ギザ十な日々

2人の息子と妻との日々を書いています。

ミーハー、上等!(ありがとう、金足農業)

 
 
 
 
(ただの金足農業びいきのくだらない人間の日記です)
 

 
 
 
15時過ぎ。
 
 
取引先での商談を終え、営業車に戻る。ラジオは高校野球の実況を再開する。営業車をコンビニに駐めて聴き続けるほどの肝の座ったサボり根性はなかったので、そのまま事務所に向かった。
 
 
車を発進した頃には、5回裏の大阪桐蔭の猛攻によって、1対12と点差が広がっていた。そして、6回から絶対的エースである吉田選手が交代し、代わりにサードを守っていた打川選手がマウンドに立った。
 
ラジオで解説をする方々の声が、私が商談に入った14時半頃とはまるで別人の印象を受けた。なんというか、解説する際にいちいち言葉を選んでいるような感じ。14時ごろは、高揚感を抑えきれない様子だったと思うのだが。話す内容も、大阪桐蔭の打線の凄さが中心になっており、吉田選手の名前はあまり出なくなっていたように思えた。
 
 
(・・・・・・むしろ、車を停めなくてよかったのかもしれない。)
 
 
聴くのが辛かった。ラジオで聴いている私はそうだったけどーー秋田から駆けつけた方々は、どうだったんだろう?あくまで私個人だが、ただただ、早く試合の決着がついてくれることを望むようになっていた。彼らが早くこの状況から解放されて欲しかった。試合の最中にこんなことを考える応援、なんと情けないことだろう。
 
 
 
偶然、高速道路で事故が発生し、大きな渋滞に巻き込まれた。予定であれば、15時半に
着く予定だったが、車は完全に停止状態。後ろからは、救急車と消防車と、覆面パトカーが次々からやってくる。私も前後の車がするように車を端っこに寄せた。どうやら、しばらく渋滞は続きそうだった。サイドブレーキと引き、ギアをPに入れた。
 
私は、ラジオを聴くことだけに専念した。地元民として、彼らの頑張りを最後まで応援しなければならない、と、実に勝手でなんともミーハーな、馬鹿げた考えに正直になることにした。(大阪に住んでいても、やはり地元は金足農業という認識である)
 
 
 
 
 
 
16時半大阪桐蔭が金足農業の菊地選手を打ち取り、2対13で試合終了した。そして、大阪桐蔭の2度目の春夏連覇という前代未聞の偉業によって、100回目の甲子園に幕をが下りたことを告げた。
 
 
 
 
試合が終わった後も渋滞はしばらく解消されず、結局、両チーム選手の素晴らしいインタビューや、閉会式の言葉まで聴くこととなった。選手インタビューはネットニュースで嫌という程出てくると思うので、ここは秋田県民の気持ちを代弁した言葉だけを書いておく。
 
 
 
金足農業の選手の皆さん、準優勝、おめでとうございます。
秋田大会から一人でマウンドを守る吉田投手を他の選手が盛り立てる姿は、目標に向かって全員が一丸となる、高校野球のお手本のようなチームでした。
第1回大会は、秋田中学が準優勝しました。第100回記念大会も秋田のチームが準優勝ーー歴史の巡り合わせを見た思いがします。
大会審判委員長・日本高等学校野球連盟会長 八田氏
 
 
準優勝は秋田代表、金足農業です。頂点にはあと一歩及びませんでしたが、秋田代表として第1回大会以来、103年ぶりの決勝進出という、輝かしい歴史を球史に刻みました。吉田投手の快投、果敢で隙のない打線、そして、土壇場での数々の逆転劇は、多くの人の記憶に残ることでしょう。金農ファンの待つ地元秋田へ、堂々と胸を張って戻ってください。
大会会長・朝日新聞社社長  渡辺氏
 
 
この言葉の後、ラジオからは音割れするほどの歓声が響いていた。おそらく、秋田県民たちはこの言葉がなによりも響いたことであろう。少なくとも私はそうであった。(ここら辺の言葉を一部抜き取り、筋違いな批判がされたら、なんだかツライです。ネット批判はすでに始まってるようですが)
 
 
 
W杯で渋谷ではしゃぐ人々の気持ちがまるで理解できなかった。ただのミーハー群衆に思っていた(失言)。でも、今ならば彼らの気持ちがよくわかる。ミーハーでも、応援できる喜びって、やっぱりいいもんなんだね。そう思うと、ミーハーな方が、感受性豊かな人生と言えると思う。    
 
 
 
ともかく金足農業の皆さん、最高の甲子園をありがとうございました。たくさんの感動をいただきました。私ももっともっと頑張ろう。
 
 
 
・・・・・・・こんな日記を書いてなんになるのか知らんけどね。録画していた決勝試合観ながら書きたい衝動に動かされたのでした。これはすごいことである。こんなに日記に怠惰な私を、他者を応援するのが大嫌いなコジンマリとした私を、動かすくらいですから!!!