2019年「大阪42.195kmフルマラソン」記録 (人生とはこのマラソン大会のようだ)
もはやだいぶ前。書いていたのにブログに出すの忘れていた。
2019年2月3日の日曜日。
【大阪42.195kmフルマラソン概要】
参加数:約350名。(ハーフマラソンも同時に行われており、こちらを合わせると約600名)
参加料4,200円
コース
①約3,301mを12周する。
②13周目はヤンマースタジアムをゴールにするため、約2,575m。
①+②=42.195kmとなる。
…なかなかの単調具合である。
ちなみに、GPS時計で距離を測れるランナーは別だが、「あれ、今俺何周目だっけ?」となってしまう人もいるだろう。そんな人のために、会場には大量の輪ゴムが置いてあるわけである。
(なお、靴につける計測チップはちゃんと渡される。そのため、距離不足でのゴールはできない。ご注意を)
さて、予定通り9時半にスタート。
コースは先程書いた通り、公園の周りを走り、途中でヤンマースタジアムを一周した後に再び公園に戻るというもの。
なお、公園はマラソン大会のために貸し切りーーというわけではない。通常通りの開園?である。そのため、散歩している人や自転車を漕いでいる人や、公園で休日を過ごす家族づれなどがいたるところにいらっしゃる。(ポケモンGOかなんだか知らないが、大量の人々が1箇所にあつまってスマホをいじったりしてもいた)。
また、一般のランナーが練習で走っているため、どの人がマラソン大会参加者なのかよく分からない。(ゼッケンはつけているのだが、基本的にお腹側につけるので、後ろ姿では分からない)
(まあいいや。練習みたいな大会だし。今年最初の足慣らしってことで、気楽に走っていこう)
なお、給水所は1箇所だけ設けられており、そこにスポーツドリンクとお水、そして簡単な軽食が用意されている。この給水所の存在は大変ありがたい存在なのだが…序盤の私は
(またこの給水所か…。まあいいんだけどね)
と、心の中で何かひっかかる。普通のマラソン大会であれば、給水所もまた楽しみの一つ。それぞれの給水所にそれぞれのスタッフの方々が応援しながら待ってくれる。また、ご当地の美味しい食べ物が食べられることも多い。給水ポイントもマラソン大会の大事な要素なのである。それが毎回同じとなると…まあ、ね。
(…まあ、いいんだけどね)
さて、3周したあたりで、
(またこの景色…なんだろうね、コレ)
と、見慣れた景色がまたお出迎え。当たり前だが、どれだけ距離を重ねても、景色は一定なのである。それにしても、何度も同じ景色ばかりというのが、これほど辛いとは…。結果として、少しずつ集中力が無くなってくる。
(あと10回もこの景色見るのか。…先は長いな。それにしても、なんだかなあ…)
同じ景色である以上に、ほかのマラソン大会と決定的に違うことがあり、どうにも気持ちが乗り切れなかった。それは、
応援の量
である。
マラソン大会では、沿道で住民の方々が旗を振りながら応援してくれる。応援ブラスバンド演奏や太鼓もあり、中には有志で給食ポイントがあったりする。あと、ハイタッチとかあるじゃないですか。あれがいいんですよね。あれでどれくらい力をもらえることか。
…でも、この大会ではそういうのはなかった。スタッフの数も少ない中で運営していただいているため、応援の掛け声はほとんどない。そのせいかーーやはり、なんというか、お祭り感というか、はしゃいだ感じがまるでない。言うまでもなく、応援サポーターの芸能人もいないし、大会のためのテーマ曲もない。まあ、わかっていたのだが、気持ちは素直なものでーー
(なんだかなあああ。はあああ。帰りたい。途中、コースから抜けてもだれも気付かなそうだしなあ…)
と、すっかりやる気がダウンダウン。
ーーさて、まとめてみると、この大会はこんな感じだろう。
①同じコースを繰り返す単調さ。景観も乏しく、同じことの繰り返し。
②参加ランナー人数が少なく、また、一般ランナーも混じっているため、大会に参加している感じが弱い。結果、孤独感がすごい。
③応援もほとんどなく、他の大会のようなお祭り感がない。公園に来ている人たちからすれば、むしろランナーの存在を疎ましく感じているくらい?(被害妄想?)
…こんなことを考えながら走っているうち、私は、あることに気づいてしまった。
(ーー同じことの繰り返し。単調な日常。これなんの意味があるの?って感覚。周りと気持ちが通じない孤独な走り。応援もほとんどない、お祭り感もイベント感もない走りーーこれってまるでーー「今の俺の日常」そのものじゃんーー)
固定化した人間関係、マンネリ化した仕事、誰からも応援なん受けない孤独な日々、お祭り感とは縁遠い日常ーーそして同じ事の繰り返し。そんな日常にじれったさを感じながらも、何もできないまま、その日常を繰り返していた。
(…マラソン大会も、そうなの?)
この42.195kmに対する走り方そのものが、今の自分の虚しさを表しているように思えてならなかった。でも…
(…じゃあ、もしも。このコースを満足いくように走り切れたなら、どうだろうか?)
わからない。でも、そう思った時、この単調なコースに向き合いたくなった。
(焦らないでこの単調さに耐えてみよう。それは、どんなマラソン大会でも同じことだ)
気持ちを引き締め、走りに集中。「単調さをこなす」のではなく、この繰り返しに向き合うのだ。序盤ここで飛ばさないように冷静にペースのコントロールを意識。
あと何周で終わるのか?
何度も思ったが、すでに新しい景色に思える所になった。
気持ちが切り替わると、同じ場所にある給水所が唯一自分をサポートしてくれる頼もしい存在に思える。また、少ないながらも応援してくれるスタッフの声が心に響き、いつのまにか「ありがとうございます」と返していた。
(なんだ、沢山の人が応援してくれていたんじゃないか…気持ち次第でなんとでも変わるんだな)
あとはひたすら無心に、かといって集中力は失わずに走りを続けた。
ーー
13周目に迎えたの最後のヤンマースタジアムは、全力で走った。息が切れることはなく、最後の最後で笑顔でゴールを迎えることができた。
ゴール後、拍手を送ってくれたスタッフの方に頭をさげる。
計測チップを外し、完走証をもらった。いつもより足の疲労も少なく、また、気持ち悪くて動けないということもなかった。
大阪42.195kmフルマラソン大会、この大会が40回以上も続いている理由がすこしだけ理解できた気がした。繰り返しは単調に思えるけど、その単調さに真剣に向き合えたときに、きっと素晴らしいゴールがあるのかも知れない。単調さに焦るでもなく、単調さに飽きて怠けるでもなく、ただひたむきに。
もしかしたら、人生もそういうものなのかもしれない(説教くさいですね)。
おしまい。
ーー
以上。この日記は約2週間前に書いたもの。マンネリ感で悩んでいる気持ちがでてますね笑。今は気持ち切り替わって前向きになり始めてます!
1つ余談。
最強の応援人
がおりました。ヤンマースタジアムで1人、全てのランナーにスタジアムの外に響くほどの声量で全力で応援していた男性がいらっしゃったのです!私もこの方に何度勇気をもらったことでしょう。本当に、感謝の気持ちしかありません。え、もっと具体的に書けって?それは来年、この大会に出て実感してくださいな(来年もいらっしゃるかはわかりませんが)