走れば走るほど(しまだ大井川マラソンinリバティ)
学べば学ぶほど、自分が何も知らなかったことに気づく、気づけば気づくほどまた学びたくなる。
10月29日。日曜日。
朝、5時に起床。この日は静岡に宿泊。それは、「しまだ大井川マラソン」があったため。
昨晩はなかなか眠れなかった。どうしても、マラソン大会が実施されるかどうか気になってしようがなかったからである。当日の朝になり、予定通り実施する旨、公式HPより発信されていることを知る。ここでようやく、走るためのスイッチを入れることができた。
ホテルで朝食を済ませ、着替えなどの準備を済ませたら、いざ出陣!
7時30分ごろに会場最寄り駅である島田駅に到着。到着すると、エキナカにはすでに多くのランナーが所狭しにいらっしゃる。会場にさっさと向かって行く方もあれば、雨を前に進むのを躊躇する人も。(私は躊躇するタイプ。)
約10分くらいウダウダしてからようやく会場に向かう決意。と、その前に、駅前にある栄西像にご挨拶。
歴史の授業で習った通り、鎌倉時代に臨済宗を開いた超有名人。その一方で、実は中国から茶を飲む習慣を日本に持ち込んだ人であるということは、あまり知られていない。茶世界のバイブルである『喫茶養生記』を記し、ニホンノデントウである「茶」の文化をこの国に根付かせるきっかけとなった伝説の人。(だから、茶産地である島田市に銅像があるんですね)
まさに宗教に関係なく尊敬できる人物。そんな栄西様に、今日は満足のいく走りができるよう、願掛けをした(知らんがな、という栄西氏の声が聞こえた)。
――
さて、歩いて10分ほどして会場に到着。
(……うわ)
会場について早々、私はある後悔に駆られた。それは、
雨具を何も用意していなかったこと
である。
みんなカッパやらウインドブレーカーやら、ゴミ袋で雨対策をしている。まあ、雨降りの中を走るうえでは基本的なことであろう。にもかかわらず、私は晴天の時と同じような身軽な格好。アホまるだしである。(※)
(※)全員が全員、雨具を身に着けているわけではない。だが、身に着けない人はちゃんとした理由がありそうな人ばかりだった。そして、私は、十中八九着るべき人間なのに、単純に忘れてしまった大ウツケなわけである。少なくとも、みんなが雨具を身に着けている姿を見て、私はそう思った。
到着早々、関係ない所で気持ちが沈んだ(まあ、自業自得である)。落ち込みながら軽くストレッチ。
【コンディション】
気温: 15〜17℃
天気: 雨(雨→土砂降り→雨→小雨→雨→土砂降り→小雨→雨→土砂降り――を繰り返す)
風: 穏やか。ほぼ無風?
なお、今回のコースはこんな感じ。
折り返し地点を挟むと、対称的に見える。高低差は少なく、比較的走りやすいコースと思われる。
さて、今回の目標は、
「絶対に完走」「歩かない!」
の2本を掲げた。これは、決して小さな目標とは思わなかった。それは、雨の強さ次第で先行きが全く読めなかったからである。
台風の影響から、おそらく、スタート段階よりも雨が弱くなってくれる、ということは考えづらい。天気は時間の経過とともにどんどん悪化していくことだろう。すると、晴天の時には許されていたことが、今回の天気では命取りになることも十分に考えられる。だからこそ、完走すること、そしてどんなことがあっても歩かずにゴールを迎える、ということを第1に考えた。それくらい、この日は慎重になっていたわけである。(まあ、雨具を忘れて精神的ダメージを受けていたことも多少関係するが)
さて、スタート!
〇スタート~10㎞ 5:55/km
スタート後は市街地を駆け抜ける。雨天なのに声援を送ってくれる方々の気持ちに感謝。しかし、気持ちを高ぶらせすぎず、ゆっくり走ること最優先に意識。
4㎞程度走ると、市街地を抜け、マラソンコースに突入。大井川沿いをせっせと走るコースとなっていく。
さて、5㎞あたりの最初の給水ポイントで惨事。なんと、雨が強くて給水ポイント前の道路が完全に水浸しになっていたのである。
ランナーたちは悲鳴をあげながら隙間道を走ったり、コースアウトしながらその水を避ける。おそらく、給水しそびれた人も多かったことだろう。
(……こりゃ大変だぞ。中止になることも有り得るだろうな)
出だしから嫌な予感。しかし、こんなのはほんの序の口であったことを後々知ることになる。
――
市街地の沿道にはたくさんの人が応援だったが、マラソンコースに入ると、応援は一気に減る。それくらいに沿道の足場は悪く、雨を防ぐものがほとんどなかったわけである。そんな中でも応援してくれる方々もおり、心より御礼。応援の絶対数は少ないものの、だからこそ、一つ一つの応援が響く。
その応援も途絶え途絶えになると、もう雨が道を打つ音と、ランナーの足音のみとなる。雨は不定期に強弱をつけながら振るため、ランナーを一喜一憂させていた(まあ、私の話ですが)。
(天気は一向に良くならない。……本当に、中止になるんじゃないかしら)
気持ちが重くなりながら、もうすぐ10kmかというタイミングで最初の助っ人が登場。
荻原健司氏。スキー界のキング。今回の大会のゲストである。上がり切らない気持ちを高めるべく、この方にハイタッチ!おかげで、なんとなくもやもやしていた不安が払拭されました。
しかし、運営サイドもこんな序盤でキングオブスキーを送り込むとは。ランナーの心境を察した見事な判断と思った。
〇11~20㎞ 5:35/km
少しだけペースを上げていく。しかし、それでも上げすぎないように調整。
(とりあえず、後半まで様子を見て、焦らずに行こう)
と考える。ここまでは、ただひたすらに我慢しながら慎重に走り続ける。
〇21〜30km 5:45/km
20㎞地点を超えた段階で疲れは無し。いつもだったら少しずつ呼吸が荒くなってくるのだが。
(……ちょっと、慎重すぎたかな)
最初の折り返し地点にたどり着く。軽やかな足取り。疲れはほとんどない。これは逆に調子がいいのでは?と思うほど。
調子に乗りそうな気持を抑えつつ、前を見ながら走ると――
(あ!)
サブ4ペースメーカーの後ろ姿。その周りをサブ4狙いのランナーが取り囲む。
(もしかしたら、サブ4行けるペース?意外としり上がりでペース上げられるかも?)
と、昂揚感が高まる。だって、今回はタイムはとりあえず考えていませんでしたから。
そんなことを考えていると、前に再び助っ人登場。
ご存知、千葉ちゃんこと千葉真子氏。ここも浮足立ってハイタッチ。
「よーし、順調!ナイスラン!」
と激励をいただく。気分はもう最高潮!ペースがどんどん上がっていく!!
――と思ったのだが、そうもいかず。
(……もう限界である)
ここあたりでトイレに行きたい衝動を抑えられなくなる。
(この天気だし……我慢し続けるのは無理だな)
走っているうちはあまり気づかないが、振り続ける雨の影響でからだの中はすっかり冷え切っていたようだった。
24㎞地点でやむなくトイレに入る。しかし、タイムロスなどは気にしない。雑念を捨て、目標達成だけを頭に入れる。
トイレで用を済ませて仕切り直し、ペースを整えながら走る。
――
しばらく人気の少ないコースが淡々と続く。横を見ると、今にもあふれかえりそうな大井川。雨は強弱をつけながら振り続ける。すでに走路は水浸し。ここで靴が水に浸かることを気にしているランナーは、おそらくほとんどいなかっただろう。
〇31~35km 6:40/km
30kmすぎ、しまだ大井川マラソン名物の大エイドステーションがランナーを迎える。これを楽しみにしている参加者も多い。
(これは公式画像。当日はこんな晴天ではない)
しかし、私はここにきて限界に到達。再びトイレに駆け込む。……だが今回は単純な体内の水分排出だけでは済まされない状態だった。
(……気持ち悪)
雨によって体が大分弱っていたのかもしれない。筋肉の痛みよりも、内臓の悲鳴が体を動かなくさせる。本来ランナーにとって楽しみのはずの大エイドステーションが、今は避けなければリタイア直結の物となっていた。
楽しそうなランナーを横目に私は大エイドステーションを抜ける。抜けた後も、気分が相当悪い。
(こんな時は、日ごろの練習を思い出すんだ――)
と、少年漫画のように思うわけだが……。
「ああ、今日は雨か。じゃあ、休みの日~(笑)」
「二日酔いで気持ち悪……。今日は体を労わろう。それもできるサラリーマンである」
「走りたいけど、今日は勉強する日って決めてんだ。走っている場合じゃない!あ、その前にコメダ珈琲に行って気分転換しよ」
(……言われてみれば、雨の中走る練習ってしたことなかったなあ。それに、ここ最近、何かにつけて練習さぼってたし……。マラソンって、日頃の積み重ねなんだね)
マラソンに向き合ううえで、基本的ながら最も大事なことを、今更ながら再認識する。私には、ピンチの時に己を支えてくれるものが悲しいほど何もなかった。
(何という薄い背中よ。しかし、これが本来の実力である……)
と無念極まりない心地。雨の力で自分の中にあった薄っぺらの皮が剥がされたのであった。
……しかし、当初掲げた目標である
「絶対に完走」「歩かない!」
だけはどうしても成し遂げたかった。それだけを頭において、腹を手で温めながら走りをつづける。
〇36km~ラスト 7:00/km
ここはもう、つらかったことしか覚えていない。肉体的な疲労と内臓の疲労が相まって、正直地獄であった。どんな道を走ったのかも、あんまり覚えていない。だから、書くこともあんまりない。
ただ、お経のように頭の中で
(歩くな歩くな歩くな歩くな歩くな歩くな歩くなーー)
と唱え続けていたように思う。ほとんど歩いていると変わらないペースであったとしても、ここは自分との戦いだけである。
もしも、ここで
実はゴールは43.195㎞でした!がんばって!
と言われたら、たぶんゴールできなかったかもしれない。
そんな状態、そしてあと残りわずかというところ――。
「4時間以上走った自分をほめてあげましょう!そして、ゴールは万歳をしましょう!ここで恥ずかしがったら絶対もったいない!」
という、大会ゲストのDJケチャップ氏の声が聞こえる。この声に従うまま、小さく万歳をして――
ゴール!
ゴールして近場で寝そべりたかったが、あたりがご覧のありさまだったので、ヨロヨロとその場を立ち去る。
小中学生と思われる方々が、「お疲れ様です」と計測チップを外してくれたり、「お疲れ様です」と笑顔で参加賞の飲み物をくれたり、「お疲れ様です」とTシャツを渡してくれた。当然ながら、彼ら彼女らも、雨に濡れ靴も泥だらけになりながらその仕事をしてくれている。
もう、あなたたちはいったいどういう教育を受けたらこんな大変なことをそんな素敵な笑顔でできるんだ!
と心の底から思った。走り終わった直後、心身ともにギリギリの状態で思ったくらいだから、走り終えた今、その思いはさらに強い。
本当にありがたかったです。こんな天気でも走り切ることができたのは、こういったサポートの方々の力が大きいのだと思います。
――
脚を引きずりながら預けていた荷物を受け取る。そして、早々に帰りのシャトルバスに向かう。
「こちら、温泉に向かうバスでーす」
という声が耳に入る。どうやら、島田駅行きのバスと、近くの温泉に向かうバスの2タイプがあったらしい。
私は帰りの時間を確認しながら、どうしてもお風呂に入りたい欲求に駆られて、風呂行きのバスを選ぶ。
(余談だが、バスの座席はすべてビニールシートで覆われている。ずぶ濡れのランナーを乗せるわけですからね。)
出発前のバスの中で、参加賞のおむすびをいただく。正直、まだ体調がすぐれなかったのであまり食は進まなかったけど、ちびちび口に入れる。おいしかった!
シャトルバスが発進し、温泉に向かう。バスの窓から外を見ると、まだ走っている方々の姿が目に入る。
心の底から応援。届かない声援だろうけど、この方々が完走することを切に祈る。それと同時に、最後まで声援を送り続ける方々のことを思うと、本当に頭が上がらなくなる。
――
その後、バスで約30分で、「伊太和里の湯」に到着。
幸せだった。とても幸せな入浴だった。ただ、私の場合、帰りの時間も迫っていたので、10分くらいの入浴時間だった。許されるならば、1時間以上風呂に浸かっていたいくらいだったが。それでも、冷え切った体を温めるのには十分なほど、幸せなひと時であった。本当にありがとうございました。
再びシャトルバスに送られ、島田駅に到着。シャトルバスの運転手やアテンドの方々も、土砂降りの中、ずぶ濡れのランナーを送るという、本当にやっかいな仕事だったでしょうに。温かいご対応、本当にありがとうございます。本当にありがたかったです。(なんかしつこいかもしれないけど、やっぱり書いておきたい)
島田駅に到着し、切符を買っていた頃、
パンパーン
という音が聞こえる。同時に、あたりから
あ、おわりかあ
という声が聞こえる。時計を見ると、16時。制限時間に達したようであった。
ーー
その後、浜松駅まで電車で揺られる。雨脚はさらに強くなっていった。
(浜松駅前)
浜松駅に到着。エキナカで晩御飯を購入。
そして、イソイソと大阪行きの高速バスに乗る。バスの中では起きてるんだか寝てるんだかよくわからない気分で、マラソンを振り返る。
ーー
夜の23時頃に家に到着。帰ったらすぐに寝てしまう。なんだか慌ただしい一日であった。
――
さて、この日の結果だが、タイムとしては
4時間20分弱
でした。個人的には当初立てていた目標である「完走」と「歩かない」は達成できたのだから、万々歳な結果である。
ただ、今こうして日記を書いて思うのが、
フルマラソン、全然わかっていなかったなあ
ということである。
練習不足は否めない。もっと本番で力を発揮できるような積み重ねが必要だろう。あと、緊張感も少し持たなくては。雨具を忘れるあたりはマラソンに対してあまりにいい加減な態度と言わざるを得ないだろう。30kmあたりの体調不良も、もしかしたら避けられたものだったかもしれない。
まあ、一方で、そんな体調不良の中でも、最後まで自分の目標を達成すべく走り続けたことは、素直にほめてあげたい。 たぶん、今までのフルマラソンの中で一番リタイアが脳裏をよぎった大会だった。それくらい、35㎞からはつらかった。まあ自己満足だけど、あそこからはしっかり頑張ったなあと思う。次回からは辛くならないようにしなくては、だけどね(笑)
本当に、まだまだ学ぶことの多いマラソン。経験を重ねて、もっといい走りができるよう、頑張っていきますで。
おしまい。