ゆっくり会話を楽しもう
妻「ねえ、どうして話をしないの?」
夫(ショペンハウエルの読書か「出馬予想」の耽読をさまたげられて)「うむ?」
妻「どうして話をしないの?」
夫「別に話すこともない」
妻「愛していないからよ」
夫(すっかり邪魔され、イライラして)「ばっかなことを言いなさんな。(突然、論理で言い負かそうと懸命になり)おれがほかの女と付き合っているかい?給料も渡しているだろ?お前と子供たちのために骨身を削って働いとらんのかい?」
妻(論理的には納得したが、なおも満足しない)「でも、何か話してもらいたいのよ」
夫「なぜさ?」
妻「なぜ、でも」
もちろんある意味では夫が正しい。かれの行動そのものは愛の外在的表示になっている。それはコトバよりもたしかである。けれど別の意味では妻が正しい。話がつながっていなければ縁がつながっていないような気のするのも、無理はない。
とある書物第4版 より引用
毎日のようにツレと電話をする。
ツレ「でね――それがさーーってわけ。でもさ、――だから――っておかしくない?」
「うん」
ツレ「というかさ――なわけ――理解できないからさ――でもさ――わけなのよ」
「ほう」
ツレ「……ちょっと、ちゃんと聞いてる?」
「もちろん」
ツレ「テレビ見てるでしょ」
「うん」
ツレ「バカ!」
プツン。
こんなことは日常茶飯事である。まあ、これは私のコミュニケーション能力の低さによるものなのだが、ツレの話を聞いているようで聞いていないことが多いわけである。正確に言うと、聞いてはいるのだが、途中から何を言いたいのかわからなくなる、のである。
その主語は何?なぜそう思うの?そのオチは?そこからあなたはどう考えたの?
最初はこんな問いかけをよくした。だが、彼女のとって、こういう質問が何の意味もないことを3年くらい前に学んだ。それからは、会話をするというより、いかにして彼女の話を止めないようにするかを意識するようになった。……まあ、上の会話の通り、失敗することが多いのだが。
――
月曜日。朝。
歩いて20分くらいのところにある美容院に行く。
美容師「いらっしゃいませ~お荷物お預かりします。こちらへどうぞ~」
髪を切ってくれたのはおそらく私より少し年下の方。
美容師「じゃあ、よろしくお願いします。外、寒くないですか」
「寒いですね」
美容師「私住んでいるところなんて、雪が積もってましたから」
「へえ、そんなにですか」
美容師「車の上にも積もってて」
「へえ」
別に中身があるわけではない会話。
基本的には、私はあまりこういう場で会話を弾ませたいとは思わない。髪を切ることに集中してほしいし、そもそも人と会話するのがめんどくさい性格なのである(営業やめちまえ)。
いつもならば、ここらへんで相槌の程度を下げ、相手が黙るような空気を作る。
――しかし、なぜだろう。この日は妙に相槌を打つ私がいた。
「たしかに、通りにあった水たまりにも氷が張ってましたね。冬はなかなか終わってくれないですね」
美容師「本当にそうですね――。もうすぐ春なんですけどね」
「本当に。実は、今日も寒いから髪を切りたくないんですが、社会人なのでしょうがないですね(笑)」
美容師「あはは、そうですね(笑)――それでは、今日はどれくらい切ります?」
「全体的にさっぱりしたいのですが。1か月半くらい前に切ってもらったので、その時くらいですかね」
美容師「わかりました。あ、その時も私が切ってましたよね」
「あ、たしかそうですね!あの時に切ってもらったのが良くて、また来たんですよ」
美容師「あ、本当ですか!ありがとうございます。では始めさせていただきます」
その後も、会話は続く。
「――周りが髪を切ったことに気づけないんですよね。これをスマートに気づけるようになりたいんですが。なかなか……」
美容師「ああ、気づく人は気づきますよね」
「当然、美容師さんは気づきますよね」
美容師「そうですね。それはわかりますよね」
「でも……どうやったら気づけるようになるんでしょう?」
美容師「うーん、そうですね。やっぱりその人のことをよく観察することじゃないですか?うん、そうそうそう。でも、気づいてもらったらやっぱり嬉しいんですよね。あ、この人、私のこと見てくれているんだ、って思いますし」
「でも、人にもよるんじゃないですか?ぼくみたいなのが若い子に『髪切った?』って言ったら、『うわ、きもっ』って思いません?」
美容師「思わないですよ(笑)でも、人にもよるでしょうね~(笑)ははは」
「ははは。僕が後輩の女の子とかに『髪切った?いいねいいね、かわいいね。かわいいかわいい』なんて言ったら、ちょっと引かれそうな気がしますけどね」
美容師「まあそれは引かれるでしょうね(笑)――あ、だったら『雰囲気変わったね』って言ったらいいと思いますよ。あとは『親しみやすい感じになったね』とか。うん、そうそう」
「あ、なるほど。そういう言い方すればいいのか。ああ、なるほど。それは、良いこと聞いた」
美容師「うん、そうそう!是非言ってみてください!それで嫌がるコは多分いないと思いますよ?」
「今度試してみます。でも、本当に、後輩の女の子の気持ちがわからないんですよね」
美容師「そうなんですか?」
「はい。この間も、『スイーツバイキング行きました!』とか嬉しそうにいわれたんですけど、正直、スイーツバイキングの何がいいのかわからなくて。甘いものは好きな方ですが、ホールで食べたとか聞くと、ちょっと……」
美容師「あはは。そういうの好きなコは好きですからね。結構人気で、予約しないと入れないところも多いみたいですよ」
「へえ、そうなんですか」
美容師「うん、そうそうそう」
「――あ、ちなみにそのコ、ある時、誰が見てもわかるくらい、髪をバッサリ切ってきたんですよ。『あれ失恋したのか?』って思っちゃいましたね」
美容師「ああ、よく言うやつですよね。でも、髪を一気切るのと失恋って、ほとんど関係ないですからね(笑)」
「あ、やっぱりそうなんですか?」
美容師「そうですよ~おじさんが言っているだけです(笑)私もこの前、お客さんのロングヘアをバッサリ切りましたけど、単なるイメチェンでしたからね」
「ほう、へえ」
美容師「髪を一気に切ると、本人も、周りからなんて思われているのか気になるから、それこそ、『雰囲気変わったけど、似合ってるね』って言ってあげれたらイイと思いますよ」
「なるほどねえ。確かにそれはスマートですね」
美容師「うん、そうそうそう。そういえば、この前私が髪切った人は、『インスタで髪が一気に変わったとこあげたい』って理由でバッサリ切ってましたよ」
「ああ、インスタね。あれもまだ理解が追い付かないんですよね」
美容師「あははは」
「アレもすごいですよね。よく自分の顔をネットに公開できますよ。私のこの顔じゃ、絶対にネットにあげられないですからね。美女やイケメンはすごいですよ。うらやましい」
美容師「なにを言ってるんですか(笑)」
「本当に(本当に)」
美容師「でも、私は顔よりもやっぱり中身ですね。イケメンでも中身が空っぽだったら、バカじゃないの?って思いますからね。優しいとか気配りできるとか――やっぱり中身ですよ。うん、そうそう」
「なるほどねえ。でも、実はイケメンの方が優しくて気配りもできるんですよね(笑)」
美容師「そんなことないですって!それは関係ないですって」
「そうですか?」
「本当に、ちょっと乾燥してたらさりげなく飲み物をくれたりとか、寒そうにしてたらさりげなくエアコン温度上げるとか、重い荷物持ってたらさりげなく代わりに持ってあげるとか。顔なんかより、そういうささやかな優しさの方がいいんですよ」
「……まあ、それが意外と難しいんですよね。なんでだろ、そういうのって、お子さんがいるような、どちらかというと母親の方に近い女性先輩の方だったら気づけたりするんですけどね(まあ、たまにだけど)」
美容師「是非、年近いコにもやってあげてください!絶対喜ばれますから!うん」
と、まとまりのない話を続ける。最終的には美容師さんがジャムづくりが趣味だというところで話が終わった。
美容師「はい以上です。お疲れ様でした~」
「ありがとうございました。さっぱりしました」
美容師「じゃあ、後輩さんにいろいろ言ってみてくださいね!気持ちは伝わるはずです!」
「(……ん?)ええ、ははは。またお願いします」
ちょっと待て、なんだか俺が後輩のことが好きみたいになってるじゃんか。まあ、別に美容師さんも次会うころには忘れているだろうから、別にいいんだけど。
しかし、今日は妙に話が続いたなあ。髪を切ること以外何もやることがなくて、気持ちに余裕があったからかしら?でもまあ、黙っているよりも意外と楽しいひと時であった。
ツレの電話でも、こうできたらいいんだよなあ。--でも、慣れている相手だと難しくなるんだよなあ。なんて思った帰り道であった。
この日記を「中身がない」と切り捨てるそこの旦那、ちゃんと奥さんや愛人を大事にしてるかい?……なんてね。