(場合によっては)コミュニケーション改善の答えは、パソコンを買うことにあった
彼女との電話(よくある例)。
「あ、もしもし?今度の旅行の件なんだけど」
「ああ、うん」
「メール見てくれた?旅行計画表送ったんだけど」
「うーん(テレビを観ながら相づち)」
「どう思った?そっちも行きたいところがあったら、まだ変更きくからいってね」
「あぁ、ごめん、まだ見てなかった」
「・・・まだ?3日前に送ったんだよ?」
「うん、今見てるよ~(スマホでメールを開くが、エクセルファイルなので見づらい。おまけに、知らない地名や場所の名前で興味がわかない)」
「どう?」
「・・・うーん。いいプランなんじゃないまあ、任せるよ」
「・・・なにそれ」
「いやあ、正直よくわかんなくてさ。こっちでもちゃんと調べておくよ」
「もういい!」
「いやゴメンゴメン、ちゃんと見るから・・。あ、五分たつから切るね(※)」
※無料電話時間が5分のスマホを使っている。
つぎかけても電話がつながらない、もしくはつながっても沈黙が続くーーこんなことがしばしばである。上の会話は本当に日常アルアルである。
遠距離の関係上、主なコミュニケーションツールは電話となる。
・・・しかし、顔の見えないコミュニケーションというやつはどうも苦手だ。顔が見えないことをいいことに、違うことをやれてしまうし、何より顔が見えないので相手の気持ちがわかりにくくなる。それに、無料電話の時間に制約があるのも面倒でしょうがない。
まあ、言い訳と言われれば反論の余地がないのだが・・・。それにしても、こんなズタボロのコミュニケーションが続いたにも関わらず、よく彼女は私を見捨てなかったものだ。きっと私には、口数の少なさを補ってあまりある何かがあるということだろう(経済力、高身長、幅広い人脈、顔面偏差値、優しさ、気遣い、語学力以外の何かであることは間違いない)。
ーー
日曜日の昼。
パソコンを取り出し、彼女に電話をかける。
「あ、もしもし?準備できた?」
「うん、今起動した」
「じゃあ、電話するねーーおお、電話が発信されたぜよ!」
「え、うそ、まだきてないけど・・・・あ、きたきた!じゃあ、スマホは切るね」
「おお、顔が見えるぞ顔が!そっちは映ってる?」
「え、映ってないよ?ちゃんとカメラモードにしてよ」
「あ、ごめんごめん、えーとーーあ、これか!ほれ」
「あ、映った映った!あとさ、これ押せば私のパソコン画面も見えるんじゃない?」
「本当だ!すごいなあスカイプってーーこれが無料なんでしょ?時代は進んでるわ~」
「いや、まあビデオ通話ならラインでもできるんだけどね」
「ラインってすごいなあ。俺もラインやってみようかなあ~(※2))」
※2 私はラインをやっていない。使い方がよくわからないのと、友達があんまりいないから。
「じゃあさ、私の画面映すから、旅行行程表見ながらスケジュール確認しようよ」
というわけで、この日、いつも5分続かない電話が1時間続く。本当に、便利なツールが世の中にたくさんあるんだなあ、と改めて実感したのであった。
ーー平成も終わるというのに、2019年にこんな日記を書いている私って、大分時代遅れですね(笑)
まあ、別に、パソコンじゃなくてもスマホでもできたんだろうけど、パソコンを手に入れた喜びが私をスカイプへと突き動かしたのである。彼女とのコミュニケーションが改善されただけでも、パソコンを買った意味があったというものであろう。やっぱりパソコンを買って良かったなあ。
いやあ、パソコンを手に入れたことがうれしくてしょうがない毎日です。ああ楽し。単純?
答えがわからないので、とりあえずパソコンでも買う
人びとは、失敗したことより行動を起こさなかったことを二倍後悔するという。なぜだろう?私たちは失敗を正当化するが、何も試みなかったことは、正当化できないからだ。さらに、歳を重ねていくにつれ、人は良いことだけ覚えていて、悪いことは忘れてしまう傾向にある。そんなわけで、単純に多くのことを経験すればするほど、年老いたときに幸福感が増し、孫に聞かせる武勇伝も増えるというわけだ。
エリック・バーカー『残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する(原題:Barking up the wrong tree』より
あっという間に2月が終わり、3月に突入した。
2月もいろいろあった。しかし、気持ちが悶々としており、どうも日記を書くことができなかった。
ちなみに、2月には京都マラソンに参加した。満足のいく走りであり、しっかり日記に書き残しておきたかった。だが、途中まで書いたものの、最後まで書き切れなかった。(まあ、いつか続きを書こう)と思っていたら、あっという間に2週間が過ぎ、すっかり走ったときの記憶が薄れてしまった・・・なんとももったいない。
さて、3月になり、会社からは売上ノルマの達成を一層強く命じられ、プライベートでは彼女や両親から結婚準備について一層急かされることになることが予想される。そのストレスからだろうか。何か大きな買い物をしたい衝動に駆られる。
ーーそして、買ってしまった。
どーん!新しいノートパソコンでーす!!わーいわーい。今まで使っていたオンボロPCとは違い、富士通の最新ノートPCちゃん。ざまあみろってんだ。ついでに、インターネット環境もちゃんと整えた。これでスマホやIpadだけの中途半端ネット生活とはおさらばじゃ。
まあ、今までこういう高い買い物をするときは、「なぜそれを買う必要があるのか?」ということを熟考していた。そして、その必要性が高いと感じなければ決して手を出さなかった。それが時間もお金も無駄にしないために必要な作業だと思っていた。
・・・だが、ここ最近、いろいろな本を雑多に読み漁ったり、仕事でもマンネリ感を打破するためにいろいろともがいているうちに、考えが変わってきたんです。つまり、なんといいますか、「あまり考えすぎないで、もっと積極的に行動してもいいのかな」って思ったんです。
いや、熟考することが悪い、っていいたいんじゃないですよ?ただ、ちょっとその考えが当たり前になりすぎて、新しいことをしなくなっていたかなあ、って思ったんですよ。
必要性というものは、本当に事前にわかるものなのだろうか?それを使っていくうちに得られることって、きっとたくさんあるんじゃないのか?もしかしたら、今まで自分がたくさん時間をかけてきた「事前の熟考」作業は、自分が新しい経験を積むための機会を切り捨ててしまっていたのではないか・・・?と、少し後悔したわけです。そう思ったとき、パソコンを買うことはもはや必然となっていたんですね。よくよく考えるのも大事なのはわかるが、お金を使って新しい刺激を求めることも・・・大事なことでしょ?そうなんです。そういうもんなんです、人生って(長々と誰にいってんだろう)。
ーー
さて、家で初期設定を済ませ、家の近くのファミレスに移動し、この日記を記す。
(なんという打ち心地でしょう・・・)
前に使っていたノートPCは相当打ちにくかった。そのPCが壊れた後はIpadで日記を書いていたが、それはさらに使いにくかった。日記を書く頻度が減ったのは、もしかしたらここに原因があったのかもしれない。
(これで日記の更新頻度も一気に増えることだろう。いやはや、キーボードにこだわってよかった。さて、たまっていた写真の整理をしようかな。部屋の書籍もどんどん電子化して、パソコンで一括管理しよう。部屋が広くなるぞ。そうだ、エクセルの勉強を本格的にしてみるのもいい。あ、思い切って動画編集の勉強しようかな。いっそのこと、パソコン教室にでも通ってみようかしらーー。)
パソコンが生まれ変わり、私も一緒に生まれ変わるーーという単純なものじゃないだろうけど、でも、環境を少し変えてみるのもきっと大事なんですよね。文章はつまらないですが、なんだか気持ちがワクワクしております。(数日してほこりかぶっていないことだけを祈ります)