ベテラン営業への悲しみと、自戒の念を込めて。
火曜日。
基本的に在宅勤務メインとなっている中、本日は久しぶりに朝から出社。
出社すると同僚と会話ができるのが心の安定につながる・・・というが、今日の私はそれを享受できるような状況では無かった。
昨日、上司からの仕事の依頼を、有給を理由に断った。詳細は下の通り。
このときのことを上司にお詫びしたところ、
上司「ああ、いいよいいよ」
と、特に気にとめることも無い様子。ホッとしたのもつかの間、
上司「そういえばさ、別件なんだけど、○○と△△と□□をやってもらえる?○○はAM中、△△は今日中、□□は明日のAMまでによろしく」
と、更に仕事を沢山振られることになったのである。あ、上司の名誉のために言っておくが、上司は私が有給を理由に断ったことに対する当てつけとして仕事を振ったわけではない。ただただ、日常的に仕事を振りたがる人なのである。決して悪い人ではない。むしろ、性格はとてもいい人である(私の時間が無限にあるのならば、だが)。
ひとまず急ぎの仕事○○をなんとかAM中に片付けたが、PMから会議なので、△△にとりかかる時間があまりない。そこで、昼休み返上で作業に取り組む。
(とりあえず昼休み中に△△をやろう。会議中もバレないように内職しよう。コレがオンライン会議のいいところだ。なんとか△△を定時までに終わらせて、そこから少しでも□□に着手できれば、明日のAMまでには終わるだろう)
そんなことを考えながら作業を行っていた、消灯中のお昼時のこと。
がんも「やきいも、いまちょっといいか?」
「ーーあ、はい。どうされましたか」
昼食後のがんも(仮)さんに声をかけられる。
がんもさんは別部署の営業30年の大ベテランで、誰とでも直ぐに打ち解けられるような人柄の方である。私も新人の頃から良く声をかけてもらっていた。新人の頃は、先輩から話しかけてもらえるだけで同じ仲間として認めてもらえるような気がし、がんもさんの新人にも気遣いをしてくれる優しさがありがたかった。
ソーシャルディスタンスを保った距離で椅子に座るがんもさん。
がんも「いや、別になにかって訳でもないんだけどさ。ちょっと話がしたかっただけよ。どうだ、調子は。在宅が増えているけど、うまくやれてるか?」
「ーーそうですね、おかげさまでなんとか」
この時、私の心の中では、「やばいなあ」という思いでいっぱいであった。がんもさんはいい人なのだが・・・いかんせん、話が少し長めなのである。
がんも「そうか。今日はくもってるなあ。夜から雨がふるらしいぞ。傘持ってきてるか」
「ええ、はい(ソレデ、ゴヨウケンハ・・・?)」
がんも「お前、今、千葉に住んでるんだっけ?どのあたりっけ?」
「ああ、チョメチョメのあたりです(コレ、アトナンプンツヅキマスカ?)」
がんも「子育てはどんな調子だ?俺も子どもがふたりいるけど、俺の頃はーー」
「へえ。そうなんですね(・・・ホント、ゴメンナサイ、ジカンナインデスケド・・・)」
がんも「そういえば、この前、鳥取の方に行ったんだけど、○○って温泉、知ってるか?」
「いや、知らないですね(イマジャナキャ・・・ダメデスカ?)」
本当に良くないのだが、マスクの下では、()に書いたようなことをつぶやいていた。そして、時計をチラチラと見たりもした。それでも、私の気持ちは伝わっていないのか、がんもさんの話は続く。
30分ほど経過し、まもなく昼休みが終わろうとした頃、
「ーーあ、ごめんごめん。話しすぎたな。じゃあ、邪魔したな」
「・・・・・・いえ、お疲れ様です」
と、がんもさんが席を離れる。私は急いで作業を再開した。とうぜん、昼ご飯をゆっくり食べる時間も無いので、コンビニで買っていたアンパンをぎゅうぎゅうに握りつぶし、口の中に一口で放り込んだ。
そして、
今じゃないよ・・・がんもさん
というつぶやきが、こみ上げてくるストレスげっぷと一緒に漏れた。結局仕事は終わらず、会議中に更に新しい仕事を上司から割り振られるのであった。(上司は悪い人ではない。多分・・・)
今回のがんもさんも、もう少し余裕があるときに声をかけてくれればありがたかったのだが・・・まあ、いつもならば、ここまでブログを書くほど感じることも無かったのだが・・・。
がんもさんに対する憤りはあまりない。むしろ、えもいわれぬ悲しみの方が強く残る。
新人の頃は話しかけてもらって嬉しかったはずなのに、今は煩わしさを感じてしまっている自分。
慌ただしく作業している息子のような年齢の後輩に対し、いつものように声をかけ、いつものように雑談モードに入って、後輩から「早く終わってほしい・・・」と思われてしまっているベテランの姿。
本当に、どちらもそれぞれに悲しい。ただ、特に後者への悲しみは人ごとではない分、恐ろしさも感じる。20年後、私も同じように後輩から思われる己の姿を想像すると、ゾッとした気持ちになる。
私も注意しなければならないなあ、と、なんだか戒めにも似た気持ちを感じたのであった。
・・・この文章、20年後に読んだらどんな気持ちになるのかなあ。痛いだろうかなあ。
ああ、もう、本当に嫌な日記になってしまった。