となく増えた。そんなタイミングだったからこそ、今回のマラソンはある種のリフレッシュであった。
なお、新潟シティマラソンに向けて日曜日から前泊。そして、月曜日に走ったあとだが……今回はなんと、
火曜日に有給休暇
も、つけちゃいました!(笑)やったーい、やったーい。もうしーらんぺ。しーらんぺ。ゆとりをくだちゃーい!ぴーやぴーやぴーやぴーや(喜びと不安を表してます)。
終わった後も新潟でゴロゴロできる喜び!今回は2泊3日の新潟慰安旅行である。
特に旅行計画は立ててないけど……とりあえず明日のマラソン大会を終えてから、ゆっくり考えよう。
――さて、肝心のマラソンだが、今回はあまり練習らしい練習ができていないのが正直なところである。だがしかし、前回の田沢湖マラソンから3週間しか経っていないので、むしろ過度な練習をするほうが問題である(ですよね?)。そのため、今回はちょうど田沢湖マラソンの疲れも癒えたタイミングであり、コンディションとしては悪くないわけである(ですよね?)。
今週は主食であるアルコールも結構控えたし、肩凝りの為に整体にも通った。
ちょっと疲れは残っているけど、明日は気楽に楽んでいこう。
今日は早めに寝ます。とりあえず、新潟駅周辺ブラブラした写真で締めたいと思います。
(何かのイベントで歌い踊るアイドルたち。頑張ってください)
(新潟市に来た際には行ってみたかったバスセンター)
(名物の懐かしカレー。意外と辛かったなあ。大行列なり)
(カレーの隣にある大判焼き屋さん。癒される店でしたよ、ダンナ)
(明日の舞台、萬代橋)
(明日の為に橋の上に陣取るコーン氏。明日はよろしくお願いいたします)
(なんというのぼり旗でしょう)
明日はがんばろう。