ギザ十な日々

2人の息子と妻との日々を書いています。

叫びのない爪痕

 

 
水曜日。朝。
 
家を出てから、駅までのあいだ、特に台風21号の被害は感じられない。まあ、枯葉やゴミが散乱していたが、それは台風の規模に関係なくお馴染みの光景だろう。
 
テレビの街の被害を伝える実況はどこかバラエティじみている感じがしたし、大きな被害として放送するのは関西空港が中心の印象。外国からの旅行者は大変気の毒だが、こちらとしては、私生活を送る分には何も問題が無いように思えた。
 
 
 
(身の回りを見る限り、当初感じていたよりも大した台風ではなかったのかもしれないなあ)
 
 
と思いながら、会社の最寄駅につく。そして、上の写真である。
 
なんの写真かわかるかしら?毎日「おはよう」と声をかけていた樹がいた場所である。いや、正確に言えばまだそこにいるのであろう。見る限り、あたかも刑事ドラマの死体現場のようである。
 
駅から会社に向かう約10分の徒歩中も、同じようになぎ倒された樹、巨人が斧を振り下ろした後のように無惨に裂けた樹を、何度も見かけた。
 
 
 
(…あれ?思ったよりひどかったんだろうか?)
 
少しざわつく。だが、周りを見れば、何事もないように出社しようとする社会人たちの波。その波の一部になると、いつのまにか、ざわつきはおさまっていった。
 
 
ーー
 
会社に着くと、同僚たちがいつものように、全く欠けることなく出社する。始業時間まで軽く世間話のように昨日の自宅待機の過ごし方について話したが、まるで休日の過ごし方を聞くような平和な内容ばかりであった。
 
 
朝礼も、特に台風に触れることなく、代わり映えのない内容。そして、いつものように仕事が始まる。
 
 
 
取引先に、台風の被害状況を確認する。一部、大きな被害のあるお客様がいた。しかし、ほとんどのお客様は被害はなさそうだった。昼過ぎになる頃には、主要な取引先の状況を確認し終え、夕方になる頃には「とりあえず被害を確認するのがマナー」程度になっていた。
 
 
ーー
 
終業後、少し早めに帰宅。そして、約1週間ぶりに近所の河川敷を走る。
 
 

 
 
 
 

 
 
(……え?)
 
 
木材やブルーシートが散らばる。大量の細かいゴミはもちろん、冷蔵庫や
テレビ、タンスなどの粗大ゴミが、あたりに散っている。画像にはあまり写ってないけれど、なぜか大量の買い物カゴが散らばっていた。
 
 
(あ)
 
 
今更のように思う。河川敷には、私たちのほとんどが知らない世界があるということを。それは、テレビやYahoo!ニュースなどではほとんど取り上げられない世界である。そして、その世界で生きている人たちがいる。
 
 
……彼らは、あの台風の中、どうしていたのだろう?今は、どうしているのだろう?ちゃんと避難できたんだよね?
 
朝のテレビや、仕事サボりで見たネットニュースの台風状況を思い出すが、上の疑問の解決につながるすような情報は何もなかった。
 
 
 
なんだか怖くなり、逃げるように河川敷を抜け出した。
 
 
ーー
 
 

 
河川敷をのぼって、一般道を歩いて帰ることにした。
 
街に出ると、そこはまたいつもとは異なった世界だった。停電の影響で、信号機が機能していなかった。自動販売機やコインパーキングは動いていない。歩いていると、倒れてしまった自動販売機や、鉄パイプがへし折れた看板をチラホラ見かけた。停電している区域では、コンビニも閉店していた。いつもより、赤色のカラーコーンを沢山見かけた。
 
 
停電区域から1kmも歩くと、あたりはいつものようにパッと明るかった。暗い空間を過ごすと、その明るさがとてもありがたかった。
 
 
帰り道、スーパーに立ち寄ってみる。常温品はいつも通りの品揃えなのだが、生鮮品や日配品、惣菜などはほぼ何もなかった。補充がままならない状況だったのだろう。とりあえず、お米と牛乳の代わり豆乳を買った。
 
ーー
 
20時前、家に到着し、シャワーを浴び終えたらテレビを点ける。
 
テレビは昨日の台風が嘘のように、通常放送のバラエティ番組ばかりだった。それにとても違和感を抱いた。
 
でも、それは少しだけ私よりも早いだけで、私もまたいつものように、すぐこのテレビのペースに追いつくんだろう。テレビもシャワーも使えない人たちが沢山いるんだから、私はかなりお気楽な身分だしね。
 
ただ、今はメディアで報じられているよりも、ほんの少しだけ、ほんの少しだけ台風の恐さを感じている。まあ、こんな気持ち、すぐに忘れてしまうんだろうけどね。