ギザ十な日々

2人の息子と妻との日々を書いています。

チケットのゆくえ

 

 秋深き 隣は何を する人ぞ

松尾芭蕉

 

 

弱い紐帯の強み』

この説は1970年、ハーバード大学の博士課程在籍中に行われた調査に基づく。282人のホワイトカラー労働者を無作為に抽出し、現在の職を得た方法を調べたところ、よく知っている人より、どちらかといえば繋がりの薄い人から聞いた情報を元にしていたことが判ったのである。これは「よく知っている」人同士は同一の情報を共有することが多く、そこから新しい情報が得られる可能性は少ないが、「あまり知らない」人は自分の知らない新情報をもたらしてくれる可能性が高いからだと考えられた。このような「あまり知らない」間柄を「弱い紐帯」と呼び、その重要性を明らかにしたのがグラノヴェッターの功績である。

マーク・グラノヴェッター - Wikipediaより

 

 

 

 

 

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Xデー前日。

 

 

 

湯葉さん「え、チケット?」

 

事務作業をしている湯葉さん。当然、私は会話をしたことがない。

 

 

温泉卵さん「ええ。彼が貰い手を探しているそうで」

 

「……あ、ネジ営業部の焼き芋と申します」

 

湯葉「あ、お疲れ様です……何のチケット?」

 

 

怪訝そうな表情の湯葉さん。

 

「実はですね、これなんです――」

 

湯葉さん「ええっと……これって――」

 

 

 

 

 

――

 

 

Xデー5日前。日曜日の昼過ぎ。

 

 

「やっちまったなあ……」

 

 

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チケット購入サイトからのメールを見ながら、部屋の中で頭を抱える。

 

チケットぴいやぴいやをご利用いただきまして、誠にありがとうございます。

ご購入いただきましたチケットの公演日が近づいておりますが、お引き取りいただいておりません。
余裕を持ってお早めにチケットをお引き取りください。

 

 

 

「すっかり忘れてた。にしても、まさか会議の日とはね……」

 

  

私がすっかり忘れていたチケットは、落語家の座り川八の輔氏(仮名)の公演であった。

 

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座り川八の輔は、いま最もチケットが取れない落語家の一人である。大阪で公演することを知り、約1か月前にチケット抽選に応募し、見事当選していた。しかし、直前になって、会議の日と被っていることに気が付いたのであった(……この迂闊さは自分でも病気なのではないかと思うほどである)

 

落語は大阪で行われるが、忌々しいことに、会議は東京で行われる。会議が終わった後に落語に行くということは、どう考えても不可能であった。 ということは、どちらかを選ぶ必要がある。

  

 

 

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短期的には圧倒的に落語勝利。ただ、今後の将来について考えると会議が僅差で勝利。……悔しいが落語をあきらめることにした。

 

 

公演が聞けないのは残念だが、さらに泣き面に蜂であることを知る。

 

  

「……うわ、払い戻しができないのかよ。5000円もしたのに……」

 

 払い戻し不可能なチケットが1枚。……さてこのチケットはどうするべきなんだろうか?

 

 

払い戻しができない以上、以下の選択肢が考え付いた。

 

①売る

②だれかにゆずる

③チリ紙にする

 

ゴウリ的な思考を持つ人であれば、

 

いかに損失を少なくするか?

 

ということに重点を置いて行動することだろう。つまり、このチケット5000円分を少しでも高く誰かに売り、損失を少なくするということである。

 

③のように公演日までに売り手が見つからず、一文の価値もないチリ紙になってしまっては、すべて無駄になってしまうわけである。少しでも高く売るには、少しでも公演になる前に売りつけるほうが得である。直前になればなるほど、買い手から買いたたかれる可能性が高い。

 

――まさに時間との闘い、最も高く購入してくれる人を探すことに躍起にならなければならない。そのためにはヤフーオークションがよいか、金券ショップがよいか、裏のネットワークを駆使して高く売りつけるか……?

 

 

 

 

……しかし、非ゴウリ的な人種である私は、このチケットを売るという発想にはなれなかった。

 

つまり、

 

②だれかゆずる

 

という選択肢を選んだ。どうせ売れたところで大したお金にならないのだろうから、

 

この5000円のチケットの価値を理解してくれる人にゆずることで、落語に行くのとは別の喜びを味わいたい

 

ということを考えたくなったのである。その方が落語っぽいでしょ?(笑)

  

 

……と言いつつ、残念ながら落語のチケットを渡して喜んでくれるような知人友人が私の身近にいない(友達は60億人程度いるのだが、落語のチケットを渡して喜ぶような人間がタマタマ思い当たらなかったのである)。

 

 

公演まであと5日。まあ、売るとなったら「もう5日しかない」となるだろうが、譲るとなると「まだ5日もある」という心地になれた。

 

 

そんなこんなでチケットを放置。

 

 

 

 

 

――

Xデー前日。木曜日。

 

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「やばいなあ……」

 

……自分の性格上、こうなることはある程度予想がついていた。

 

 

――貰い手を見つける努力を怠り、気づけば、公演日の前日となる。

 

 

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 明日は会議で東京なので、今日中に受け取ってくれる人を見つけないと、このチケットは無駄になってしまう。当然、今更このチケットを金券ショップにもっていっても、引き取ってくれるとは思えなかった。

 

 

しょうがないので、隣の部署であるミートソース部のニンジンさん(先輩男性)に声をかける。

 

「……あのニンジンさん、お忙しいところすみません」

 

ニンジン「おう、どうした?お金と女の悩みなら勘弁してくれよ」

 

「いえ……落語って興味あります?」

 

ニンジン「落語?ナニ、唐突に(笑)」

 

「いえ、あの、実は座り川八の輔の落語のチケットがございまして――、明日なんですけど、どうですか?」

 

ニンジン「え、自分で行かないの?」

 

「ええ、実は、明日うちの部署が東京で会議でして……」

 

ニンジン「あ、そうなんだ。いやあ、興味はあるけど、俺たちの部署、明日の夜に飲み会があるんだよね。少し早目の忘年会。よっぽどの事情がないかぎり、全員参加の飲み会なんだよ。だから、行けないなあ」

 

「……そうですか……あ、ということは、ニンジンさんの部署の人は誰もいないってことですね」

 

ニンジン「そういうこと。ごめんね、力になれなくて」

 

「い、いえ……」

 

 

絶望。あわよくばニンジンさんを通じて、ミートソース部のだれかに渡せればと思ったのだが、それも叶わないことがわかった。

 

はやめに金券ショップに行かなかった自分の悠長さを恨んだ。結局、このチケットは紙くずとなってしまうようだ。後悔先に立たずである。

 

 

……ただ、いつまでも後悔している場合ではない。この日も仕事は山のようにたまっている。一縷の望みに託して金券ショップを探す余裕すら、今の私にはなかった。

 

 

私は気落ちしながら、来週の出張の準備をすべく、倉庫に向かった。

 

 

――

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会社の倉庫で作業。

 

 

 

 

 

温泉卵さん「あ、焼き芋君、お疲れ様」

 

「あ、お疲れ様です」

 

 

声をかけてきたのは、マグカップ営業部の温泉卵さん(男性)。……あ、うちの会社は、違う商品を扱う部署が80部署くらいあるのである。ネジにミートソースにマグカップにリモコンに鍵にジャグリングに――。

 

 

 

だったら最初から他の部署の人にいろいろ聞いて、もらってくれる人を探せばいいだろ

 

 

と思う人は、実に早計である。

 

部署が複数あるかと言って、その全員と関わりがあるわけではない。いつぞやも記したような気がするが、基本的に人間関係は自分の部署の人たちだけで完結しており、隣の部署は何する人ぞ?という感じなのである。

 

前述のニンジンさんの部署まだ多少のかかわりがある部署なのだ。それ以外の部署はほとんどかかわりがない。そして、温泉卵さんがいるマグカップ営業部の部署は、仕事のかかわりは全くと言っていいほどない。正直、別の会社と言っても過言ではない。

 

ただ、温泉卵さんは気さくな人なので、ごくたまに倉庫で会ったときに話などをしていたわけである(倉庫は共有なの)。

 

もちろん、私の非社交的な性格上、そこから関係性が深くなるわけでもないので、立ち話以外での交流はほとんどなかった。

 

 

 

温泉卵「相変わらず倉庫作業に精を出されて」

 

「そうですね、下っ端ですから(苦笑)」

 

温泉卵「俺もおんなじだよ。お互い、雑用係は大変ですな」

 

 

 

などと、当たり障りのない会話をしていたのだが――。

 

(……あ、そうだ――)

 

 

私は温泉卵さんにチケットのことを相談してみることを思いつく。

 

「あの、温泉卵さんに相談があるんですが……」

 

温泉卵「なに?お金と女の相談以外ならなんでも聞くよ」

 

「(この前置き、みんな好きだなあ)幸い、お金でも女でも、己の営業能力の低さについてでもないです。ええっとですね、温泉卵さんって落語に興味あります?」

 

温泉卵「……落語?」

 

「はい、落語です。実はかくかくしかじかで――」

 

事情を説明。

 

温泉卵「……明日なの?明日はうちの部署が東京で会議だからなあ」

 

「あ、そうなんですか。うちの部署も東京で会議なんですよ。見事に会議ラッシュですね(またダメか……)」

 

 

温泉卵「そうねえ――う~ん」

 

 

しばし考え込む様子の温泉卵さん。

 

 

温泉卵「――あ。湯葉さんだったら……」

 

「え?」

 

温泉卵「ちょっと、一緒に来てくれ」

 

「……はあ」

 

温泉卵さんに連れられて倉庫を出る。そして、温泉卵さんが所属する部署のフロアへ向かう。フロアに向かう途中、温泉卵さんから事情を聴く。

 

 

温泉卵「――実は、うちの部署に1人、落語好きの人がいるんだよ。少し前の飲み会でそんな話になったんだよね」

 

「……でも、温泉卵さんの部署の人は会議でいらっしゃらないんですよね?」

 

温泉卵「うん。ただ、その人は例外」

 

「……例外?」

 

温泉卵「事務職の女性なんだよ。湯葉さんっていう人なんだけどね」

 

「……?」

 

 

温泉卵「――会議があるっていうのは、営業担当だけ、というわけです」

 

「……あ!なるほど!」 

 

温泉卵「もちろん、湯葉さんの金曜日の夜に予定が入っていたらそれまでだけどね」

 

 「は、はい!」

 

 

――

 

温泉卵さんの部署のフロア。

 

 

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湯葉さん「え、チケット?」

 

事務作業をしている湯葉さん。当然、私は会話をしたことがない。

 

温泉卵さん「ええ。彼が貰い手を探しているそうで」

 

「……あ、ネジ営業部の焼き芋と申します」

 

湯葉「あ、お疲れ様です……何のチケット?」

 

 

怪訝そうな表情の湯葉さん。

 

「実はですね、これなんです――」

 

湯葉さん「ええっと……これって――!座り川八の輔のチケットじゃないですか!

 

「そうなんです。実はかくかくしかじかという事情で、貰い手を探しておりまして――」

 

湯葉さん「え、いいんですか!?よろしいんであればぜひ!」

 

 

温泉卵&私「わーいわーい」

  

 

 

湯葉さん「このチケット、おいくらですか?」

 

「あ、いや、代金は結構ですので。そういう予定でしたので」

 

湯葉「は?はあ」

 

ということで、落語が好きで、チケットの価値を理解してくれる人にお渡しすることができたのでしたとさ。

 

チケットも喜んだことでしょう。もちろん、代金はいただかない。それが大人のエチケットでしょう。貰い手がいてくれただけで十分に儲けた気分ですから、けち臭い話はこの際なしにしましょう。

 

 

 

 以上、どんなつながりが重要になるのか、わからないもんだなあ、と思った出来事でした。

 

 

……え、オチ?

 

 

 

 

 

 

 

 

ええっと、『今日の日記』とかけまして、『できる男が優先しているもの』と説く。その心は、

 

 

 

 

 

 

 

 

「どちらも『えちけっと』から始まるでしょう(え、チケット?、エチケット)

 

 

 

……おあとが苦しいようで。