手作りのジレンマ
金曜日。会社にて。
フロランタンさん「あ、やきいもさん。ナタデココさんから聞いたんですけど。チケットの件」
「はあ。……え!いいんですか?え、フロランタンさんが?」
フロランタンさん「はい」
「い、いやあ、すみません、ありがとうございます。本当に助かります。でも、押し付けたみたいになってませんか?」
フロランタンさん「いえ、大丈夫です。私も初めてなので勝手がよくわからないですが、人生経験だと思って行ってみます!」
「そうですか。よい経験になればいいですが」
フロランタンさん「じゃあ、こちらお代です」
「?いや、お代は結構ですから。僕のミスですし」
フロランタンさん「いや、だめですよ。お金を払わないと、まじめに見る気持ちにならないじゃないですか」
「――はあ」
私は、内勤業務の先輩社員であるフロランタンさんにチケットを渡した。引き換えにチケットの代金を受け取る。なお、私がフロランタンさんに渡したのは、
とある落語のチケット
である。
落語のチケットを買ったのはいいが、前週になった段階で、落語の公演日に東京で
『業務研修』
があることが発覚したのである。……いっそ研修を抜け出してやろうかと思ったが、残念ながら総務部命令であるため、抜け出したあかつきには厳しい指導が待っている。そのため、落語をあきらめなければならなくなったのである。
(……ん?この展開、以前も経験したような。本当に『スケジュール管理できない病』かもしれない)
そこで、代わりに落語に行ってくれる人を探すべく、まずは最も身近な先輩に相談。私の前に座る内勤業務のナタデココさんに声をかける。
「あ、ナタデココさん、来週の水曜日なんですけど、夜空いてます?」
ナタデココさん「何、急に。デートの誘い?」
「すみません、人妻は誘えないですよ(笑)落語って興味あります?じつは、かくかくしかじかで。開演は18時からなんですが」
ナタデココさん「へえ。……でも、あんた、前も同じようなことなかった?」
「……そこは触れないでください」
ナタデココさん「でも、あの時は湯葉さんに渡していたじゃない。また湯葉さんにお渡したら?」
「もう聞いてみましたよ。でも、今回はもう外せない予定が入っているみたいで……」
ナタデココさん「あらそう……でも、私も無理よ。だって、子供の晩御飯も作らないといけないし」
「そうですよね……。また引き取り手を探すのかあ。めんどくさいなあ。会社にはこんな相談できる人、いないしなあ(友達もいないし)」
ナタデココ「まあ、いいわ。昼休みに近くの人に聞いといてあげるから」
「すみません。助かります。あ、無論、代金は不要ですので」
ナタデココさんは社交的な性格で、社内でも顔が広い。内向的な私がローラー作戦で当たるよりも、よほど効率よくもらい主を見つけてくれると思われた。本当に、頼りになる存在である。
――
夕刻。営業先から社内に帰ってくると、内勤業務の女性であるフロランタンさんが私のもとにやってきた。そして、冒頭述べた通り、チケットをもらってくれるというのであった。
貰い手を探してくれたナタデココさんに感謝。そして、チケットを受け取ってくれたフロランタンさんに感謝である。……しかし、代金を受け取ったことに対する申し訳なさをぬぐえない。
余談ながら、フロランタンさんは私よりも(たしか)5~6個上の先輩である。この年代の女性を落語の客席でみかけることは――正直少ないように思う。無理をしてもらってお金を払わせるのはまことに忍びない。
「代金は本当にいいんですが……申し訳ないですから」
というと、フロランタンさんは思いついたように言う。
フロランタンさん「――あ、じゃあ、お菓子、作ってくださいよ。お菓子」
「は?」
フロランタンさん「ナタデココさんから聞いたんですよ。焼きいもさん、お菓子作りが好きだって。だから、お菓子食べてみたいです」
「……いやあ。そうですねえ。まあ、そうですねえ(苦笑)あ、 じゃあ、落語よろしくお願いします。気楽に楽しんで下されば幸いです」
とお茶を濁して話を終えた。
――
日曜日。
朝軽く走り、ワイシャツにアイロンをかけ、部屋の掃除を終えたら、やることがなくなる。ぼんやりと朝のワイドショーを見ながら、
(お菓子作りねえ……)
と、金曜日のフロランタンさんとのやり取りを思い出す。
たしかに、昨年の3月くらい前までは毎週のようにお菓子を作っていた。木曜日に何を作るか考え、金曜日に材料を買い、土日に目いっぱい作った。ある意味、病的なくらい、お菓子作りにのめりこんだ。洋菓子スクールにも通っていたしね。時には会社に作ったものを持っていって、ナタデココさんのような身近な同僚にお渡ししたこともあった。
……だが、4月頃から仕事が忙しくなったこと、日本茶インストラクターの資格や英語の勉強に集中していたこと、そしてジョギングなどに時間を割くようになったことなどから、いつの間にかお菓子作りから遠のいていた(まあ、どれもイイワケだが)。
(……まあ、フロランタンさんもその場だけで言っただけだろう)
という思いもある。本気でリクエストにこたえてほしい!などと望んでいるとも到底思えない。
……また、別件で、お菓子を作ってフロランタンさんに渡すことをためらう理由があった。少し前、とあるブログで
手作りお菓子を食べることができるか
という記事を拝見した(誰のブログかはとりあえず伏せておく)。大変面白い内容だったのだが、その方は
わたしは基本的にはできません。よほど深い付き合いのある友人でもない限り、他人の手作りお菓子なんて食べたくない。何が入ってるかわからんし作っている環境もどんな感じなのかわからんので。
という見解を述べられていた。妙に納得させられただけに笑わせてもらった。同時に、ここにきて不安の種にもなっていた。
(ここで、俺が『約束通り、お菓子作ってきました!食べてください』なんて言ったら、フロランタンさん、気持ち悪がるだろうかなあ。『マジで作ってきた。手作りとかキモイんですけど……』『捨てるに決まってんじゃん』、とかね……)
相手は妙齢(?)の女性。想像すると、背中が寒くなる。
……一方で、日本茶インストラクターの勉強も一段落し、新たに夢中になれるものを探していた。ここ最近、やることもなくて抜け殻状態だったし。フロランタンさんから言われて、(渡す渡さないに関係なく)久しぶりにお菓子作りをしたくなったのも事実である。
(……まあ、とりあえず、行ってみるか)
と、梅田駅近くの阪急百貨店に行く。そして、地下2Fにある製菓材料店へ。
お菓子の材料を物色。この時間が久しぶりで楽しかった。
(何を作ろうか。あまり難しすぎず、かといってクッキーのような単純なものでもなく――久しぶりだし、やっぱりあれかな)
材料を購入し、家に帰宅。
――
さて、今日はフロランタンを作ってみたいと思います。
フロランタンとは、フィレンツェ風という意味で、1533年、イタリアのメディチ家のカトリーヌ姫がフランスのアンリ2世に嫁いだ時伝わったとされるキャラメルとアーモンドのお菓子だ。
-(中略)-カトリーヌはメディチ家の直系にもかかわらず、出生後両親が相次いで死亡、修道院に入れられたあげく、政略結婚の道具として使われる。しかも、アンリ2世にはディアヌという20歳も年上の愛人がいて、カトリーヌのことなど眼中にない。11年後ようやく初子に恵まれ、10人の子を産んだが、夫は馬上槍試合で槍が顔に突き刺さり死亡してしまう。その後国内に宗教戦争が勃発。息子アンリ3世が即位するが内乱は泥沼化。そのさなかカトリーヌは亡くなる。69歳の生涯だった。
猫井登『おいしさの秘密がわかる スイーツ断面図鑑』より
なんと悲しいカトリーヌ姫。しかし、フロランタンはそんな彼女の心を慰めていたことでしょう。ほのかにオレンジ香るアーモンドキャラメルとサクサククッキーの食感は、すべての人の心に癒しを与える。(アーモンド嫌いの人はごめんね)
さて、久しぶりのクッキング日記ですね。あ、男性諸君は一度外に出てください。終わったら呼びますんで。
……と言いつつ、久しぶりすぎてほとんど写真を撮り忘れた。フロランタンの作り方は以下の通りでありんす。
①クッキー生地を焼いて、その上にキャラメルアーモンド生地(半生状態)をのせる。
②こいつを焼きあげる。(20分くらい)
③カットする。(熱いうちだぞ)
④小さな袋に入れて出来上がり。
材料?まあ、レシピサイトを観てください。キャラメル生地にグランマニエを入れるのを忘れずにね。
完成品。
私はこっちのはじっこの方が好き。見栄えは悪いけどね。
いやあ、久しぶりに作ってみると、面白いもんですね。今年はお菓子作りを極めてみようかな。きっかけをくれたフロランタンさんには感謝。
……でも、これを明日会社にもっていくかどうかは……もうちょっと考えてみよう(笑)