ギザ十な日々

2人の息子と妻との日々を書いています。

イタイならイタイままでいたい

 
好かれるとか嫌われるとか 、それ以前の問題だった 。僕は彼女たちの宇宙に属していなかった 。同じ時間と空間にいながら 、決して交わりあうことはない 。彼女たちの目に映る僕は通りすぎる影に過ぎず 、僕にとっての彼女たちもまた同様だった 。
 
三秋縋『君の話』より
 
 
 
 
 
 
 
この前の連休のこと。
 
私は、約10年ぶりに再会した高校時代の同級生(焼きリンゴさん)の家にいた。高校時代、彼女の家に行ったことは一度もなかった。携帯番号は今も昔も知らないし、彼女がやっているInstagramも観たことがない。また、彼女が5年ほど前に結婚し、すでに2児の母になっていることを知ったのも、再会する数ヶ月前のことだった。
 
そんな疎遠な関係の同級生の家にあがりこみ、赤ん坊を手慣れた様子であやす姿を見ることになろうとは、想像もしていなかった。この様子を見て一番驚くとしたら、おそらく10年前の私自身だろう。
 
 
なぜ関係が絶えていた焼きリンゴさんの家に行くことになったのかというとーーまあ、書くと長くなるのでざっくり説明するとーー、私と焼きリンゴさんの共通の知人(後輩)がおり、その知人を介して会うことになった、とだけ記しておこう。この知人は、私にとっても焼きリンゴさんにとっても、とても距離の近い存在なのである。(この関係性、専門用語では「禁じられた三者関係(forbidden triad)」と呼ぶらしい)
 
 

 
 
高校時代、私と焼きリンゴさんは同じクラスだった。名字が同じ「焼き」で始まることもあり、席が近かったので、話す機会もそれなりにあったのである。
 
非社交的な上、思春期丸出しで女子に対する免疫が皆無な根暗男だった私にとって、焼きリンゴさんは「女子」というだけで一定の距離を取りたい(本心では距離を詰めたかった)相手だった。ただ、彼女はいい意味で女子っぽさを出さないサバサバとした性格の持ち主だったので、私のような男にもフレンドリーに話しかけてくれていたのである。といっても、何か深いことまで話すわけでもないし、前述の通り連絡先を交換することもなかった。今振り返って見ると、会えば挨拶をするアパートの隣人くらいのたわいもない関係性だったと思う。
 
 
 
そんな焼きリンゴさんと共通の知人と私は、焼きリンゴさんが持ってきた高校時代の卒業アルバムを見ることになった。(女子か!と、心の中で一人で突っ込む)
 
 
焼きリンゴさんは、卒業アルバムに映る元同級生たちが今どこで何をしているのかを、かなり幅広く知っていた。
 
クールで背の高かったバスケ部のAくんは、パチンコに入り浸っている予備校講師になった。読者モデルになって多くの女子の嫉妬をかったBさんは、今は地元で結婚してパート勤め。クラスであまり目立たなかったけど優しい性格のC君は、全く目立たないユーチューバーになっている。D君は薬剤師として活躍中、Eさんは今年離婚、柔道が強かったF君は子供にも柔道をさせている、Gさんは地方のケーブルテレビでリポーターをしている、H君は仙台の繁華街に不定期に出没ーー
 
 
 
どれも私との絡みのない人生。というか、卒アルにある顔写真すべてひっくるめても、今の私と係わりのある人はほぼ誰もいない。今も連絡を取っているのはゼロである。これだけいるのだから、一人くらい、今も定期的に連絡する人がいてもいいと思うのだが。
 
この中の誰か1人でも、運命を感じるほど深い関係を築いていたならば、私の今の人生はまるで違っていたのだろうか?ーーもちろん、今の人生に不服があるわけではない。単なる好奇心からの空想。
 
 
 
「ーーすごいね。焼きリンゴさんはいろんな人のことについて知ってるんだね」
 
焼きリンゴ「まあ、話伝いで聞いたのも多いけどね」
 
「俺なんかほとんど誰も知らないけどね。逆に、俺の今を知っている人もほぼ誰もいないだろうしね」
 
焼きリンゴ「本当だよ笑。私も焼き芋がいま何しているか、全く知らなかったもの。そういえば焼き芋はさ、ヤマタケちゃんのこと覚えてる?私と仲良かったコ。今度焼き芋に会うって言ったら、『私も会いたい!』って言ってたよ」
 
「ヤマタケちゃん?・・・・・・」
 
焼きリンゴ「高校時代、掃除とか班活動とか一緒だったじゃん。席も近かったし」
 
「ああ・・・」
 
カッコつけるわけでもなんでもなく、本当に思い出せない。焼きリンゴさんが卒アルをめくり、ヤマタケさんの顔を指し示すが、そこには私とは一切係わりのないジョシコウセイがいるだけだった。
 
「ふーん・・・おぼろげに記憶のどこか果てしない向こう側にぼんやりと顔があるような無いようなーー」
 
焼きリンゴ「覚えてないんじゃん笑。ヤマタケちゃん傷つくよ」
 
共通の知人「ほんと、焼き芋さんは記憶力がひどいね」
 
「高校時代はあんまり思い出したくないから、みんな消えちゃったんだよ」
 
焼きリンゴ「そういえば、焼き芋は今大阪にいるんでしょ?」
 
「うん」
 
焼きリンゴ「遠いよね、私なんて修学旅行で行ったっきりだよ」
 
「修学旅行?」
 
焼きリンゴ「修学旅行だよ修学旅行!大阪だったじゃん」
 
共通の友人「修学旅行のことも覚えてないの?」
 
「・・・大阪だっけ?」
 
冗談のつもりではない。本当に覚えていないのである。
 
焼きリンゴ「ほら、卒アルにその時の写真あるじゃん。大阪・奈良・京都をめぐる修学旅行だったでしょ」
 
焼きリンゴさんは、ユニバーサルスタジオジャパン金閣寺清水寺ではしゃぐ同級生の写真を指差す。しかし、それをみても、自分がその場にいた記憶がない。
 
「・・・・・・行ったような、行かなかったような。何か別の用事があって行かなかったんじゃないだろうか?」
 
焼きリンゴ「だったら、逆に行かなかったこと覚えてない?多分、いたと思うよ。写真には写ってないみたいだけど」
 
共通の友人「すごいね。本当に病的に忘れてるね」
 
 
その後も、卒アルを見ながら、高校時代を懐かしむ会話を続けた。ただ、汚職事件で問い詰められている議員と同じくらい、「記憶にございません」が多かったのには驚いた(議員と違い、心の底から記憶になかった)。その状態に、
 
 
(本当に私はここにいたんだろうか?)
 
と思うほどだった。
 
 
もちろん、高校時代の記憶が全くないわけではない。
 
顔から火が出るような恥ずかしい、お寒い記憶(ここで書くのもはばかられるようなしょうもないことばかりなので割愛)
 
というのは、いくつか思い出すことができる。ただ、それは卒業アルバムに載るような恒例の学校行事には存在しなかっただけである。もっと地味で、私一人で完結するようなくだらないものばかりである。
 
 
その後、焼きリンゴさんの家で昼食をご馳走になり、共通の知人とともにお別れした。焼きリンゴさんは最後に
 
「『仲間』なんだから、これからはもっと気楽に声かけてね。今度年末とかに、みんなで会おうね」
 
 
と言った。その言葉に「ありがとう」とだけ返す。そして、焼きリンゴさんの顔をちらりと見る。同級生というよりも、たくましく子供を守る笑顔が多くて優しい同い年らしい女性、と言った感じにしか思えなかった。それが少しだけ寂しくもあり、同様に自分も歳月を重ねているのだと実感させられた。
 
 
ーー
 
焼きリンゴさんの優しい言葉を今また思い出す。でも、やっぱり心の底から同意することはできないんだろうな、と思った。「仲間」という表現は、私にはもったいなすぎる。
 
 
今の自分であれば、当時話せなかった同級生たちと(少なくとも当時以上には)気軽に話せると思う。営業で身につけた「とりあえず10分続けられる雑談力」を惜しみなく使い、会話の中心にだってなれるに違いない(知らんけど)。
 
 
ーーでもそれはしたくないんです。共通の思い出はあんまりないかもしれないけれど、やっぱり同じ時間を曲がりなりにも過ごしたんだから。それを安っぽいビジネス本のような内容で上塗りしたくない。私は、少なくとも私の高校時代を知る人にとっては、これからも「クラスで目立たない、意味のわからないやつ」の位置付けで構わないと思う。焼きリンゴさんも、他の同級生に話す時には「この前、焼き芋に会ったけど、相変わらず暗くて何考えているかよくわからないやつだったよ」と言っていて欲しいものである。
 
 
 
余談ながら、こんな心境の中、一冊の本を読んだ。偶然だけど、青年時代の記憶を題材にした小説。
 
 
『君の話』三秋縋氏の作品。たまたま聴いていたラジオで猛プッシュで紹介されていた本である。
 
君の話

君の話

 

  

【あらすじ】
二十歳の夏、僕は一度も出会ったことのない女の子と再会した。架空の青春時代、架空の夏、架空の幼馴染。夏凪灯花は記憶改変技術によって僕の脳に植えつけられた“義憶”の中だけの存在であり、実在しない人物のはずだった。「君は、色んなことを忘れてるんだよ」と彼女は寂しげに笑う。「でもね、それは多分、忘れる必要があったからなの」これは恋の話だ。その恋は、出会う前から続いていて、始まる前に終わっていた。
『BOOKデータ』より
 
 
SFと恋愛の要素を絡ませながら、「人間の記憶」について描いた青春小説。・・・・・・不覚にも泣いてしまった。
 
 
好きな文章を書く作家さんだと思った。各登場人物たちの抱える消したい記憶に、一つ一つ共感を覚える。そして、そんな消したい記憶を抱く人たちが偶然に出会うことで、時に救われることもある。だからこそ、消したい記憶すらも、「もしかしたら」と、なにかの意味を期待して生きてみたくなる。
 
 
多分、近いうちに映像化される作品だと思う。その前に小説でいかがでしょう?
 
 
 
 
しかしまあ、やっぱり私は、音信不通の(よく言えば)レアキャラ(悪く言えばイタイ奴)の方が性分に合っているのだろうかなあ。