ギザ十な日々

2人の息子と妻との日々を書いています。

10円が教えてくれたこと

 
 
 
今日。なんにもしなくていい日曜日だった。
 
 
 
筋トレをした後に軽くランニングをし、朝食を食べ終えた後は部屋でゴロゴロ。やることがないので、無意味なネットサーフィンに時間を費やす。
 
 
 
(…はあ、つまらんなあ)
 
 
人間、何かやっていないと少しずつ不安になってくるものである。
 
(あと何十年かして人生を振り返った時、おそらくこういう時間の過ごし方にすごく後悔することになるんだろうな…)
 
 
 
と思い、気持ちが萎える。そんな時、テレビ台の上のアレが目に入る。
 
 

(アレ)
 
お菓子のプラケースに入れた大量の10円玉。小銭入れから10円をよく取り出して入れているうちにかなりたまっていた。
 
え?なんでそんな事してるかって?そりゃ、10円玉には消臭効果があるっていうでしょ?これで消臭剤いらずじゃん。(知らんけど。多分間違っているけど)
 
 
 
 
少年の頃、10円玉を手に入れた時には、それがギザ十なのかどうか逐一確認していた。そして、それがお目当てのギザ十だった時には、宝物のように大切に机の中にしまっていたものである。(あのギザ十たち、どこに行ったんだろう?)
 
少年の頃は、ギザ十を見つけることすらワクワクする遊びの一つだった。本当にいろんなことを遊びにできていたんだよなあ。…それが今はどうだろう?せっかくの休日を無意味にネットサーフィンに過ごし、なんの興奮もないまま時間だけを過ごすばかりである。
 
 
(…よし、久しぶりに数えてみるか。)
 
 
ということで、たまった10円玉の中から、ギザ十を数えることにした。
 

(一枚1円玉が混ざってました)
 
 
 

 
全部で362枚。子供の頃だったら、大変なお金だったことだろう。この大金を持って、中古のスーパーファミコンのカセットか、藤子・F・不二雄先生の漫画を買いに行ったに違いない(そして店員さんに苦い顔をされただろう)。
 
 
さて、この中にギザ十は何枚あったでしょうか?
 
 
 
・・・・・・答えは!
 
 
 
 

 
12枚!12/362なので、おおよそ30枚に1枚の割合ですね。
 
 
(これが多いのか少ないのかーー、ん?あれ?30枚に1枚?)
 
 
 
 
ーーここでふと、思う。そして、私は震えた。
 
 
(10円玉の総数がおおよそ1年間の日数を表している。これは偶然だろうか?…では、ここでいう「ギザ十」って、私にとって何を意味しているのだろう?)
 
 
私は、
 
(良くも悪くも)特別だと思える1日
 
 
と思わざるを得なかった。(まあ、もう少しお付き合いください)
 
 
 
 
私たちが年の瀬に1年間を振り返ってみた時、「ああ、あの日は記憶に残る1日だった」と思える1日って、どれくらいあるだろう?
1年間のうち、1日か2日くらい?もしかしてゼロ?365日毎日が特別?
 
 
こういうのは、統計学の範疇ではない。だって、「特別な1日」なんて、人によって捉え方がちがうものであり、明確な定義づけができないのだから。…でも、なぜだろう、この、30枚のうち1枚にギザ十があるという状態が、妙に私の気持ちをざわつかせる。それはつまり、もしかして、今の私にとって特別な1日とは、
 
 
1ヶ月に1日あったらいいくらい
 
なのではないだろうか?
 
 
こじつけもここまでくると病的かもしれない。ただ、数字的な根拠が何一つあるわけではないものの、
 
 
特別な1日が減っている
 
という感覚については、思い当たる節がないわけではない。それどころか、最近の主たる悩みでもあった。
 
 
ーー最近、どことなく日々の生活に惰性を感じていた。仕事でも、眠れなくなるほどの緊張感を持つことはほとんどなくなった。業務で成果を上げたとしても、「別に俺じゃなくても出来たこと」と、感情の高ぶりが少なくなっていた。失敗しても、被害を最小限に抑えるように体裁を繕えるようになっていた(実際できてるかはわからんが)。
  プライベートも、今の彼女とうまく行っている。でも、付き合いたての頃のような心騒ぐ日々というよりかは、なんとなく落ち着いた関係になっているようにも思う。それが不満ということではないんだけど・・・。
 
 
 
この前、何気なく見ていたNHKの『チコちゃんに叱られる!』という番組の中で、
 
大人になると1年が早いのはなぜ?
 
ということについて取り上げられていた。
 
 

 
 
その回答は、年齢を重ねるとトキメキが少なくなるから、というものだった。(詳しくは自分で調べてね)。もちろん諸説あるから一概には言えないんだろうけれど、妙に納得してしまった私がいた。今の私にとって、トキメキはどれくらいの頻度で感じられているのだろう?…もしかして、目の前にあるギザ十と同じくらい、珍しいことになっていないだろうか?
 
 
ーー幼き頃は、毎日が本当に刺激的だった。雨が降っただけではしゃいでいた。母がカレーを作った時にはさらにはしゃいだ。学校の授業で体育があるだけで絶望だった。図工があるときはもっと絶望だった。クラスの好きな女の子と話しただけで天に昇った。バレンタインデーの日なんかチョコをもらえるわけないのに、朝からずっとソワソワしていた。2000年問題の時には、ノストラダムスの予言に心がざわついた。給食に小さな虫が入っていた時には発狂していた。・・・なんというか、30日に1日くらい、なんでもない日があったくらいじゃないだろうか?と思ってしまう。
 
 
無論、どっちが幸せということではない。今はむしろ感情を乱すことなく日々を過ごせているとも言える。…ただ、少し刺激が足りなすぎる日々になっていたのかもしれない。もっと自ら刺激を探して行きたい。もっと失敗して、もっと遊んで、もっと喜怒哀楽を感じられる人間になろう!刺激が欲しけりゃバカになれ!WOWOWOWOW!
 
 
(10円は私に大切なことを思い出させてくれた。…ありがとう)
 
私は10円玉を一つ一つ撫でながら片付ける。もとのプラケースに戻し終えた時には、少しだけ世界が澄んでいる気がした。
 
 
ブーブーブー
 
 
「はい、もしもし」
 
彼女「あ、やっと出た。どこ行ってたのよ!なんで昨日から電話でないのよ!」
 
「…いやあ、まあ、いろいろあってね」
 
彼女「会場の下見の予約だけど、3月中旬の○日か△日で進めていい?もう、相談したい時に繋がらないんだから!予約できなかったら困るんだからね!?」
 
「ああ、ごめんごめん。うん。あ、親父から電話だから、一旦掛け直すわ」
 
 
ーー
 
「はい、もしもし」
 
親父「やっと出た。何回も電話してんだから、ちゃんと出んか!死んだかと思っただろうに」
 
「いや、ごめんごめん。携帯の調子が悪くて」
 
親父「顔合わせどうするんだ?3月くらいにやるんだろ?ちゃんと考えてんのか!?こっち(故郷)でやるんだったら、都会と違ってそういう店、少ないんだから。早めに予約しないと店なくなるんだぞ!?」
 
「あ、ごめんごめん。とりあえず確認しとくわ。また電話するよ」
 
 
 
やることのない日曜日、それもまた気の持ちようであるようだ。この日記、関係者が見たら怒るだろうなあ。