ギザ十な日々

2人の息子と妻との日々を書いています。

叫びのない爪痕

 

 
水曜日。朝。
 
家を出てから、駅までのあいだ、特に台風21号の被害は感じられない。まあ、枯葉やゴミが散乱していたが、それは台風の規模に関係なくお馴染みの光景だろう。
 
テレビの街の被害を伝える実況はどこかバラエティじみている感じがしたし、大きな被害として放送するのは関西空港が中心の印象。外国からの旅行者は大変気の毒だが、こちらとしては、私生活を送る分には何も問題が無いように思えた。
 
 
 
(身の回りを見る限り、当初感じていたよりも大した台風ではなかったのかもしれないなあ)
 
 
と思いながら、会社の最寄駅につく。そして、上の写真である。
 
なんの写真かわかるかしら?毎日「おはよう」と声をかけていた樹がいた場所である。いや、正確に言えばまだそこにいるのであろう。見る限り、あたかも刑事ドラマの死体現場のようである。
 
駅から会社に向かう約10分の徒歩中も、同じようになぎ倒された樹、巨人が斧を振り下ろした後のように無惨に裂けた樹を、何度も見かけた。
 
 
 
(…あれ?思ったよりひどかったんだろうか?)
 
少しざわつく。だが、周りを見れば、何事もないように出社しようとする社会人たちの波。その波の一部になると、いつのまにか、ざわつきはおさまっていった。
 
 
ーー
 
会社に着くと、同僚たちがいつものように、全く欠けることなく出社する。始業時間まで軽く世間話のように昨日の自宅待機の過ごし方について話したが、まるで休日の過ごし方を聞くような平和な内容ばかりであった。
 
 
朝礼も、特に台風に触れることなく、代わり映えのない内容。そして、いつものように仕事が始まる。
 
 
 
取引先に、台風の被害状況を確認する。一部、大きな被害のあるお客様がいた。しかし、ほとんどのお客様は被害はなさそうだった。昼過ぎになる頃には、主要な取引先の状況を確認し終え、夕方になる頃には「とりあえず被害を確認するのがマナー」程度になっていた。
 
 
ーー
 
終業後、少し早めに帰宅。そして、約1週間ぶりに近所の河川敷を走る。
 
 

 
 
 
 

 
 
(……え?)
 
 
木材やブルーシートが散らばる。大量の細かいゴミはもちろん、冷蔵庫や
テレビ、タンスなどの粗大ゴミが、あたりに散っている。画像にはあまり写ってないけれど、なぜか大量の買い物カゴが散らばっていた。
 
 
(あ)
 
 
今更のように思う。河川敷には、私たちのほとんどが知らない世界があるということを。それは、テレビやYahoo!ニュースなどではほとんど取り上げられない世界である。そして、その世界で生きている人たちがいる。
 
 
……彼らは、あの台風の中、どうしていたのだろう?今は、どうしているのだろう?ちゃんと避難できたんだよね?
 
朝のテレビや、仕事サボりで見たネットニュースの台風状況を思い出すが、上の疑問の解決につながるすような情報は何もなかった。
 
 
 
なんだか怖くなり、逃げるように河川敷を抜け出した。
 
 
ーー
 
 

 
河川敷をのぼって、一般道を歩いて帰ることにした。
 
街に出ると、そこはまたいつもとは異なった世界だった。停電の影響で、信号機が機能していなかった。自動販売機やコインパーキングは動いていない。歩いていると、倒れてしまった自動販売機や、鉄パイプがへし折れた看板をチラホラ見かけた。停電している区域では、コンビニも閉店していた。いつもより、赤色のカラーコーンを沢山見かけた。
 
 
停電区域から1kmも歩くと、あたりはいつものようにパッと明るかった。暗い空間を過ごすと、その明るさがとてもありがたかった。
 
 
帰り道、スーパーに立ち寄ってみる。常温品はいつも通りの品揃えなのだが、生鮮品や日配品、惣菜などはほぼ何もなかった。補充がままならない状況だったのだろう。とりあえず、お米と牛乳の代わり豆乳を買った。
 
ーー
 
20時前、家に到着し、シャワーを浴び終えたらテレビを点ける。
 
テレビは昨日の台風が嘘のように、通常放送のバラエティ番組ばかりだった。それにとても違和感を抱いた。
 
でも、それは少しだけ私よりも早いだけで、私もまたいつものように、すぐこのテレビのペースに追いつくんだろう。テレビもシャワーも使えない人たちが沢山いるんだから、私はかなりお気楽な身分だしね。
 
ただ、今はメディアで報じられているよりも、ほんの少しだけ、ほんの少しだけ台風の恐さを感じている。まあ、こんな気持ち、すぐに忘れてしまうんだろうけどね。
 
 
 
 
 
 
 

突然雨読

 
 
 
 

 
月曜日。夕方。
 
 
 
総務部「お仕事中すみませーん、明日は台風の影響のため、基本的に出社せずに自宅待機でおねがいしまーす。またメールで全員発信しますねー」
 
 
 
その言葉を聞いた時、なんとなくはしゃいだ気持ちになったのは、私だけではなかったはず。
 
 
雪国出身の私は、雪の影響で休校(もしくは午前で帰宅)になったことも何度かあり、その度に跳ねるように喜んだものである。
 
お客様へのアポイントもあったのだが、日程変更をお願いし、火曜日は大人しく家でゆっくりすることにした(誤解のないようにいうが、あくまで自宅待機であり、ノートパソコンを持ち帰って仕事をしましょう、という意味である)。
 
 
帰り、近くのスーパーに立ち寄り、明日の食料を買いに行く。
お肉やパンなどはほとんどなくなっていた。なぜか砂肝が一つだけ残っていた。また、パンコーナーでは、某メーカーのスコーンだけが大量に残っていた。
 
 
ーー
 
火曜日。
 
 
朝も8時半に起床。いつもならばすでに出社している時間である。それが、急遽台風の影響で休み(自宅待機)になってくれたおかげで、ゆっくりした朝を迎えることができた。
 
 
日中は休日(自宅待機)らしく、ミートソースづくりを楽しんだ。最近、お料理熱が高まってます。
 
 
 
会社からのメールを時折チェックしながら、私はiPadを手にし、キンドルを開く。
 
「今日のセールはなにかしらー」
 
今日のセール本をチェック。
 
 
キンドルとは、ネット通販の王者、Amazon.comが運営している電子書籍サービスである。
Amazonを通じて電子書籍を購入し、iPadiPhoneなどの電子媒体で読書を楽しむことができる。電子書籍の素晴らしさについては、また今度じっくり語らせていただくとして、上に記したのは、Amazonが日替わりで行なっている電子書籍セールである。
 
 
普段、自分からは手に取らないような本をセールしているので、新しい出会いに導いてくれる。また、最新本でも50%以上オフの場合が多いので、実にお買い得。毎日1冊セール対象となるので、これを欠かさずチェックするようになった。(…つまらない人生とか言わないでね。すっかりカモなのはわかってます)
 
 
ちなみに、9月4日のセールはこの本だった。
 
 

 

世界で通用する「地頭力」のつくり方 自分をグローバル化する5+1の習慣

世界で通用する「地頭力」のつくり方 自分をグローバル化する5+1の習慣

 

 

1,620円のところ、この日買えば599円。63%オフである。すごいよね。
 
 
自分の意思では絶対に買わないような類の本である。でも、そんな本こそ、買って読むようにしている。そんな本に出会えるのも、このセールの醍醐味なのだから。ハズレも多いんだけどね(笑)
 
(・・・・・・)
 
 
約2時間で読了。
 
余談ながらこの本は、私の部署のボスがよくいう「海外人材としての気持ちを高めろ!」や自己研鑽、特に力をいれろ!」、そして「オフはしっかりとって仕事に活かせ!ということが250ページぎっちり書かれていた。あまりにボスの口調と似ているので、まさかボスはこれを元に話しているんじゃないか?と思うほどであった。
 
「…まあ、ボスの気持ちが少し理解できただけでもよかった、かな。アハハは」
 
本を読み終わったら、前に購入していた別の本を読み始める。キンドルのおかげで、本当に読書量が増えた。眼は悲鳴を上げているけど、読書が学生時代並みになっているのは、多分いいことなんだと思ってます。
 
ーー
 
テレビをつけると、どの局もずっと台風の中継を放送している。窓ガラスごしに、救急車のサイレンや、ガシャンガシャンと物々しい音がきこえる。ちなみに、会社携帯は全く鳴らない。この天気だと、お取引先様もお休みのところが多いのだろう。まあ、電車も動いてなかったしね。
 
ーーあんまりいい加減なことを書くと不謹慎、って言われるかもしれないけど、こういう突然の平日休みって、やっぱり得した感じがしたのであった。
 
どうでもいいけど、こういう突然の休日って、皆どう過ごしているんだろう。とりあえず、明日会社で同僚に聞いてみよう。取引先にも。
 
 
また明日から頑張ろう。やっぱり不謹慎…?
 

24時間かけて、北海道から大阪へ(北海道マラソン、帰宅編)

 
 
先週の日曜日。
 
北海道マラソンを終えた後、私は札幌駅から小樽駅電車で向かう。
小樽の海鮮丼を楽しみにしていたのだが、夕暮れ時だったこともあり既に市場は閉まっていた。
 
残念な心地で市場近くをぶらぶらしていると、小樽ビール工場を発見。
 

 
中に入って見ると、ちょうど工場見学が始まっていたので、それに参加させてもらった。ビール製造のしくみや、発酵工程を実際に見ることができて、大変面白かった。
 
さて、せっかくなので、ここでマラソン完走後の祝杯をあげることにした(さすがに小樽まで来ているマラソン参加者はほとんどいなかった。でも、一人、ランナー風の人をお見かけしたけど)
 

 
ビールもたっぷり入ってました!うまかったなあ。これだけ食べて2000円いかないくらいだったと思う。なんて良心的なお店だろう。(プリン体は気にしない)
 
さて、しばらく小樽をぶらぶらし、21時のバスで小樽港に向かった。
 

 
 
小樽港から京都の舞鶴港を直行するフェリーの便がある。
 

 
片道約21時間。料金は部屋のランクにもよるが、節約したいようであれば1万円を切ることもできる。ちなみに私は相席部屋の最安値9970円コースであった。
 
ちなみに、舞鶴港から大阪行きの高速バスが出ているので、それに乗れば、約3時間で大阪に到着できる。つまり、フェリー+バスで約24時間かけて、北海道から大阪に帰るプランなのであった。
 
 
飛行機や新幹線などの交通手段は、ひとえに移動スピードを上げることに重きを置いて歴史を積み重ねた。今や北海道から大阪までは約2時間で移動できるところまでにたどり着いたわけである。
 
効率化を求め、「タイムイズマネー」が口に出すのも恥ずかしいほど常識化した現代において、フェリーで1日かけて移動する物好きはそう多くはないだろう。(輸送車の運転手や、愉快なバイク野郎たちは別だが)。
 
 
ーーそれでも、私はあえて月曜日に有給をとって、このフェリー旅行を決行した。細かい理由は差し控えるが、フェリーは私の青春なのである。ゆとり世代と言われても構わない。ただ私は、船の上でぼんやりと、一人で過ごすゆとり溢れた時間がなによりも大好きなのである。
 
 
 
 

 
というわけで、フェリーで受付を済ませ、23時30分発のフェリーに乗り込む。
 
 
久しぶりのフェリーに、心が踊った。
 

 
フェリーに乗ったら、すぐに大浴場で汗を流した。そして、風呂上がり、船の中で食べるカップ麺とビールがたまらなく美味しかった。
 
 
25時ごろ、寝台列車風の相部屋で眠る。背中に伝わる船の揺れは、なんだか大冒険の途中のようでワクワクであった(マラソンの疲れですぐに寝てしまったが)。
 
ーー
 
月曜日。6時
 
船内アナウンスが流れる。アナウンスは、現在、船が秋田県能代沖辺りにいること、朝食レストランと大浴場が開店したことを告げた。起きているのか寝ているのかよくわからない私は、それを聞いてもまだベットにしばらく横たわった。
 
 
 
少しして顔を洗い、船内の進行状況の情報を確認する。
 

 
ちなみに、船の上ではインターネットも電話も繋がらない。そのため、進行状況はこのモニターを観ないとわからない。強制的にネットに繋がらなくなる空間というのも、船旅行の醍醐味だよね。
 
 
船のオープンデッキにいって、外の空気を吸う。
 

 
曇りだけど、静かで心地よい。雲の隙間から晴れ間が見え、潮風も心地よかった。
 
せっかくなので、小樽駅近くのスーパーで買っていた朝食セット(カップラーメンと煮卵とペットボトルのお茶)を用意。海を見ながら朝からラーメンをすすったのであった。
 
 
 
さて、移動中はほぼすべて読書にあてた。学生時代からずっと読みたかった冒険小説である。こんなにまとまった時間、本を読んだのもかなり久しぶりだった。読書はぐいぐいと進む。
 
少し疲れを感じたら、船内の大浴場にいって海を見ながら風呂に入ったり、マッサージチェアでリラックスしたり、ゲームコーナーをのぞいだり、ベッドで午睡を楽しんだりした。まさに至福の時間である。
 
 
 
ちなみに、昼ご飯はカップ麺をやめ、船内のレストランで豚丼を食べた。
 

 
 
少し高めだけど、海の上で豚丼っていったら、かなりレアな食事なので、満足満足。
 
 
さて、夕方になったら、オープンデッキで早めのビール登場。(尿酸値高いのにいいのって?ビールにプリン体が入ってないらしいからヨカッタヨカッタ)
 
 
 
 
本を読みながら海を見ながら、ビールを飲みながら、カンパンとチーズを楽しむ。oh、至福ぅ。
 

 
さて、21時ごろ、予定よりも少し早めに舞鶴港に到着。
 

 
その後、約3時間かけて高速バスで大阪に帰ったのでした。こういう有給の楽しみ方、悪くないと思った。
 
 
フェリー旅行、やっぱりいいですね。こういう移動手段は、今後もなくならないでほしいなあと思うのであった。
 
 
 
 
 

北海道マラソン2018 おふりかえり

 
 
 
朝。5時半に起床。
会場である札幌の大通り公園までは、ホテルから約1時間半ある。余裕のある朝を過ごす為に、4時半にセットしていたのだが、見事に1時間の寝坊である。まあおかげで睡眠量はバッチリだったが。
 
7時半。無事会場に到着。
 
 

(スタート会場である大通公園にあるお花畑。ひとつだけ違う花が咲いている妙味を走る前に発見。まったくもってマラソンとは関係のない画像である。ジッと見ると目がよくなりそうな画像である。)
 
 
○当日の天気
曇り時折晴れ(雨は降らず)
○気温
22〜25度くらい
○湿度
70%強
 
 
多分、走りやすい気候だったと思う。しかし、湿度が高い分、気温以上の体感温度に感じた。
 
 
さて、睡眠をたっぷりとり、体調も準備も万全!これで天気もいいときてるんだから、もしかして自己ベストいけるか?少なくとも、この段階ではそう思った。
 
 

 
 
時刻通り  9時スタート!
 
 
さて、今回は紙幅の都合のため、「走り終えた後に感じた5つの正直な記憶」を持って振り返ってみよう。(手抜きではない)
 
 
 
①最初から最後までずうっときつかった・・・・・・
 
この大会、スタートした当初からゴールに到達するまで、一貫して辛い走りとなった。
 
 
今までの私の失策の記憶を辿ると、序盤に調子に乗りすぎ、後半に体力が枯渇するというパターンが多かった。…しかし、今回は序盤から体が重かった。後半になるごとに重さを増し、お尻から足首にかけてまで筋肉疲労を感じた。肩こりの酷さも辛くて、腕をぐるぐる回す動作が増えた。そして、35kmに到達する頃には体力をあらかた使い切った心地がした。
 
最後は(つらい走りの時がいつもそうであるように)「二度とフルマラソンなんてごめんだ!」と思って走ったのであった。
 
ちなみに、走ったコースの高低差が激しいわけではない。トンネルをくぐる際、少しノボリクダリを感じたが、それ以外は比較的平坦な道が続くような、むしろ走りやすいコースだっと思う(平坦すぎて、「これ、いつまで続くんだろうーー」って思ってしまうくらいだった。もしかしかすると、この果てしない平坦さが、知らぬ間に走るための集中力削いでいったのかもしれない。ーーそう考えると、実は結構恐ろしいコースだったのかもしれない)。
 
 
②すばらしい沿道の応援!
 
応援は非常に活気があり、給水所での水の手渡しや吹奏楽部の演奏は、落ちていく私のモチベーションを力強く支えてくれた。給食所は他の大会よりも少ないように感じたが、それを補うようにボランティアの数が圧倒的に多く、そちらを利用させて貰えば、特段困るほどでもなかったように思う。
 
ちなみに、これは私自身の問題だが、もっと沿道の人とハイタッチとか「ありがとうございます!」とか返したかったなあ。つらくてハイタッチもできず、お礼もできなかった。また、上述のボランティアの給食提供を、私は恥ずかしくてまったく活用できなかった。それももったいなかったなあ、と今にして思う。あの沿道のスイカ、食べたかったなあ・・・・・。
 
 
 
③コーラ多すぎない?
これはあえて書くべき疑問である。どうやら、北海道民はコーラが大変にお好きのようだ。
 
②の応援と関係するが、沿道の人たちがボランティアでスポーツドリンクや果物を用意してくれていた。ーーその中でも、なぜかよく目にしたのが
 
コーラ
 
であった。応援の老若男女が、なぜかキンキンに冷えたコーラのペットボトルを片手に
 
「コーラあるよー!」
 
とランナーに叫ぶのである。1人や2人ならば、面白い応援だと済ませることができるが、私の記憶する限り、沿道のボランティアの1/3は、コーラを片手に応援していたと思われる(多少の記憶違いはあるにしても)。
 
なぜあんなにコーラを飲ませてくれようとする人が多かったんだろう?他の大会でもたまに見るけど、北海道マラソンは今まででいちばんコーラボランティアが多かった気がする。北海道の人って、よくコーラを飲みながら走るのかしら?私は結局飲む勇気はなかったけど。
 
 
ちなみに、コーラを飲まなかった理由は下に続く。
 
 
 
④またお腹を下しました・・・・・・
 
つらい走りだったのは、ある意味で私自身のお腹の弱さも影響していたと思う。
 
今回、10kmあたりからずっとお腹の痛みと張りと緩みを感じていた。そして、トイレに駆け込んだ回数は、たしか4回くらい。今までで一番お腹の調子の悪い走りとなってしまった。
 
日本のサラリーマンはストレスが胃腸に直結するらしい。しかし、日頃のストレスによる胃腸の摩耗が、これほどまでに走りに影響するとは思わなかった(彼女からは「ただの酒の飲み過ぎだ」と一蹴されましたが。直前に酒を抜くくらいじゃダメってことですかね)。
 
 
 
4時間の関門
 
さて、最後にフィナーレを飾る思い出を一つ。
 
 
 
40kmあたりまで到達した時には、
 
(今回はかろうじて4時間ギリってところかなあ)
 
と思っていた。我が腕時計を見る限り、それはある程度保証されていた。
 
 
ラスト500mあたりで、周りのランナーのスピードが急速に上がっていくのを感じる。
 
(ラストスパートで頑張ってんだな。すばらしい頑張りだ。だが、私はもう限界なのだ。4時間切れるならば私はいいのである)
 
とりあえず4時間を切れることを確信していたので、私はマイペースで走り続ける。    
 
 
 
さて、ラスト195mあたりに差し掛かった頃、ゴールからの実況の声が聞こえてくる。
 
 
実況「さあ、最後の追い討ちをかけてどんどんランナーが走ってきます!ちょうど4時間きれるかどうかの瀬戸際です!みんながんばれー!!」
 
 
(・・・・・・え?)
 
私の視界にはフィニッシュラインが映る。同時にゴール間近で経過時刻を刻む電子時計に目をやる。時計は
 
 
03:59:45
 
 
を示す。
 
 
 
ーー私は瞬時にすべてを悟った。
 
 
グロスタイム・・・・・・!しまった!!)
 
 
私の腕時計が刻むのはネットタイムであった。そして、ゴールに設置された電子時計が刻むのは、号砲が鳴ってからのタイムであるグロスタイムであった。
 
【用語】
グロスタイム:スタートの号砲からフィニッシュするまでのタイム。
ネットタイム:ランナーがスタートラインに到着してからフィニッシュするまでのタイム。参加ランナーが多い場合、スタート地点に到達するまで数分かかる。その誤差を修正したタイムである。
 
【解説①】
ラソン大会は、基本的にはグロスタイムを基準とする(制限時間とかね)。しかし、グロスタイムではスタート地点を基点とした前方ランナーと後方ランナーとのタイムに差が生じてしまう(参加ランナーが多い北海道マラソンの場合、グロスタイムネットタイムには2〜3分の開きが生じる。ちなみに東京マラソン大阪マラソンでの差は、平気で10分を超える)。
 
ランナーにもよるが、ネットタイムを基準として走るランナーも決して少なくない。スタートライン後方に並ぶ市民ランナーは、ネットタイム重視派が多いのではないだろうか?ちなみに、私はネットタイム重視であった。
 
【解説②】
とはいえ、直前にグロスタイムでも4時間ギリができそうって思ったら、そりゃできるに越したことはないでしょ?だから、ゴール直前にグロスタイム4時間ギリギリであることを知って、一気に慌てたってわけ。おまけに、周りも急にスピード上げて走り出すんだもん。
 
 
 
 
(残り100mくらい?15秒!?いける!?いける!?いくしかない!!)
 
 
と、今までの足の疲れが嘘のように、ゴールめがけて全速力で走った。ゴールに達した時、沿道から一斉に声があがるのを聞いた。
 
 
 
ーー
 
 
ゴール後、しばらく動けなかった。走り終えた後は完走メダルをかけてもらい、完走タオルを受け取った。
 
 
なんとか完走はできた。しかし、もしも北海道マラソンの制限時間が「4時間」だったとするならば、私はゴール後に完走メダルを首にかけて貰えないまま、大阪の地に帰ることになっていたことであろう。
 
 
 
 
残念ながら、4時間の関門は、私がゴールをまたぐ寸前、無情に閉ざされたのであった。
 
 
 
 
 
以上、北海道マラソンを振り返ってみました。いろいろ思うことはあるけれど、でも、やっぱり参加して良かったです!来年参加するなら、もっと準備をしっかりと!
お腹を下したのは単なる言い訳です。やっぱり、ちゃんと日頃の練習を積んで臨まないと、そりゃ体がついていかないわなあ。
 
「だって猛暑だったからしょうがないじゃない!
 
という言い訳は通用しないからな!!
 
 
それはそうと、コーラがやっぱり気になるなあ・・・・。 

マラソン前の無秩序(北海道マラソン2018 前乗り)

 
金曜日。
 
東京本社での会議を終えたらすぐに駅に向かう。向かう先は羽田空港
 
 

すぐに受付に荷物を預けるとともに、従業員の方に運航状況を確認。
 
「はい、台風の影響も、今のところはないと思われますので、通常通りの時刻で運行する予定となっております」
 
 
ほっと胸をなでおろす。
 
 
と、その時、携帯電話が鳴る。登録のない番号、でも、何度か見た事があるような番号。
 
はてな
 
なにか嫌な予感がしつつ、電話に出る。
 
「ーーはい」
 
「あ、こんばんわ。〇〇生命のセイホです!焼き芋さん、今お時間よろしいですか?御無沙汰してます。三カ月ぶりくらいでしょうか?その後、
いかがお過ごしでしょうか?」
 
「ええ、特に変わりなく(嫌な予感はこれか・・・・・・)」
 
 
 
 
平日の昼休みの時間帯、よく我が事務所の出入り口にいらっしゃる生命保険の女性営業(通称、生保レディ)の方である。一度、昼食後に事務所に戻った時に声をかけられ、それ以降、定期的にお電話をいただいている。
 
言っておくが、私は生命保険に入る予定は今の所ない。最初お会いした時も丁重に断った。……しかし、私の伝え方が悪いのだろうか、その後も定期的にお電話をいただく。その度に曖昧にはぐらからす。
 
 
 
興味ないから、もう電話かけなくてもいいですよ
 
と言わないは、私の愚かしい性格ゆえである。
 
 私も営業関係の人間なので、上のような断り言葉は結構傷つくのである。特に、若ければ若いほど傷は深くなるだろう。今回私に電話をかけてきた女性営業も、おそらく入社2〜3年目。この人を傷つけても、私は何の責任も負えないしね。仮にそれをバネに更に一生懸命提案されても、多分私は生命保険に入らないし。
 
 今のように曖昧に返し、この女性営業が私の営業活動をやめてくれることを祈っているのである。生命保険なんて成果主義の面が強いだろうから、私の相手なんかさっさと辞めて、少しでも別の人に営業をかけてほしいものだ。(生命保険の営業にとって、一番迷惑な客って、私みたいなやつかもね)
 
 
「焼き芋さん!最近お変わりなく過ごされていますか?あ、まだマラソンに精を出されていますか?今年の大阪マラソンは出られますか?」
 
「(俺、この人にマラソンの話したんだっけ?)ええ、まあ、そうですね。大阪マラソンは出ないですけど」
 
「あ、そうなんですね。ーーそれで、どうでしょう?またよろしければ保険のご説明にあがれればと思うんですが」
 
「(まあ、そうなるよな)そうですねえーーただ、最近ちょっと忙しくてなかなかゆっくり検討も難しくて」
 
「そうなんですねーーちなみに、来週だとどうでしょう?本当に資料をお渡しするくらいなんですが」
 
「そうですねえ(おお、強行突破か)ーーあ、すみません、ちょっとこれから飛行機に乗らなければならなくて…」
 
「え、飛行機ですか!?それは失礼いたしました。ちなみにどちらにいかれるんですか?」
 
「北海道なんですよ。それも、おっしゃっていただいたマラソン目的です」
 
「マラソン?え、そうなんですか!?それはすごい、へえええ!すごいですね!頑張ってきてください!!お応援してますから!日程についてはまたよろしくおねがいしますね」
 
「はい、頑張ります。ではすみません、失礼します」
 
「失礼します!」
 
解放されたことに安堵。しかし、マラソンのことは言わなくても良かったなあ、と、いろんな意味で後悔。
 
 
その後、羽田空港内の蕎麦屋に入り、晩御飯を食べる。
 

(ネギトロ丼セット。もちろん、お酒なんか飲みません。尿酸値下がるまでは)
 
 
 
さて、腹を膨らませた後、私は羽田から北海道の新千歳空港に飛び立ったのであった。
 
 
 
北海道に来た理由、それは先ほどの生保レディとの電話にもありましたとおり、マラソン関係です。そう、8月下旬の夏の時期に開催される
 
 
です!
 
 

 
 
参加規模:約20,000人
 
かなり大規模なマラソン大会で興奮!
 
 
8月24日(金)の夜に北海道の千歳に宿泊。そして、8月25日(土)は前日受付のために札幌に赴く。
 

 
(天気は雨がパラパラ。大阪と比較すると寒いくらいですね。でも、走るんだったら快適そう。)
 
 
受付を終えた後、しばらく札幌をぶらぶら。そして、昼過ぎに宿泊先がある千歳駅へ。
千歳駅に着いたら、前にも一度訪れた水族館に行く。(前が結構楽しかったんですよ)
 

(魚達の群れはずっと見てても飽きない)

(魚さん達のレースです)

 (千歳川を生きる野生の魚さん達まで見えます)
 
 
 
魚たちが群れで泳いでいる姿は、むしょうに心が惹かれる。とても不思議な動きを見せるけど、それを指揮するのは、単純ないくつかのルール。群が描くスケールからはまるで想像できないが、言われてみればそんなものなのだ。
 
 
無論、魚達は群のことなど考えてもいないことだろう。ちょうど、マラソン大会に参加するランナー1人1人が総和で作るランナー群の存在など、まるで興味がないのと同じように。でも、ランナー群も、調べてみると、意外と面白いかもしれませんね(ーー面白いっていえや!!)。
 
 
 
 
さて、明日は北海道マラソン!いつものようにグダグダ走りたいと思います。無事晴れますように!!
 
 
グダグダ感が今日の日記に出てますね(特に生保レディの話、全然いらんやんけ)。
 
 
 
 
 
 
 
 

尿酸、異常事態

 
 
 

 
 
昼前。
 
事務所にて産業保健師と面談。
 
産業保健師「はい、焼き芋さんね。一ヶ月前に受診してもらった健康診断の結果が出ましたので」
 
「はい・・・・・・」
 
産業保健師「だいたい健康的ね。ほとんどAよ。あ、君、よく走っているんだっけ?」
 
「本格的ではないですが、週に数回程度は」
 
産業保健師「理想的な習慣だと思います。あ、そういえばお茶が好きなんだって?」
 
「まあ、偉そうなもんでもないですが、毎日好き好んでお茶は飲んでますね」
 
産業保健師 「お酒は?」
 
「・・・・・・しばしば」
 
産業保健師「ほぼ毎日、っと。量は?」
 
 
 
 
 
その後も雑談を交えながら、私の食生活や睡眠時間、職場環境などをチェックされる。
 
産業保健師「なるほどねえ。食生活、崩壊してるわね。まさに独身男性の典型的な好き勝手で乱れきったものだわ。見事な偏食っぷりと不規則な食事、そして
アルコール摂取量の多さーーせっかくの運動習慣やお茶習慣も台無しね」
 
「……うっ」
 
 
産業保健師「今は若いから数値に出てないけど、この食生活を続けていたら、必ず近い将来、ボロボロと症状が出てくるわよ」
 
「は、はあ……(まあ、症状が出たら考えたらいいでしょう)」
 
産業保健師「ちなみに、要指導事項なのがあるわね。まさに今伝えた食生活由来の問題だと思うけど。ほら、尿酸値がかなり高いわね」
 
「…尿酸値?」
 
産業保健師「去年も6.7と高かったけど、今年は7.9ーーねえ、痛風になっちゃうわよ。このままだといつ発症してもおかしくないわね。基準値をしっかりと超えてるし」
 
痛風ですか?でも、痛風って、なんか中年のおじさまがなるイメージが…(僕チン、まだ20代ですが)」
 
 
産業保健師「昔はね。でも、今は尿酸値をあげるような美味しいものが誰でも安価で食べられるから、年齢関係なく起こりやすくなってるのよ。まあ、食生活以外の理由も色々あるけど、焼き芋さんの数値を見る限りだとーーまあ、十中八九食生活でしょうね」
 
「そんな・・・・・・痛風って、どんな感じなんですか?」
 
産業保健師「高い尿酸が結晶化するでしょ?それが原因で関節に激痛が生じるわけ。足や指が腫れ上がっているの見たことない?」
 
「あり、ますね(自分とは無縁とおもってましたが)」
 
産業保健師「あれね・・・・・・死ぬほどの激痛よ。本当に、言葉通り激痛」
 
「激痛・・・・・・」
 
産業保健師「まあ、激痛よね。会社で発症した人もいるけど、大量の痛み止め薬を飲むんだけど、それでもおさまらなくて、悶絶する人もいたわね。あと、あまりの痛さにトイレに駆け込んで吐いた人もいるわよ。見てるこっちも痛くなってくるわ」
 
「・・・・・・」
 
産業保健師「まあ、貴方の場合、食生活を改善すればなんとかなるんだからまだマシよ。中には、尿酸値がそんなに高くないのに痛風になっちゃった人もいるし、食生活がちゃんとしているのになっちゃう人もいるんだから」
 
「なるほど・・・・・・」
 
産業保健師痛風だけじゃなく、尿酸値が高い状態が続くと、脳卒中とか心疾患になりやすくなるのよね。若いからって調子乗ってると」
 
「もう、十分です・・・・・・・。わかりました、食生活を改めますから、許してください・・・・・・」
 
 
 
その後も、産業保健師から食生活について具体的なアドバイス。野菜を食べろ、酒を控えろ、尿酸値の高い食べ物を減らせーーどれもありきたりなアドバイスなのかもしれないが、「痛風黄色信号」の私からすれば、すべてが目からウロコの内容だった。
 
「ありがとうございます。約40分の面談ですが、大変感じるものがあった時間でした。まず、酒を控えます。あと、野菜をちゃんと食べます」
 
産業保健師「私の立場からすれば、そう言ってくれると嬉しいです。それを続けたら、さらに男前になるから、頑張って!」
 
 
「男前になります!見ててくださいよ、今年中に尿酸値を劇的に下げてみせますから」
 
 
 
我ながら単純な性格である。だが、体のことについては、危険信号に素直に従った方が良いだろう。とりあえず、今日は休肝日とし、久しぶりに自炊して野菜たっぷり食べました。酒がなくても意外と満足な夕食なのであった。
 
 
 
 

ミーハー、上等!(ありがとう、金足農業)

 
 
 
 
(ただの金足農業びいきのくだらない人間の日記です)
 

 
 
 
15時過ぎ。
 
 
取引先での商談を終え、営業車に戻る。ラジオは高校野球の実況を再開する。営業車をコンビニに駐めて聴き続けるほどの肝の座ったサボり根性はなかったので、そのまま事務所に向かった。
 
 
車を発進した頃には、5回裏の大阪桐蔭の猛攻によって、1対12と点差が広がっていた。そして、6回から絶対的エースである吉田選手が交代し、代わりにサードを守っていた打川選手がマウンドに立った。
 
ラジオで解説をする方々の声が、私が商談に入った14時半頃とはまるで別人の印象を受けた。なんというか、解説する際にいちいち言葉を選んでいるような感じ。14時ごろは、高揚感を抑えきれない様子だったと思うのだが。話す内容も、大阪桐蔭の打線の凄さが中心になっており、吉田選手の名前はあまり出なくなっていたように思えた。
 
 
(・・・・・・むしろ、車を停めなくてよかったのかもしれない。)
 
 
聴くのが辛かった。ラジオで聴いている私はそうだったけどーー秋田から駆けつけた方々は、どうだったんだろう?あくまで私個人だが、ただただ、早く試合の決着がついてくれることを望むようになっていた。彼らが早くこの状況から解放されて欲しかった。試合の最中にこんなことを考える応援、なんと情けないことだろう。
 
 
 
偶然、高速道路で事故が発生し、大きな渋滞に巻き込まれた。予定であれば、15時半に
着く予定だったが、車は完全に停止状態。後ろからは、救急車と消防車と、覆面パトカーが次々からやってくる。私も前後の車がするように車を端っこに寄せた。どうやら、しばらく渋滞は続きそうだった。サイドブレーキと引き、ギアをPに入れた。
 
私は、ラジオを聴くことだけに専念した。地元民として、彼らの頑張りを最後まで応援しなければならない、と、実に勝手でなんともミーハーな、馬鹿げた考えに正直になることにした。(大阪に住んでいても、やはり地元は金足農業という認識である)
 
 
 
 
 
 
16時半大阪桐蔭が金足農業の菊地選手を打ち取り、2対13で試合終了した。そして、大阪桐蔭の2度目の春夏連覇という前代未聞の偉業によって、100回目の甲子園に幕をが下りたことを告げた。
 
 
 
 
試合が終わった後も渋滞はしばらく解消されず、結局、両チーム選手の素晴らしいインタビューや、閉会式の言葉まで聴くこととなった。選手インタビューはネットニュースで嫌という程出てくると思うので、ここは秋田県民の気持ちを代弁した言葉だけを書いておく。
 
 
 
金足農業の選手の皆さん、準優勝、おめでとうございます。
秋田大会から一人でマウンドを守る吉田投手を他の選手が盛り立てる姿は、目標に向かって全員が一丸となる、高校野球のお手本のようなチームでした。
第1回大会は、秋田中学が準優勝しました。第100回記念大会も秋田のチームが準優勝ーー歴史の巡り合わせを見た思いがします。
大会審判委員長・日本高等学校野球連盟会長 八田氏
 
 
準優勝は秋田代表、金足農業です。頂点にはあと一歩及びませんでしたが、秋田代表として第1回大会以来、103年ぶりの決勝進出という、輝かしい歴史を球史に刻みました。吉田投手の快投、果敢で隙のない打線、そして、土壇場での数々の逆転劇は、多くの人の記憶に残ることでしょう。金農ファンの待つ地元秋田へ、堂々と胸を張って戻ってください。
大会会長・朝日新聞社社長  渡辺氏
 
 
この言葉の後、ラジオからは音割れするほどの歓声が響いていた。おそらく、秋田県民たちはこの言葉がなによりも響いたことであろう。少なくとも私はそうであった。(ここら辺の言葉を一部抜き取り、筋違いな批判がされたら、なんだかツライです。ネット批判はすでに始まってるようですが)
 
 
 
W杯で渋谷ではしゃぐ人々の気持ちがまるで理解できなかった。ただのミーハー群衆に思っていた(失言)。でも、今ならば彼らの気持ちがよくわかる。ミーハーでも、応援できる喜びって、やっぱりいいもんなんだね。そう思うと、ミーハーな方が、感受性豊かな人生と言えると思う。    
 
 
 
ともかく金足農業の皆さん、最高の甲子園をありがとうございました。たくさんの感動をいただきました。私ももっともっと頑張ろう。
 
 
 
・・・・・・・こんな日記を書いてなんになるのか知らんけどね。録画していた決勝試合観ながら書きたい衝動に動かされたのでした。これはすごいことである。こんなに日記に怠惰な私を、他者を応援するのが大嫌いなコジンマリとした私を、動かすくらいですから!!!