年賀状 受け手の心 さもありなん
人生とは出会いであり、その招待は二度と繰り返されることはない。
ハンス・カロッサ
自分を憐れむという贅沢がなければ、人生なんていうものには耐えられない場合がかなりあると私は思う。
ジョージ・ギッシング
1月4日。仕事始めの日。
「新年、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします」
短い正月休みも終わり、サラリーマン生活が再スタート。新年早々、上記の定型挨拶を伝えるべく、社内方面を回る。関連部署への電話でも、同じように冒頭に新年挨拶をつける。まあ、若輩者の我が心の中では、
(もう、めんどくさいなあ……まあ、社会人だから仕方ないけどさあ……。言わなくっても、まあ、いいんだろうけどさあ……)
などとプータラ文句を垂れているわけだが。おそらく顔や声色にはしっかり出ていただろうと思われる。
――
ナタデココさん「はい、焼き芋君への年賀状はこれね」
「あ、ありがとうございます」
事務業務のナタデココさんから、社外からの年賀状を受け取る。
主要取引先の方から数枚届いていた。会社間の年賀状のやりとりが大分減っている昨今だが、やっぱり年始に年賀状を受け取るとうれしいものである(自分は1枚も送ってないくせに)。
毎年のように送ってくれる方々の中で、1枚だけ初めての年賀状が目に留まる。
(……あ、これは)
明けましておめでとうございます。昨年は焼いも様には大変お世話になりました。2018年もより一層お役立ちできるよう努めてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
㈱ビタミン キシリトール
(これは、ご丁寧に――)
キシリトール氏は、取引先の営業の方である。私よりも年下の方なので、気を遣って送ってくれたのだろう。別にこちらから何かお世話をしたつもりもないし、むしろお世話になっているのはこちらなのだが。㈱ビタミンは非常にまじめな社風の会社なので、もしかしたら先輩社員の方に送るように言われたのかもしれない。
(こういうコマメでマジメな対応は、俺も忘れてはいけないんだよな。スレちゃいけないんだよなあ。社内のあいさつ回りくらいでウダウダ文句を言っている場合じゃないよなあ……)
と反省。
余談ながら、私の会社は対外的に年賀状を送ることはしない。そのため、とりあえずメールにてご挨拶と年賀状のお礼を述べた文章を送った。
――
帰宅し、ポストをのぞく。光熱費の支払い通知のほかに、年賀状が2枚入っていた。
「俺に個人的に年賀状を出すような人間がいるとはな」
届いた年賀状の差出人を怖いもの見たさで見てみる。
1枚目は、昨年に結婚した大学時代の同級生から。私にとって「友人」と呼べる数少ない人間の1人である。
裏を見ると、
結婚して初めてのお正月を迎えました。まだまだ未熟な二人ではありますが、どうか末永いお付き合いをよろしくお願い申し上げます。皆様にとって幸多き年となりますように
アスパラ ガス
アスパラ ギン
と書かれた文面と、幸せそうなご両人の写真が写っていた。大人としての常識的な文面と、年賀状に笑顔を向ける友人の顔を見て、彼が随分と遠い存在に思えた。そもそも、今の私には、年賀状を知人に送るということが、全く想像できなかった。送らなければならないレベルにまで達していない――ということなのかもしれない。
2枚目を見てみる。
「え、これ……?」
ほとんど身に覚えのない人からだった。送り主の名前には、全く心当たりがない。ただ、名前の横に添えられている
農家民宿 〇〇
には、なんとなく心当たりがあった。
(……ああ、多分、夏に旅行したときに泊まった民宿だろう。民宿名は覚えていないけど……たぶんそうだろう)
昨年の夏、彼女と一緒に東北旅行をした。その際に宿泊した農家民宿から年賀状が届いたのであった。
(もう、記憶から消えていたわ。しかしまあ、あの時は楽しかったよなあ……あ、そういうこと?)
この年賀状を受け取ったことで、またあの民宿に行きたくなるかどうかはわからない。だが、少なくとも記憶から薄れていた東北旅行を思い出す力はあった。受け手としても悪い気はしない。これもある意味、地道な営業活動なんだろう。
(おれもちゃんと営業を頑張らないとなあ…)
新年早々、小さな人間関係の中から送られてくる年賀状を通じ、ぼんやりとした反省をしたのであった。独身で、友達もろくすっぽおらんアラサー男の新年なんて、こんなもんだよなあ。
今年はもう少し大人な魅力を身につけるぜ!一方で、地道でマメな営業活動を忘れずに続けていくぜ!そいで、今年は2017年の1.1倍頑張るぜ!
今年もよろしくお願いいたしますze!まだエンジンがかかりきっていないze!