ギザ十な日々

2人の息子と妻との日々を書いています。

結婚することになりました。

 
 
 
結婚て何だろう。結婚は「コミットメント」だ。コミットメントって、本気で全力でかかわるってこと。辞書を見ると、約束、関わり合い、とある。
 結婚すると、相手の人生に対する責任が生まれる。自分の人生にだけ責任をもっていればよかったシングルとは大違い。子どもが生まれたら、その子どもが成人するまでの責任も負うことになる。おお、大変だ。
 でも、責任のない簡単な仕事より、責任のある、ちょっと難しい仕事のほうが、だんぜんおもしろいよね。大変な分、やりがいがある。充実感、達成感がたっぷり味わえる。人生も同じかも。
 コミットメントのある人生。やってみたくない?
中村芳子『結婚までに、やっておくべきお金のこと』より
 
(クリスマスの夜に1人モスバーガーでモスチキンを食べながら読んでいた本。…よくわからんが、そういうもんかしら?)
 
 
 
 
 
 
新年、明けましておめでとうございます!2019年である。
 
 
 
年末年始は実家に帰省していた。私の故郷は雪がひどかった。おまけに風も強かった。大阪から飛行機で飛び立った後も、無事着陸できないのではとヒヤヒヤした。
 
 
今年は12月29日(土)〜1月3日(水)と5泊6日、故郷に滞在。いつもだったら3〜4泊が限界なので、いつもより少しだけ長くいたことになる。・・・だが、心身ともに落ち着かない、休んだ気が全くしない帰省であった。ーーなんでかって?
 
 
いや、まあ・・・その、なんというか?ねえ・・・・・・まあ、ねえ笑、いろいろとーー
 
 
 
なんというか、今おつきあいしている女性と結婚をすることになりまして。別に隠すことでも、あえて報告することでもないんですが・・・・・・苦笑
 
 
ともかく、今回の年末年始は、最初の関門である「親へのご挨拶」にアタフタしていたのでした。服装はどうするべきか、手土産はどんなものがいいか、お酒を出される前に気持ちを伝えるべきか、何時間くらい家にお邪魔するのが正しいのか、仮に断られたときはどうしたらいいのか、「一発殴らせろ」と言われたときは黙って殴られるべきかーーまあ、いろいろと悩みました。
 
どうでもいいですが、なんでもかんでも虎の巻やマニュアル本があるこのご時世、「親の挨拶」に特化した本って、ほぼないんですよね。就活の面接ガイドは(文字通り)腐るほどあるというのに。まあ、こういうのは各家で面接官が全く違うから、マニュアルどおりにいかないことはわかるんだけど・・・・・・。それは企業だって同じだしなあ・・・・・・。あ、もしかして、「これで大丈夫!親の挨拶徹底攻略〜7日間でわかる親の気持ち〜」的な本があれば、かなり売れるんじゃないだろうか?ライバル本がないから、中身がどうであろうとこの本を買うしかないからね。年度ごとに出せるし、父版母版でもだせるし、それに地域版も出せるし・・・あれ?もしかしてかなり着眼点ではないだろうか?(阿呆づら)
 
 
 
さて、阿保なことを考えている間に、相手のご両親からは無事ご了承をいただけました。なんというか、当人達からすればあっという間に終わってしまった。この詳細は、また日を改めて機会があれば描いてみよう。
 
 
 
 
では、一大イベントが終わってホッとした帰省なるかというとーーそうは彼女が許さない。
 
 
基本的に親への挨拶から結婚までは1年をあけてはいけないならしい(ゼクシイいわく)。だから、2019年度中、もしくは2020年の早い段階で結婚式の段取りを行わなければならなくなったわけである。
 
 
とにもかくにも時間が限られているということで、年末年始から故郷の結婚式会場探しも行うことになった。
 
 

(とある披露宴会場。彼女評価低め)
 
 
ちなみに、そもそも故郷で挙式を挙げるのかどうか決まっていなかった(東京の可能性もあるし、場合によっては海外も?)。だが、ただでさえ故郷が北の遠方にあるので、時間的にも金銭的にもホイホイ行けるようなものでもない。そのため、時間があるうちに結婚式会場も下見しておこうということになったのだ。
 
 
 
 
しかしまあ、この結婚式場の下見ーーいやあ、疲れました。2日間、びっちり結婚式会場を見回りました。彼女の機嫌を損なわないように回りましたから、余計に疲れました(彼女の機嫌を損なう彼氏が一番最悪らしい、と、ゼクシイで学んでいた)。
 
こっちも全く無知の状態で下見するわけにもいかないので(彼女の機嫌が損なわれるので)、昨年末から式場資料やガイド本とかを事前に読んで勉強しておいたのです。この勉強のおかげで、全く日記を書く時間を作れなかった・・・これは言い訳ではない。まったくもって真実である。
 
でも、大きな失態をしないまま結婚式場下見を終えられたのでよかった。これからもっと大変になってくるんだろうけどね(苦笑)
 
 
 
余談ながら、うちの両親が結婚の報告を受けてからというもの、式場探しに具体的なアドバイスをし始めたり、自分たちの結婚式の時を語り始めたりと、大変はしゃいでいる。なんというか、出来損ないの息子としては、その姿がなんだか嬉しかった。結婚って、やっぱり親孝行という側面も大きいのだろうと思ったのであった。
 
 
以上。
 
ーーところで2019年は30歳節目の年です。!結婚だけじゃなく、いろいろな事が起こりそうな予感がするけれど、楽しく乗り越えていくぜ!ではでは、本日はこれにて御免!(あ、結婚式会場からまた電話がかかってきた〜。まあ、下見しただけで終わらせてくれるわけないわなあ・・・。結婚の苦労日記になるかもね)
 
 
今年もどうぞご贔屓に(_ _).。o○
 
 
 

また、ブログを書ける喜び

 
 
 
 
1ヶ月と少し前に、急性食道炎を患った。想像よりも症状が重かったらしく、食事がまるで喉を通らなかった。踏ん張って会社には行くものの、エネルギー不足と食道の不快感から、仕事どころでは無かった。軽い内勤業務と緊張感の少ない商談をこなしながら、なんとなく仕事をしている体裁を繕う日々であった。
 
朝ごはんに豆乳や牛乳を飲み、 お昼ご飯の代わりに診療所に行って点滴を打ってもらい、晩御飯に豆乳や牛乳を飲む日々。人生経験の少ない私にとって、これは結構辛い日々だった。
 
 
2週間ほど過ごして、ようやく普通に食事を取れるようになった。当たり前にモノが食べられることがどれほど幸せなのか、と言うことを身に染みて味わうことができたのは、とても貴重な経験だったと思う。
 
そんな日々をまとめて日記に記そうと思った矢先、次のイベントが待っていた。彼女とのベトナム旅行である。病み上がりで海外旅行というのは少し不安があったが、ずっと前から彼女がプラン立てしてくれていたので、キャンセルするわけにもいかない。
 
3泊4日のベトナム旅行、実に楽しく、刺激的な時間だった。旅先で味わったアンナコトコンナコトを書いてもよかったのだが、その矢先にまたイベントが発生する。人生初のゴルフコンペだ。それも、身内だけではなく接待コンペ。12月上旬で日程は決まっていた。
 
ゴルフ経験がない(正確に言えばあるのだが、新人時代に体験した社内コンペがトラウマレベルで、『こんなジジ臭いスポーツ、二度とやるか!』と誓っていた)のだが、取引先との関係を深める目的があったので、参加しないという選択肢が用意されていなかった。
 
せめて迷惑かからないレベルにまで練習しなければと思い、家の近くの室内ゴルフレッスンに通いはじめる。ちなみに、接待ゴルフコンペ2週間前から。
 
まあ、ゴルフ経験者ならば言わずもがなだが、たった2週間程度でずぶの初心者(しかも球技経験0)が目まぐるしく上達するわけがない。そんなんで上達するならば、ゴルフ好きはあんなに熱心にゴルフに取り組まないのである。
 
それでも、親指に大きなマメを作るくらい、ゴルフに向き合った(上司からは、マメができる場所がまるでおかしい、と言われるが)。そのマメを潰してもなお、ゴルフに向き合った。
 
スポーツ漫画ならば、1回くらいは奇跡が起こるところだろう。その軌跡を日記に記してもよかった。だが、そんな奇跡は一回も起こらなかったので、日記に書くことすらできなかった。そんなこんなで終わってしまったゴルフコンペ。でも、次に来るゴルフコンペに備えて、今も週1でレッスンに通っているあたりが可愛らしいではないか。
 
 
さて、ゴルフのトラウマを再び味わいながらも、わたしの心はすっかり解放されていた。そんな矢先、なぜか見知らぬ土地の山の中で脱輪し、身動き取れずに困るという事件が発生するわけだがーー。
 
 
とりあえず、日記を書かなかった言い訳はこれくらいにしておこう。
 
 
 
食道炎の悪夢・海外の緊張感・ゴルフのトラウマ、ついでに山林脱輪ーーといったように、非日常の日々が続いていたわけだが、正直に言えば、なんだか気持ちの余裕がなく、すっかり日記から遠ざかってしまっていた。でも、ようやく、12月の中旬になってようやく穏やかな日常となった。久し振りにキーボードを引っ張りだし、BluetoothiPodと接続させてこの日記を記す。
 
 
キーボードが安物のせいもあるが、思うことがうまく文章にならない。今度は日記を書くことが非日常になってしまったようである。でも、またゆるゆる日記を書こう。やっぱり、落ち着いた時にはここに帰ってくるんだね。
 
 
ついでに、昨日、1ヶ月ぶりに外を走りました。走ることもだいぶおろそかになってました。6km走っただけだけど、すごい充実感。走るって、今更だけど気持ちいいことだったんだね。
 
 
 
日記を書き終えた今、なんだか安心感です。
 
 
 
 

一生忘れないだろう、胃カメラ

 
金曜日。夕刻。
 
 
 
前回記したとおり、謎の腹の痛みを解決すべく、私はフラフラの状態で
再び消化器内科に訪れた。
 
 
医師「まだ治らない?食欲も?ほんまに?」
 
「…ほんまに」
 
医師「通常の胃炎程度であれば処方した薬を飲めば数日で楽になるもんだけど」
 
「そうらしいですね(前にあなたが言ってました)」
 
医師「とりあえず熱を測ってみるか」
 
ということで体温計。
 
ピピピッ
 
医師「37.0℃。・・・・・・微熱やなあ。じゃあ、ちょっとエコー検査してみるか」
 
ということで、簡易ベットに横になり、エコー検査(超音波で体内の各部位をのぞく検査。妊婦さんがよく使われているやつ)をおこなう。
 
医師「どや、体の中見るの初めてやろ」
 
「は、はい(おお、これが俺の体・・・・・・)」
 
約10分各臓器をチェック。
 
医師「ーーどこにも問題なさそうやなあ。健康的や」
 
「ありがとうございます」
 
医師「・・・・・・となるとやっぱり胃か食道ってことになるんかなあ」
 
 
エコー検査では器官内部の損傷はみれないらしい。医師は少し考えた様子。そして
 
医師「今日、何にも食べてへんのやな?」
 
「はい。ポカリスエットくらいです(ついでに昨日もね)」
 
医師「じゃあ、やってみるか。胃カメラ
 
胃カメラーーお願いします」
 
 
少しでも症状を正確に把握したい。その一心だけであった。胃カメラというものがどういうものなのか全く理解していなかったのは、私の大きな問題であったが。
 
医師「じゃあ、準備進めるわ。ちょっと胃カメラ準備してー。じゃあ、君は別室へ」
 
 
ーー
 
看護師に案内され、胃カメラ室と書かれた部屋へ移動。
 
再び簡易ベッドに横たわる。そして
 
看護師「こちらを6分ほど口に含んで留めておいてください。こちらが喉の麻酔になります」
 
看護師から謎のゲル状の液体を進められる。私はそれを口に含み、仰向けの状態で麻酔が効いてくるのを待つ。
 
 
 
ーー
 
6分経過し、その液体を洗面台に出す。その後、看護師さんに誘導されるように体を横向きにさせる。そして、渡されたマウスピースを口につけられた後
 
看護師「はい、では先生が来るまでもう少々お待ちください。見れるようなら、目の前の映像で体の中を見れますからね」
 
と言われる。
 
 
 

 
 
先生が現れ、胃カメラを私の口から入れ始める。
 
 
 
さて、ここら辺から詳細をどう書いたらいいのだろう。医学知識は全くないのでどうしたものかーーとりあえず胃カメラを受けた側の記憶だけで書いてみよう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
 
 
 
医師「さあ、今のどの奥の方に入っていくからね」
 
 
ゔぁああ、ゔぁああああああああああ、っっっっゔぁああああああああああああああああああ
 
看護師「呼吸を楽にしてください!ゆっっくり息を吸って吐いた方が楽ですよ」
 
 
ガアバあああああああすっすうすすすすばあばああああああああああああああ
 
医師「はい、一回落ち着いて。今から中に入っていくで」
 
 
ぐばあばばばあああああああああああああ
 
医師「お、おっなんやこれは!?こんなん初めて見た」
 
ばばばばっばばばばばばばばばばばっばああああああああああごっっごごっごごごご
 
医師「これは大変だあ。すごいなあ。ちょっと組織とっとくから、ワイヤーもってきて」
 
看護師「はい!」
 
 
ひいひひひいいひひひひひひひひひいいいいいいひひはあひあひあひあひひあはえひえ
 
医師「これはすごいわ。ーーああ、胃の方は正常かあ。念のため十二指腸まで見てみとこか」
 
 
ズボボボ(胃カメラを奥に進める)
 
 
バガアバガアバガアバガアバぶっふぁふぁふ
 
 
ーー
 
胃カメラを入れて約10分後、胃カメラが体内から引っこ抜かれる。枕元は私の涙と鼻水とよだれでグシャグシャになっていた。それを看護師さんが拭く。
 
「ひい、ひい、ひい、ひい」
 
終わった後も、あまりの辛さにしばらく涙が止まらなかった。そして、私という個体からこんな恐ろしい音が出るのか、と驚愕したくらい、恐ろしい断末魔が発せられた。例えようのない、あれはまさに断末魔である。あとはまあ、私に取り憑いた悪霊が除霊される時にはあんな音が出そうだ。
 
かなり大きい音だったと思うので、クリニック内もびっくりしたことだろう。
 
 
さて、こんだけ苦労して判明した私の病状だがーー。
 
 
医師「なんやろね。こんなん、ほんま見たことないわあ。本当に、いままでいろんな患者見てきたが、こんなのは正直初めてやわ!」
 
「……ああ、そりゃどうも」
 
医師「どうしようかな、これ、学会で発表してみようかなあ。『マラソンしすぎに伴う特殊な潰瘍例』ってかな感じかな」
 
 
妙に興奮している様子の医師。
 
「・・・あの、ちなみに診断名は?」
 
医師「せやなあ、こんな場所に潰瘍ができるのもかなり珍しいし、さらにいえばこんな形で潰瘍ができるのも珍しいんよね」
 
「はあ」
 
医師「『マラソン潰瘍』かなあアハハ。そんな症例がスポーツ医学でよくあるのか調べて見るけどね。とりあえずは『食道炎のひどいやつ』やな」
 
 

(ここら辺が激しく荒れている感じです。写真もあるんですが、グロテスクなので…)
 
 
医師「しかしまあ、これは辛かったなあ。ご飯も喉を通らんのもわかるわ。唐揚げなんか食ったら食道裂けるで。まずは薬もっと強いやつだしとかなあかんな。粘膜保護するやつも加えておくわ」
 
「・・・あの、どれくらいで治りそうでしょうか?」
 
医師「せやなあ。2週間、いや3週間はみておいたほうがええな」
 
 
……愕然。
 
 
「あの、お酒は?」
 
医師「あかんに決まってるやろ。食道いじめてどうすん」
 
「・・・・・・涙」
 
医師「あ、念のため血液検査もしとこうか」
 
 
ということで、その後血液検査をおこなわれた。潰瘍ができやすいタイプかどうか調べるらしい。検査結果はまた後日
 

 
なお、そのあと点滴。点滴をうった後はなんだか体が栄養を喜んでいるのを感じた。胃カメラ後の点滴だからこそ、さらに格別(多分)。
 
 
点滴後、大量の薬を受け取る。その量に驚かされたが、その後に告げられた胃カメラ含めた診察料にも大変びっくりしました。
 
 
 
これが人生初の胃カメラと、点滴であった。まさに飴と鞭ーーまあ、鞭が強烈すぎてバランスが悪過ぎるが。ちゃんと胃カメラがどういうものか説明してからやってくれよ!と思いつつ、説明受けてたらやらずに辛い時間が長引いていたしなあ…。まあ、人生経験と思って割り切ろう。
 
 
 
…というわけで、しばらく安静の日々が続きそうです。土日も時間感覚を忘れるほど布団の中で過ごすことになりました。はやくご飯が食べたいなあ……南無三。
 
 
補足
別にマラソンが悪いのではなく、私の走り方が悪いだけだと思います。マラソンは素晴らしいものです!(蛇足かな?)
 
 
 
 

マラソン後の悪夢

 
 
 
事態は月曜日に遡る。
 
 
 
月曜日。
 
金沢マラソンから一夜明け、通常通り週明けの仕事に向き合う。いつものように自分で淹れたマグカップ内のコーヒー(500ml)を1日かけて飲む。
 
ラソン疲れか食欲はそこまでなかったので、代わりでもないが炭酸水をグビグビと飲む。
 
家に帰り、金沢マラソンのたわいもない走行記録を残しながら、缶ビール3本と、感想を祝して作ったお手製のローストビーフ(カットせずに固まり状態のもの)を食べる。
 
 
日記をある程度書き終えた頃には24時を回ろうとしていた。私はほろ酔いの中、歯を磨いて眠りについた。
 
ーー
 
 
 

 
 
深夜2時。あまりのお腹の痛さに眼を覚ます。
 
(っっ痛・・・・・・)
 
 
今まで何度も腹痛を味わってきた。時にはトイレから出られない夜を過ごしたこともあった。
 
しかし、この時の痛みは少し違っていた。なんというか、下すというよりも、胸が張って息ができない感じ。うつ伏せでも仰向けでも、胸がきつく圧迫される感じがして苦しい。横向けになった方が呼吸が楽であった。
 
(一体、何これ・・・・・・死ぬの?)
 
今死んだら虚しすぎるよなあ、と思ったが、この段階では救急車に頼ることもなく、半ば気絶する感じで再び眠っていた。
 
 
ーー
 
 
まだお腹が痛かったが、起きられないほどではない。いつもよりも遅めにはなったが、予定通り出社し、営業活動に出向く。
 
 
ただ、終日食欲はなかった。無理矢理にでもエネルギー補給しないと、と思ってサンドイッチなどを買って食べてみるのだが、喉を過ぎたあたりからサンドイッチの塊が体内で暴れて再び腹痛を感じる。こうなると食事をするのも億劫になる。
 
 
18時。腹痛を取引先に悟られ無いように努めながら、無事に商談を終わらせ、車を会社の契約駐車場に戻す。そこでようやく一息ついて考える。
 
 
(・・・・・・この痛み、いかんなあ)
 
もしかしたら胃のあたりが炎症を起こしているのかもしれない。だとしたら原因はなんだろう?
 
(ストレス?いや、ストレスを感じるほど仕事してないしな。じゃあ、刺激物を食べ過ぎた?いや、コーヒーも炭酸も酒も、そこまで量を増やした記憶もないしな。それだったら年末年始の方がよっぽど胃が荒れるはずだし。・・・やっぱりマラソンかしら?)
 
 
金沢マラソンは雨天の中で行われた。前回の日記でも書いたが、寒い天候は体質的に苦手であり、走行中2回もトイレに駆け込んだ。さらに、終わった後は一気に胃酸がこみ上げるような気持ち悪さに襲われた。終わった後もほとんどご飯も食べず、十分なエネルギー補給もできていなかった。
 
 
原因が何であれ、昨晩のような悶絶の秋夜を過ごすのは御免である。終業後ということもあり、駐車場を出た後、近くの消化器内科に行くことにした。
 
 
ーー

 
○○クリニック。すでに受付時間は終わっていたが、クリニックの配慮で診てもらうことになった。
 
先生はベテラン風の人が良さそうな男性医師。
 
医師「ほう、マラソン頑張ったんか」
 
「はい」
 
医師「日曜日やな?」
 
「はい」
 
医師「大したもんやな。少し前やけど、鹿児島で走った後におんなじように気持ち悪くなったっていうやつもおったわ」
 
「はあ」
 
医師「タイムは?」
 
「ああ、大体4時間くらいなもんですね」
 
医師「ほう、そらすごい。まあ、走っていると内臓にも負担がかかるからな。それで胃が少し荒れたんやろ。胃酸を抑える薬をだして置くわ。これでまあ2〜3日で大抵は治るわな」
 
「ありがとうございます(っほ)」
 
医師「それでも調子悪かったら別の症状も疑わんといかんから、またきてや。胃カメラとかしてもええけど、胃カメラやるなら前日から絶食しとかんといかんしな」
 
 
「はい(まあ、お世話にならないに越したことはないわな)」
 
 
医者にお礼を告げ、クリニックを出る。
 
そして、帰りに栄養ドリンクやプリンのような柔らかい食事、そして牛乳や豆乳を購入し家に帰る。正直、飲み物以外、喉を通らない状態だった。また、なぜか悪寒を感じるようにもなっていた。
 
薬を飲んで、21時には布団に入って眠ってしまった。残念ながら、この日もやはり長い夜となった。昨日と同様の腹痛に耐えられず、何度も目を覚ました。また、悪寒の影響で布団を重ねていたせいか、汗がどんどん出てくるため、その不快感で二重苦となった。
 
 
1時間おきに目を覚まし、シャツを着替えたり、水分補給をする。体調が悪化していることは明らかだった。
 
だが、
 
(あと2〜3日の我慢!)
 
と自分に言聞かせる。
 
ーー
 
水曜日。
 
 体調不良は悪化するばかりだった。すでに固形物は全く喉を通らなくなっていた(絹どうふの角で死にそうになるレベルである)。飲み物を飲むにも激痛が走る。栄養補給のために、止むを得ず痛み覚悟でポカリスエットや栄養ドリンクを飲む状態だった。
 

午前中は会社に行ったが、午後はどうしても耐えられず、お客様のアポイントをキャンセルし、家に帰って休むことにした。こういうのは初めてだったので、短い営業人生ながら、私の中では一大事だった。
 
家に帰って布団にもぐり、ひたすら腹痛と悪寒に耐えた。
 
ーー
 
木曜日
 
この日は会社を午前中休んだ。朝会社に行く体力も気力もなかった。医者の話では2〜3日経ったらある程度治るということだったのに。
 
(あの医者はヤブ医者だったのか?しかし、辛かったらまた来て、って言ってたしな。また行かないとなんともいえないしなあ・・・。)
 
 
午後、細かいが締め切りが決まった仕事が溜まっていたので、止むを得ず会社に出向く。
 
上司や同僚の方々は無理しないように、と、温かい声をかけてくださる。それだけでもありがたいところであった。家にいると一人ぼっちで精神的にもきつかったですからね。
 
 
定時になったらそのまますぐに家に帰った。(この日にもう一度クリニックに行っておけばよかった、と、この日記を書いている土曜日の私はわずかながら後悔)
 
 
木曜日も、口に入れたのはポカリスエット二本のみ。ほぼ絶食の状態のまま眠りについた。
この日の夜は、ほんのほんのほんの少しだけ腹痛は柔らいだ気がした。だが、夜に水分補給で飲んだポカリで激痛が起こるようなレベルであるのは違いなかった。
 
 
ーー
 
金曜日。
 
通常通り会社に出社。
 
 
上司「なんか、大丈夫か?目に力が入ってないぞ。まあ、まえからそんなに力の入った目でもなかったが」
 
事務女性「顔がみるみる青白くなってるわよ。食欲ないなら点滴でもしてみたら?」
 
「大丈夫です!食欲はありませんが、意外と食べなくても生きられるんだなあと自分の生命力に感心していたところですから!」
 
 
と無理矢理元気を装う。だが、実際は火曜日からのほぼ絶食状態の影響で、体重が62kgから58kgまで落ちていた。(食べ物はもちろん、水分も十分に摂取できていなかったし、夜には悪寒汗でどんどん水分が抜け落ちていたしね)
 
 
日中、かろうじて商談を済ませる。この日の商談は2件。大切な商談先である1件目は体調不良を隠すように。懇意にしている2件目は、体調不良を前面に出して早く帰らせてもらった。
 
 
商談を終えたあと、上司にはフレックスタイムを申し入れる。そして、夕方には仕事を終え、再びクリニックへと向かった。
 
 
 
続く。
 

金沢マラソン2018 本番(もてなしで溢れた大会でした)

 
10月28日(日)。朝。
 
 
石川県の小松市にあるホテル。4時半に起床。
 
この日は金沢マラソン2018に参加。あまり眠れなかったが、気持ちが高ぶっていたせいか、起床後すぐに体が動く。朝食に買っておいたアンパンを口に放り込み、5時半ホテルを出る。そして、小松駅に向かい、そこから約40分かけて金沢駅へ。
 
 
ーー
 
6時半前金沢駅に無事到着。駅内には、すでにランナーが溢れている。会場に向かう前に、私はランナーの隙間を縫うようにして、ある場所へ向かう。
 

 
駅内にある立ち食いそば屋さん。ここは6時から開店している。ほとんどのランナーは気づいていなかったのか、お店は想像以上に空いていた(穴場とはこのことか)。そのため、並ぶこともなく、すぐにそばにありつくことができた。食べ終わった後の店主(っぽい人)の行ってらっしゃい!が身に染みた。来年も参加するなら是非お邪魔しますね。
 
 
さて、お腹を満たし、駅外のシャトルバス乗り場へ。
 

6時半金沢駅前。外は雨。曇天が空を占める。右側にはバスを待つランナーが並んでいる。)
 
朝から雨。ランナーのボヤキや不安があたりからチラチラ聞こえる。
 
 
なお、当日の天気はこんな感じだった。
 
 
 

日本海側だけが雨模様。ひどいよアマタツ〜。
 
 
ーーだが、今年は入念に事前準備。こんなこともあろうかと、前日に100円ショップでポンチョを買っておきました。昨年のしまだ大井川マラソンでは、雨で大いに泣かされましたからね。おかげで、必要以上に雨を恐れることもなかった。これも一歩成長なのかな。
 
さて、バスに乗り、約20分で会場へ。
 
ーー
 

7時ごろの風景。あと30分もすれば、人がわんさかになった)
 
 
会場に着いたら、着替えを済ませ、トイレを済ませ、荷物預けを済ませる。今回は比較的余裕なスタート前なのであった。ポンチョを着ながら木陰に座り、雨をしのぐ。
 
 
8時20分にはスタートラインに立つよう、会場アナウンスが流れる。トイレに列を作っていた人たちは、慌ててスタートラインに向かった。やることもなくとりあえず2回目のトイレに並んでいた私も、スタートC地点へ向かった。
 
8時25分、スタートセレモニー。少しずつ気持ちが昂ぶる。   
 
予定通り、8時40分にスタート。
 
ーー
 

(2018年コース)
 
金沢の観光市街を走りながら、合わせて歴史的景観を楽しむことができる。そして、雄大な田園風景をむかえたあと、フィニッシュ会場の陸上競技場へと向かう。
 
スタート直後にランナーたちを見送る金沢城雄大さはもちろん、世界で最も美しい駅の1つとして名高い金沢駅を象徴する鼓門(つづみもん)を真正面に迎えることになる。この圧倒的なスケール感は、決して言葉で言い表すことができない。まさに贅沢なほど金沢を全身で味わえる、運営サイド渾身のコース設定といえるだろう。
 
 
1-10km
 
スタートラインを超えると、割れんばかりの声援が沿道から送られる。雨が降っているのに、それを全く感じさせない。この声援も金沢マラソンの魅力の一つ。周りのランナーもそれに手を振る(私も恥ずかしながら手を振る)。
 
 
余談だが、走っていながら
 
(なんか野球少年団が妙に多くない?)
 
と思った。彼らの元気な声援を何度も受け取っている気がする。
 
 
あとで大会プログラムを読み返して気づいたのだが、どうやら彼らは
 
沿道にぎやかし隊
 
という正式名称の元、ランナーを応援すべく待ってくれていたらしい。沿道にぎやかし隊はほかにも○○会やら○○組合やら○○合唱部やら○○少年団などがあったようだ。そして、野球少年団が多いなあ、と思ったのも間違いではなかったようで、沿道にぎやかし隊約80隊のうち、約半分が野球少年団であった。なお、他にも
 
応援ステージ
 
ということで、太鼓や吹奏楽、ダンスにアイドルーーと、多様な応援がランナーの背中を押してくれた。
 
 この大会、応援にすごく力を入れているんだなあと感じる。なんだか街を挙げた感じで大変に盛大だった。
 
ちなみにこの沿道にぎやかし隊、事前募集で集まってくれたみたいです。しかも、5月くらいから募集してた模様。出演料?ないみたいです。移動経費?ないみたいです。現地集合現地解散だって。雨風の中だよ?
 
いままで、応援の皆様がどうやって集まるかって、ちゃんと考えたことなかったけど、改めて頭が上がらなくなりますね。ほかの大会もそうなのかな。多分そうなんだろうね。・・・・・・ともかく、今後はもっともっと応援に感謝して走ろうと思いました。
 
 
 
さて、声援の影響か、今年最後のフルマラソンというで気持ちが勇んだか、スタートからずっと飛ばし気味となる。具体的にいえば5分前後/kmを維持している状態。優秀なランナーならばいいが、私からすれば少しオーバーペースである。
 
(あんまり調子にのるなよ)
 
と自分を落ち着かせる。だが、ペースは落ちずに、オーバーな状態を維持してしまう。
 
○11-25km
 
15km。この段階で時刻は10時を迎える。
 
気になるのは天候。雨は降っては止み、また降る。そこまで強くはないが、冷たい風も吹く。そして、体温が少しずつ奪われるのを感じる。
 
(天気予報では次第に晴れてくるはずだと思ったのだが・・・・・・)
 
天を見上げる。時折雲間から光がさしこむが、そのすぐ後に小雨が降る。風は少しずつ強くなっているような。体はどんどん冷え込んでくる。
 
そして、案の定トイレが近くなり、15kmあたりで一度戦線離脱。
 
「こちらトイレです!段差にご注意ください!」
 
また余談ながら、トイレにはボランティアの方が数名張り付き、ランナーがスムーズにトイレを迎えられるようにサポートしてくれていた。用を済ませた後は「頑張ってください!」の一言で送り出してくれる。トイレまで、なんという心配りだろうか。
 
 
ーー
 
約20kg地点。ここあたりでエネルギーを補給するために、エイドステーションの食べ物へ。
 
 
さて、20km地点では石川県を代表する和菓子が並ぶ「和菓子スポット」が待っている。
 
 

種類が豊富。これが一つのエイドにあるとは、なんというもてなし精神であろうか。全種類制覇したい所だったが、とりあえずきんつばを受け取り、口の中に放り込む。
 
(疲れた体に染みる甘さ。こんなに美味しいきんつば食べたことなーい!)
 
 
 
さて、まもなく半分の21km地点にたどり着いたころ、少しずつ焦りを感じ始める。
 
(…なんかうまくいきすぎていないか?)
 
気になっていたのはやはりペース配分である。ここまでほぼ5分/kmの状態。これは私にしてはタイムが良過ぎる。
 
 
普段から一生懸命練習してきたからならばその成果として解釈できる。だが、日頃の努力の足りない私が、このペースを維持できるとは思えない。それに、少しずつ脚に疲労を覚え始める。まだ半分を超えた段階、疲労を覚えるには早すぎる。微妙な違いかもしれないが、いつもよりも5km分くらい、疲れが前倒しに現れている感じ。
 
 
かといって一度あげたペースを意識的に落とすのはかなり難しい。多分、これは多くのランナーが同意してくれるだろう。この感覚、一度速いインターネット回線を味わうと、一つ前時代の回線に戻れない感覚に近いと思われる(知らんけど)。
 
まずいと分かりながら、そのまま5km/分ペースで走る。このままのペースで走りきれることを信じて。
 
 
○26-30km
 
26kmあたり。歴史的景観が広がる街中ゾーンを抜け、田園地帯に突入。
 
 
(うーん、やっぱりか…)
 
 
案の定、疲労が増してくる。脚の疲労が太ももにまで上がってくる。体力メータも残り40%くらい。黄色信号が点灯し始める。(20%以下になるとヘロヘロくんになります)
 
 
それなのに、ペースは相変わらず落ちないーーいや落とせずにいた。ここまでくると、ペースを一度落としたら、ズルズルと果てまで落ちてしまうのではという不安に駆られる。かといって今のままのペースで走っては、いずれ近いうちに脚が限界を迎えることは目に見えている。
抑えるのも勇気、その勇気を見出すための覚悟を、このままいけるんじゃないかという希望的観測が邪魔をする。
 
 
そして、30kmに突入。
 
体力はすでに限界に近づきつつある。明らかにペース配分を間違えたことを後悔。
 
(残り12km・・・・・・果てしないな)
 
この先、辛い走りが待っていることを悟り、身体が余計にこわばる。
 
(辛いなあ。歩きたいなあ…でも歩くと沿道の応援がプレッシャーになるんだろうなあ…)
 
 
マイナス思考を巡らせ始めたその時、誰かが背中をチョンチョンとする。そして、前に現れて少し高い声で
 
「頑張って!」
 
と激励の言葉をかけてくれたのは、彼であった。
 
 

(オリンピック男子マラソン2大会連続メダリストのエリック・ワイライナさん。この大会のランナーリポーターを務めていた。)
 
 
一気に興奮。私は掠れた声でセンキューセンキュー!と繰り返す。そして、勢いでハイタッチしてもらった。
 
(ーー辛いけど、どうせ走るしかないんだよな)
 
と、辛い道のりを走りきる覚悟が芽生える。ペースは少しずつ落ち始めるが、気持ちは再燃する。素晴らしいタイミングでの応援、ありがとうございました。
 
 
○31km-ラスト
 
雨は止まない。冷たい風も襲ってくる。
 
疲労の脚を雨風冷やしてくれる、ちょうどいいじゃないか)
 
どうにかプラス思考。しかし、頭でどう解釈しようと、お腹からのSOSを無視することはできない。
 
お腹(・・・・・・ごめん、まじもう限界だ)
 
 
止むを得ず、私は32km地点で再度トイレへ。用を済ませている最中
 
(体質改善体質改善体質改善体質改善体質改善体質改善体質改善体質改善体質改善・・・・・・っ!)
 
と、悔し涙を流したことは言うまでもない。
 
 
さて、残り10km。正直、辛かった。ペースはみるみる落ち、後ろからどんどん抜かれる。また、水を飲むとお腹が悲鳴をあげるので、軽々しく飲むことができない。
36km地点にある名物エイドである石川スイーツスポットをスルー。(このスルー、振り返っても涙が止まらない)
 
残り5kmの看板が目に入る頃には、疲労が意識を奪うが、それでも鳴り止まぬ応援に弱々しく御礼を返しながら、気持ちを維持する。
 
 
 
そして、フィニッシュ地点の陸上競技場が目に見え始めたときには、最後の力を振り絞る。
 

 
体力を少しも余すことのない状態で、なんとかゴール。やり遂げた達成感と幸福感は、何度味わったって飽きることなんて決してない。
 
ちなみに、タイムは3時間48、49分くらいでした。タイムよりも、最後までしっかり走り抜いた点で、自分自身によく頑張ったって言いたいです(鬼コーチがいたら、いい加減なペース配分の制裁でムチでしばかれていたかもしれませんが)。
 
 
その場でへたり込みたいところだが、フィニッシャータオルとメダルをかけてもらう喜びを抑えきれない。そのまま流れに沿って歩く。
 
 
参加賞を受け取り終わると、一気に気持ち悪くなり、耐えられなくなって隅っこにへたりこんでしまった。そして、急激な吐き気に襲われる。胃が逆流しているような感じで、唾液が口から大量に出始める。
 
(ヤバイヤバイ!抑えろよ意地でも)
 
と、呼吸を整えながら、内臓の暴動が収まるのを静かに待つ。近くを見ると、走りおえた後に参加賞のバナナを食べている人たちが目に入る。羨ましいな、と思う。本当に、貧弱ランナーです。
 
 
なんとか体調が回復し、完走証を受け取る。足を引きずりながら更衣室に向かい、身支度を済ませる。携帯電話を見ると、遠方にいる彼女から完走おめでとう♪のメールが届いていた。(この大会、携帯で名前を検索すればランナーの記録を追跡できるようになっていたらしく、彼女はそれをみていたらしい。)
 
 

 
着替えを済ませ、ようやく食事。参加賞のバナナと、配布してくれていたつみれ汁。つみれ汁は冷えた体にはとても染み渡りました。ただ、この量すらも完食ままならないほど疲れ切っていました。
 

 
大会では、別途金沢マラソンフェスティバルという石川グルメを集めた出店会場があった。
だが、前述のありさまでしたので、何も食べる気になれませんでした。カレーとかコロッケとかを、ビールと一緒に美味しそうに食べている人たちがうらやましい!体質改善!
 
ーー
 
 
その後、陸上競技場からフィニッシュを迎えるランナーたちを見届ける。
 

14時過ぎ、ようやく晴れ間をのぞかせ始める。しかし、風は冷たい。地元アイドルたちもステージで応援してます)
 
最後まで笑顔で走り抜く人、苦悶の表情を浮かべながら一歩一歩確実に歩みを進める人、スマホで写真を撮りながら楽しげにゴールに向かう人、夫婦(もしくはカップル)で並列して走る人、同じ国の仲間と国旗を持ちながら走りきるグローバル人たちーーどの方々もゴールの瞬間はそれぞれ主人公に見える。
 
帰りを待つ友(家族、同僚含む)に満面の笑みを浮かべておかえりなさい!と叫ぶ人たちもまた、大変に心惹かれるものがある。そのような人が待っているゴールもまた格別なんだろうな。
 
あと、ご当地アイドルほくりくアイドル部たちも、寒い中頑張ってくれていました。大会公式ソング『風になれ』、あれ、シンプルにいい歌ですね。リーダーの松井祐香里さんはフルマラソンに参加していたみたいです。すっかりファンです。
 
ーー
 
15時。
 
最後の15時40分まで見たかったのだが、いよいよ寒気で身体が病的に震え始めるのを感じたので、大変残念だが会場をあとにする。翌日は普通に仕事だしね(有給とっときゃよかったなあ)。
 
 
会場からのシャトルバスで金沢駅へ。余談ながら、シャトルバスは激混み。正直、歩いて駅に行けばよかったと何度か後悔した。少しでも脚に余裕のあるランナーは、ゆっくり歩くことをお勧めします。
 
ーー
 
金沢駅に到着し、そのまま特急電車サンダーバードに乗って大阪へ。運良く自由席に座れたので、軽く眠りながら約3時間の時間を過ごしたのでした。
 
 
金沢マラソン、本当に、語るに語り尽くせないほど魅力的な大会でした。走れば走るほど新しい発見がありそう。もしも来年も抽選が通るならばーーぜひもう一度!
 
 
おしまい!
 
 
 

金沢マラソン2018 前日ぶらぶら

 
土曜日。9時に起床。
 
 
(…頭が重い。)
 
 
頭の中にダンベルが2、3個入っているような気分。昨日はなんだか悪い飲み方をしてしまったらしい。ただでさえボーとした頭がさらに使い物にならなくなっている。
 
 
私はなんとか荷物を整え、9時半に家を出る。そして、思考停止のオートモード状態な頭で、北陸は石川県、金沢へと向かう。
 



 
金沢に行ったのはこれに参加するため。
 

○参加人数:約12,000人 
○コース:金沢市広坂通り(しいのき迎賓館前)をスタートし、石川県西部緑地公園陸上競技場をフィニッシュとするコース。日本陸上競技連盟国際陸上競技連盟及びAIMS公認コース〉
 
 
そうです。タイトルにもある通り、金沢マラソンです。これがわたしにとって2018年最後のフルマラソンとなる。
 
 
言い訳がましいが、最近ちょっといろいろ仕事で慌てて、正直万全とは言い難いコンディションである。だから、タイムとかはとりあえず気にしない。(本当にただの言い訳だね)。まあ楽しむことを第一に頑張りたいと思います!
 
 
さて、普通電車や特急電車を使い、14時前に無事金沢に到着。
 
 
 

金沢駅って、駅自体が巨大なモニュメントみたいでイカしてますね)
 
 
荷物を駅ナカのコインロッカーに預ける。案の定、どこも満杯。偶然、荷物を出す人がいたのですかさずそこにいれた。
 
身軽になったところで、前日受付会場に向かう。なお、駅内にある「石川県立音楽堂」というところが前日受付会場だった。
 
駅についてもまだ頭がボーとしていたのだが、駅内に沢山いた黄色いジャンパーを着た運営サイドの人たちが持つ「事前受付はこちら」という看板だけを頼りに歩いたら、無事に会場に到着できました。
 
すみやかにTシャツやゼッケンを受け取り、「もてなしメッセ」という前日の出し物をチラチラ見た。ただ、人が多くて疲れそうなので、さっさとその場を後にする。
 
 
駅に一度戻り、駅内にあるラーメン屋に入る。
 

(石川県を代表するラーメンチェーン店。ナルトの8マークがキュートです。写真は野菜ラーメン味噌味です)
 
 
 
このラーメンがこの日最初の食事だった。この時すでに15時。・・・マラソン前日とは思えぬ不規則ぶり。明日が思いやられる。
 
 
食べ終えたあとも、まだ頭がぼんやり。ちょっと金沢の街を歩く。駅から1kmくらい歩くと、人が賑わう市場にでくわす。
 
 

(金沢で有名な近江町市場。たくさんの魚介類や野菜などがそれぞれのお店の前に並ぶ。活気に溢れてました)
 
 
市場をぶらぶらしたあと、たまたま現れた循環バスに気まぐれに乗り込む。疲れていたのか、二日酔いのせいか、バスの中でウトウトと眠る。
 
 
約30分後。目を覚ますと、なんだか風情ある街並みのところだったので、とりあえず降りてみた。そして、バス停近くにあったオサレなカフェに入る。
 

(ほうじ茶アイス金箔じたて。)
 
美味しいアイスクリームでした。でも、なんて店だったっけ?わすれてしまいました。ただ、寝癖頭の無精髭男が1人で入ってはいけない雰囲気の店だったことは覚えてます。
 
 

(ひがし茶屋街。夜に来ると、なんだか雰囲気がありました。UFOまで写ってますね)
 
 
それにしても、金沢って欧米人の方々が多い印象。広島にいても同じように欧米の方が多いけど、金沢もそうだったんだね。知らなんだ。
 
ーー
 
20時前にホテルにチェックイン。そして、ホテルで自転車を借り、スーパーへ行き、晩御飯を購入。主にお米とふりかけ。観光地に来ているのに、なんと悲しい晩御飯である。本当は金沢の美味しい食べ物を、美味しい酒とともに楽しみたいのだが…。
 

 
酒の代わりと言っちゃなんだが、せっかくなので、茶屋街で見かけたお茶屋さんで買った加賀棒ほうじ茶を淹れてみました。(茶漉しと湯呑みはホテルにないので、100円ショップで買いました)。
 
大さじ2杯のお茶の葉を部屋に備えてあるコップに入れる。そして沸かしたての熱湯で約30秒、さっと浸出させて湯呑みへ。
 
 
濃厚な水色、そして香ばしさと甘さのバランスが好ましい。安いほうじ茶に多い独特なエグ味もなく、とても美味しかったです。カフェインも少ないので、眠れない秋の夜を過ごす、そこの憂い顔の貴女にもおススメです。
 
 
 ーーさて、なんの日記だったっけ?あ、そうそう金沢マラソンですね。しっかり頑張ります!
 
ーー
 
日曜日、四時半に起床。眠い…。雨降らないでよね~では、行ってきます。

続く
 

東北・みやぎ復興マラソン2018 備忘録

 
 
前回の続き。
 
10月14日(日)に催された東北・みやぎ復興マラソンに参加した。
 
 
 
 
 
さて、9時35分にスタートの号砲が鳴る。
 
 
 

 
 
これが本大会の高低図。コース序盤から中盤、また後半に数回、目立った上り下りがある。これだけみればなかなかなハードなコースと言える。だが、y軸をみてわかるように、最大でも10m程度の高さであるため、実際に走っている時は高低差はほとんど苦にならなかった。本当に、走りやすいコースでしたよ。
 
 
 
○0〜10km
スタートの号砲から約2分ほどしてスタートラインに到着。スタートライン前に立つ芸人コンビ「たんぽぽ」の白鳥さんにハイタッチ。
 
ちなみに、ほかにも朝の報道番組「とくダネ!」で有名な小倉智昭アナや、「でっかくなっちゃった!」で有名なマギー審司さんもいた。そういえば、ピコ太郎(大魔王)さんもいたっけ。大会を通して、カメラや女子アナもよく見かけた。どうやらこの大会は有名人やメディアが揃って盛り上げているようであった。
 
 
さて、スタート後もしばらくは混雑が続く。さすが大規模な大会。いつものように、ここは無理せずに流れにペースを合わせながらリズムを作る。
 
余談ながら、5kmあたりのトイレでは結構な行列ができていた。スタート待ちで数十分も動かずにいた人は、トイレがだいぶ近くなっていたのかもしれない。
 
(もしスタート前にトイレに行ってなかったらーー行っといて良かった)
 
と安堵。まあ、余裕のないスタートはもうゴメンだが。
 
 
○11〜20km
 
「がんばってくださーい!(ハイタッチを求めるちびっ子たち)」
「宮城に来てくれてありがとう!」
「ナイスラーン!かっこいいよー」
 
沿道の応援が続く。
 
(ありがとございます!)
 
と心で御礼。しっかりと元気をもらう。
 
 
どのマラソン大会も、沿道の応援は魅力的な存在である。だが、このマラソン大会は、特に応援が力強かった印象を受けた。幅広い年齢層の方々が一人一人笑顔で歓迎ムードに声援を送ってくれる。それが心地よかった。
 
周囲を走るランナーたちはまだまだ余裕そうな人が多かったため、その声援に返す人もたくさんいた。私も時折小さく手を振って返したりしたが、あまりはしゃいでペースを上げすぎないように気をつけた。(それが後半にくるからね)
 
 
○21〜30km
スタートから2時間弱経過したあたりで、「中間点」と書かれた看板が視界に入る。
 
ここで、今一度自分の体の状態を確認。
 
(足はーー大丈夫、疲労は薄い。息も上がっていない。お腹も今は落ちついているし、スタミナもまだ70%くらいあるかな(根拠0)。気になるのはやっぱり肩凝りか・・・でも、総じてかなり調子がいい)
 
まだまだ余裕。しかし、本番はここからだ。ここからのペース調整が一番難しい。中間ポイントから調子に乗ってしまい、後半にグダグダになるのがいつものパターンである。できるかぎりこれまでのペースを維持するように努めた。
 
 
 
 
さて、余談だが、この大会は応援にくわえてエイドステーション(給食給水ポイント)もかなり魅力的であった。
 
 
(大会HPより)
 

 
エイドステーションは全部で19ポイントもある。だいたい2km置きくらいですね。このお陰で、走る上で水分不足を感じることは全くなかったです。また、ウエーブスタート制(スタート時間を複数回に分ける方法)を導入していたせいか、大規模な大会にも関わらず、他の大会に比べてエイドステーションの混雑が少ないように思えました。
 
 
あと、給食もしっかり活用。全レースを通して「きゅうりの浅漬け」「うめぼし」「復興創生トマト」「冷凍イチゴ」「バナナ」をいただきました。浅漬けや梅干しはいい分補給になったし、トマトは丸ごと一個だったので、1kmくらいかけて食べました(笑)。イチゴは本当に冷凍状態だったので、ホフホフ言いながら口の中で転がしました。どれもとても美味しかった!
 
 
(あと、食べられなかったけど「はらこめし」や「一口そば」、なにより「ホタテ焼き」はやっぱり食べたかったなあ。それが心残り・・・・・・残念。食べた人がうらめしい)
 
 
 
○31km〜ラスト
 
30km地点に到達。いつもならば足に疲れを感じ、肩凝りがひどくなる。そして、そこから数キロしたら息が上がり、お腹の調子が悪くなり、ペースが落ちてくるのがお決まり。そうなると、あとは耐え忍ぶ苦痛の走りになる。
 
ーーしかし、この日は30kmを過ぎても調子が良い。感覚としては25kmくらいの状態を維持している感じ。
 
(せっかくだし、少しペース、上げようか)
 
と思った。絶え間ない沿道の応援が、その思い上がった考えを後押しした。大抵ここらへんでペースを上げてあとで後悔するのだが、今回は大丈夫な気がした。まさに前向きな攻めである(まあ、後ろ向きな攻めというのは聞いたことはないが)。
 
 
時計はみてなかったので、どれくらいペースを上げたのか自覚はなかった。ただ、他のランナーを抜いてしまうことも多くなったし、1kmごとにある現在地看板を見かける間隔が短くなるのを感じた。
 
 
と言っても、終盤はやはり少しずつ辛くなる。そして、
 
残り2km
 
この看板を見かけたあたりで、息が上がってくる。ペースも少しずつ落ちてくる。だが、足の疲労はそこまでではなかったし、まだまだ精神の方も高ぶっている。最後まで高揚した気持ちで走り切れると確信があった。
 
残り500m
 
の看板を見たとき、最後の体力を振り絞るように走った。本当に、このときが一番気持ちよかった。
 
 
 
ーーそして、無事にフィニッシュ。
 
 

 
写真にはないが、フィニッシュ後は子供たちがタオルや完走メダルをかけてくれた。その後に袋を渡されたかと思ったら、随時ミネラルウォーターやお米やおにぎり、パンなどを別の人が手渡してくれる。
 
(一回でまとめて渡してくれればお互い楽じゃないか?)
 
なんて野暮なことは一切思わない。本当に、参加賞を1つ1つもらうのが楽しかった。渡されるたびに「お疲れ様です!」と言われるのも嬉しかったな。ささいな事だけど、運営側は完走者の気持ちをわかってるなあ、と勝手に思った。
 
 
フィニッシュ後に動けなくなって、近場でへたり込むことが多い。だが、今回はそういうこともなく、そそくさとゴール周辺を後にし、着替えを済ませた。
 
 
 
 
さて、待ちに待った食事!これ!
 

 
参加賞でもらった赤飯おにぎりとライスミルクとミネラルウォーター。あとは、会場で開催していた「復興マルシェ」屋台で買った「せり鍋汁」と「牛タン串」を追加。
 
 
疲れた体に栄養補給。一心不乱に食べる!
 
 
うまかったなあ。
 
ーー
 
いつもならば大会終了時刻までゴールを迎えるランナーを応援してから帰る。だが、会場が広過ぎてどこが応援できる場所なのかわからなかった。また、食事した場所のすぐ近くで仙台空港行きのシャトルバス乗り場が見えたので、名残惜しくも、食事が終わったらそのままバスに乗って帰りました。
 
本当にだいまんぞくなマラソン大会でした。大阪からはちょっと遠いけど、また参加したいなあと思える大会です!
 
 
 
最後にタイムですが、だいたい3時間43、44分くらいでした。一応、自己ベストを10秒くらい更新?です。充実感のある走りができたので、タイムよりもそれがなにより嬉しかったです!こういう走りが毎回できるようになれたらいいんだけどなあ。
 

(…ん?人の頭?)
 
 
 
復興にはなにも貢献できませんでしたが、逆にこちらは最高の時間をいただきました。本当に何度も参加したいと思える素晴らしい大会でした。ありがとうございました!おしまい。