意識中くらい系のモヤモヤは読むに耐えられぬ
在宅勤務。
メールフォルダに全社員向けのメールが届く。それを見て、ため息。
「未来プロジェクトねえ・・・」
そのメールには未来プロジェクトに参加するメンバー数十名の名前と写真が連なっていた。無論、そこに私はいない。まあ、申し込んでないんだから、いたらおかしいのだが。わかりきっていることなのに、プロジェクトに参加している人たちの存在を知ると、意味もなく落ち込んでしまう。
(メールにはこんな感じにプロジェクトメンバーの写真が載っている。)
最近、会社内で様々な社内公募が増えている。新型コロナウイルスの影響で、会社も新しいアイデアや人材発掘に熱心に取り組んでいるようである。経営者層との意見交換や、新規プロジェクトへの参加等の案内が2~3ヶ月に1度は飛んでくる。
・・・こういったメールを読む度に、なんとも複雑な気持ちになる。そりゃ、この会社で出世したいと思うなら、当然、参加した方が評価が高くなるだろう。だが、
他にやらなければならない業務がたまっている。
とか、
子どもが産まれたばかりだし今は家庭を優先したい
とか、
仕事ばっかり考えるような人間にはなりたくない
とか、とか、参加しない理由が湧いてきて、結局申込せずに期限切れとなってしまうである。
重い気持ちになるのは、後日、会社からのメールで同じ部署のやる気のある年の近い先輩・後輩たちが、積極的にこういったプロジェクトに参加していることを知る時である。そのたびに、自分がどんどん遅れをとってしまっている気がする。
一生迷ってろ そして失い続けるんだ・・・・・・貴重な機会(チャンス)を・・・・・・!
いつものようにカイジの中で出てくるこの言葉が脳裏をよぎり、なんとも言えない焦燥感にも駆られる。本当に、この言葉通りなんだろう、俺の人生は。
・・・ようは、私がどのくらい、参加しない理由を覆すほど、「社内公募に応募してみたい」という気持ちがあるかだ。同僚たちが応募するから俺も応募しなきゃ、というレベルであれば、応募してもろくな結果にならないだろう。
ーー残念なことに、そこまで前向きな気持ちは私にはないのである。万一、自ら手を挙げて応募するとしたら、それは焦りや恐怖感から来た気持ちである。これはこれで情けない限りであるが。
30歳を過ぎてから、「仕事だけ考えていてもダメ。今の時代、家庭のことを何より大事にしなきゃ」という思いが強くなった。それは間違ってないと思っている。でも、やっぱり人生の多くの時間を仕事に費やすのだから、何かやってみたい気持ちもある。その何かがなんなのか、いつまでもわからないのだが。気づけば何もせずに何しているか分からないおじさんになっているのだろうか?
・・・はあ、とここまで書いてきてため息。なんともモヤモヤの多い32歳の胸の内である。書いていて疲れる。読んでいる方はもっと疲れるだろう。
「ーーと思うんだが、君はどうだ」
同期男「・・・まあ、分からんでもないがね。愚痴に熱がこもってるね」
「そりゃそうだよ。俺ら、そういう年頃だろ」
同期男「まあねえ。あるあるな悩みでしょ。ツイッターでつぶやいたら共感されるんじゃない」
「俺はツイッターもインスタもやってないから、こうして同期に電話してグチグチ言っているわけじゃん」
同期男「俺の部署はそんなにプロジェクトに参加する人がいないから、正直他人事、って感じだけどね。ヤキイモ君の部署の人、参加している人多いから、余計悩むんじゃない」
「そうねえ、なんか知らんけど、ここ1~2年でそういうのが好きな人が増えたんだよね。こんな意識高い系が無駄に集まった部署、俺は肩身が狭いよ。いっそ、異動したいなあ・・・」
今日の昼の同期とたわいもない会話。ありがたいことに、こういう会話をしていると、少し気持ちが落ち着く。・・・でも、落ち着いちゃダメなんだろうけどなあ、とも思ってみたり・・・。
ああ、読むに耐えられぬ。ごめんちゃい。