「まくら」営業、はじめました。

営業職の男です。「まくら」を極めて営業のタツジンになりたいのです。

イタイならイタイままでいたい

 
好かれるとか嫌われるとか 、それ以前の問題だった 。僕は彼女たちの宇宙に属していなかった 。同じ時間と空間にいながら 、決して交わりあうことはない 。彼女たちの目に映る僕は通りすぎる影に過ぎず 、僕にとっての彼女たちもまた同様だった 。
 
三秋縋『君の話』より
 
 
 
 
 
 
 
この前の連休のこと。
 
私は、約10年ぶりに再会した高校時代の同級生(焼きリンゴさん)の家にいた。高校時代、彼女の家に行ったことは一度もなかった。携帯番号は今も昔も知らないし、彼女がやっているInstagramも観たことがない。また、彼女が5年ほど前に結婚し、すでに2児の母になっていることを知ったのも、再会する数ヶ月前のことだった。
 
そんな疎遠な関係の同級生の家にあがりこみ、赤ん坊を手慣れた様子であやす姿を見ることになろうとは、想像もしていなかった。この様子を見て一番驚くとしたら、おそらく10年前の私自身だろう。
 
 
なぜ関係が絶えていた焼きリンゴさんの家に行くことになったのかというとーーまあ、書くと長くなるのでざっくり説明するとーー、私と焼きリンゴさんの共通の知人(後輩)がおり、その知人を介して会うことになった、とだけ記しておこう。この知人は、私にとっても焼きリンゴさんにとっても、とても距離の近い存在なのである。(この関係性、専門用語では「禁じられた三者関係(forbidden triad)」と呼ぶらしい)
 
 

 
 
高校時代、私と焼きリンゴさんは同じクラスだった。名字が同じ「焼き」で始まることもあり、席が近かったので、話す機会もそれなりにあったのである。
 
非社交的な上、思春期丸出しで女子に対する免疫が皆無な根暗男だった私にとって、焼きリンゴさんは「女子」というだけで一定の距離を取りたい(本心では距離を詰めたかった)相手だった。ただ、彼女はいい意味で女子っぽさを出さないサバサバとした性格の持ち主だったので、私のような男にもフレンドリーに話しかけてくれていたのである。といっても、何か深いことまで話すわけでもないし、前述の通り連絡先を交換することもなかった。今振り返って見ると、会えば挨拶をするアパートの隣人くらいのたわいもない関係性だったと思う。
 
 
 
そんな焼きリンゴさんと共通の知人と私は、焼きリンゴさんが持ってきた高校時代の卒業アルバムを見ることになった。(女子か!と、心の中で一人で突っ込む)
 
 
焼きリンゴさんは、卒業アルバムに映る元同級生たちが今どこで何をしているのかを、かなり幅広く知っていた。
 
クールで背の高かったバスケ部のAくんは、パチンコに入り浸っている予備校講師になった。読者モデルになって多くの女子の嫉妬をかったBさんは、今は地元で結婚してパート勤め。クラスであまり目立たなかったけど優しい性格のC君は、全く目立たないユーチューバーになっている。D君は薬剤師として活躍中、Eさんは今年離婚、柔道が強かったF君は子供にも柔道をさせている、Gさんは地方のケーブルテレビでリポーターをしている、H君は仙台の繁華街に不定期に出没ーー
 
 
 
どれも私との絡みのない人生。というか、卒アルにある顔写真すべてひっくるめても、今の私と係わりのある人はほぼ誰もいない。今も連絡を取っているのはゼロである。これだけいるのだから、一人くらい、今も定期的に連絡する人がいてもいいと思うのだが。
 
この中の誰か1人でも、運命を感じるほど深い関係を築いていたならば、私の今の人生はまるで違っていたのだろうか?ーーもちろん、今の人生に不服があるわけではない。単なる好奇心からの空想。
 
 
 
「ーーすごいね。焼きリンゴさんはいろんな人のことについて知ってるんだね」
 
焼きリンゴ「まあ、話伝いで聞いたのも多いけどね」
 
「俺なんかほとんど誰も知らないけどね。逆に、俺の今を知っている人もほぼ誰もいないだろうしね」
 
焼きリンゴ「本当だよ笑。私も焼き芋がいま何しているか、全く知らなかったもの。そういえば焼き芋はさ、ヤマタケちゃんのこと覚えてる?私と仲良かったコ。今度焼き芋に会うって言ったら、『私も会いたい!』って言ってたよ」
 
「ヤマタケちゃん?・・・・・・」
 
焼きリンゴ「高校時代、掃除とか班活動とか一緒だったじゃん。席も近かったし」
 
「ああ・・・」
 
カッコつけるわけでもなんでもなく、本当に思い出せない。焼きリンゴさんが卒アルをめくり、ヤマタケさんの顔を指し示すが、そこには私とは一切係わりのないジョシコウセイがいるだけだった。
 
「ふーん・・・おぼろげに記憶のどこか果てしない向こう側にぼんやりと顔があるような無いようなーー」
 
焼きリンゴ「覚えてないんじゃん笑。ヤマタケちゃん傷つくよ」
 
共通の知人「ほんと、焼き芋さんは記憶力がひどいね」
 
「高校時代はあんまり思い出したくないから、みんな消えちゃったんだよ」
 
焼きリンゴ「そういえば、焼き芋は今大阪にいるんでしょ?」
 
「うん」
 
焼きリンゴ「遠いよね、私なんて修学旅行で行ったっきりだよ」
 
「修学旅行?」
 
焼きリンゴ「修学旅行だよ修学旅行!大阪だったじゃん」
 
共通の友人「修学旅行のことも覚えてないの?」
 
「・・・大阪だっけ?」
 
冗談のつもりではない。本当に覚えていないのである。
 
焼きリンゴ「ほら、卒アルにその時の写真あるじゃん。大阪・奈良・京都をめぐる修学旅行だったでしょ」
 
焼きリンゴさんは、ユニバーサルスタジオジャパン金閣寺清水寺ではしゃぐ同級生の写真を指差す。しかし、それをみても、自分がその場にいた記憶がない。
 
「・・・・・・行ったような、行かなかったような。何か別の用事があって行かなかったんじゃないだろうか?」
 
焼きリンゴ「だったら、逆に行かなかったこと覚えてない?多分、いたと思うよ。写真には写ってないみたいだけど」
 
共通の友人「すごいね。本当に病的に忘れてるね」
 
 
その後も、卒アルを見ながら、高校時代を懐かしむ会話を続けた。ただ、汚職事件で問い詰められている議員と同じくらい、「記憶にございません」が多かったのには驚いた(議員と違い、心の底から記憶になかった)。その状態に、
 
 
(本当に私はここにいたんだろうか?)
 
と思うほどだった。
 
 
もちろん、高校時代の記憶が全くないわけではない。
 
顔から火が出るような恥ずかしい、お寒い記憶(ここで書くのもはばかられるようなしょうもないことばかりなので割愛)
 
というのは、いくつか思い出すことができる。ただ、それは卒業アルバムに載るような恒例の学校行事には存在しなかっただけである。もっと地味で、私一人で完結するようなくだらないものばかりである。
 
 
その後、焼きリンゴさんの家で昼食をご馳走になり、共通の知人とともにお別れした。焼きリンゴさんは最後に
 
「『仲間』なんだから、これからはもっと気楽に声かけてね。今度年末とかに、みんなで会おうね」
 
 
と言った。その言葉に「ありがとう」とだけ返す。そして、焼きリンゴさんの顔をちらりと見る。同級生というよりも、たくましく子供を守る笑顔が多くて優しい同い年らしい女性、と言った感じにしか思えなかった。それが少しだけ寂しくもあり、同様に自分も歳月を重ねているのだと実感させられた。
 
 
ーー
 
焼きリンゴさんの優しい言葉を今また思い出す。でも、やっぱり心の底から同意することはできないんだろうな、と思った。「仲間」という表現は、私にはもったいなすぎる。
 
 
今の自分であれば、当時話せなかった同級生たちと(少なくとも当時以上には)気軽に話せると思う。営業で身につけた「とりあえず10分続けられる雑談力」を惜しみなく使い、会話の中心にだってなれるに違いない(知らんけど)。
 
 
ーーでもそれはしたくないんです。共通の思い出はあんまりないかもしれないけれど、やっぱり同じ時間を曲がりなりにも過ごしたんだから。それを安っぽいビジネス本のような内容で上塗りしたくない。私は、少なくとも私の高校時代を知る人にとっては、これからも「クラスで目立たない、意味のわからないやつ」の位置付けで構わないと思う。焼きリンゴさんも、他の同級生に話す時には「この前、焼き芋に会ったけど、相変わらず暗くて何考えているかよくわからないやつだったよ」と言っていて欲しいものである。
 
 
 
余談ながら、こんな心境の中、一冊の本を読んだ。偶然だけど、青年時代の記憶を題材にした小説。
 
 
『君の話』三秋縋氏の作品。たまたま聴いていたラジオで猛プッシュで紹介されていた本である。
 
君の話

君の話

 

  

【あらすじ】
二十歳の夏、僕は一度も出会ったことのない女の子と再会した。架空の青春時代、架空の夏、架空の幼馴染。夏凪灯花は記憶改変技術によって僕の脳に植えつけられた“義憶”の中だけの存在であり、実在しない人物のはずだった。「君は、色んなことを忘れてるんだよ」と彼女は寂しげに笑う。「でもね、それは多分、忘れる必要があったからなの」これは恋の話だ。その恋は、出会う前から続いていて、始まる前に終わっていた。
『BOOKデータ』より
 
 
SFと恋愛の要素を絡ませながら、「人間の記憶」について描いた青春小説。・・・・・・不覚にも泣いてしまった。
 
 
好きな文章を書く作家さんだと思った。各登場人物たちの抱える消したい記憶に、一つ一つ共感を覚える。そして、そんな消したい記憶を抱く人たちが偶然に出会うことで、時に救われることもある。だからこそ、消したい記憶すらも、「もしかしたら」と、なにかの意味を期待して生きてみたくなる。
 
 
多分、近いうちに映像化される作品だと思う。その前に小説でいかがでしょう?
 
 
 
 
しかしまあ、やっぱり私は、音信不通の(よく言えば)レアキャラ(悪く言えばイタイ奴)の方が性分に合っているのだろうかなあ。
 
 

2018年 第33回 田沢湖マラソン記録

 
月曜日。朝。
 
3連休ということで、ただいま実家に帰省中。正確に言うと、明日振替有給をもらっているので、4連休なのだが。今日は両親が家にいないので、朝食を食べ終わった後、アムロちゃん引退を見ながら、この日記を記す。
 
 
 
それにしても、筋肉痛がひどい。昨日の田沢湖ラソンの疲れがもろにでている。湿布を貼って寝たのだが、お尻と太もも辺りがキツキツである。
 
 
さて、なんだがのんびりしているので、昨日のマラソン日記を書いてみようとおもう。
 
 
 
日曜日。朝。
 
まだ辺りが暗い中、父の運転する車に乗り、田沢湖へと向かう。
この日は第33回田沢湖ラソンの日であった。田沢湖ラソンは昨年も参加しましたが、2年連続参加となりました。
 
 

 

 
 

(スタート前の会場。いい感じに青空)
 
 
当日は曇りのち雨の予報だった。しかし、フタを開けて見ると、青空が広がり、少し暑さを感じるくらいだった。
 
気温 : 23℃前後
湿度  :少し高め
風  :無風と言って良い。
 
 
余談ながら、この日の大会は、NHKの番組が撮影していたようであった。

NHKのランスマという番組。)
 
取材しているテレビマンたちがあたりにチラチラいたけど、この番組関連かしら?放送が楽しみですね。
 
 
 
さて、田沢湖ラソンの特徴といえば、やはり「後半の湖畔1周」と「コースの高低差」とになるだろう。
 
 
前半の1ー21kmは、街中をグルグルするようなコースとなっている。そして後半は、日本で最も深い湖である田沢湖を一周することになる。田沢湖の美しい湖面と、途中に姿をあらわすたつこ姫がランナーを見送ってくれる。
 

(『たつこ姫伝説』という御話があるのだが、この話、何度読んでも意味がわからない。誰か解説してください)
 
さて、コースの高低差だが、この図を見れば説明はいらないだろう。
 

 
最初から一気に下る。そこから急激に上り、また急激に下る。そして急激に上りーーって、なんてひどいマゾコースだろう。ここでペース配分を間違えると、後半が地獄となる。
 
20kmを超えたあたりになると、先ほど記したように湖畔一周となる。図では平坦に近いように見えるが、小さな高低差が何ともいやらしい。気づかぬうちに体力を奪っていく。そして、35km地点の急激な高低差でとどめを刺される。前半の高低差の疲労も相まって、この坂で走る気力を奪われるのである。
 
 
 
さて、そんな田沢湖ラソン、この日も予定通り10時にスタート!
 
 
ーー
 
フルマラソンは1,000人くらいの参加人数なので、スタートの号砲後も混雑なくスムーズに流れる。
 
ちなみに、この大会の制限時間は5時間。今時のフルマラソン大会は制限時間6時間が多く、中には7時間などもある。そんな中、この大会は未だに5時間制限を貫いている。だからだろうか、ランナーの方々はベテラン風の方が多いように思えた。
 
 
さて、頭の中で上の高低図をイメージしながら走る。この前半の高低差もかなりきつめである。下り坂だと調子に乗りたくなるが、後半のことを考え、極力抑えめを意識。
 
日差しが強くなってきたが、給水ポイントにあるスポンジを使いながら放熱していく。お腹がゆるいので、お腹に水がかからないことは意識。
 
ーー
 
21km地点まで危なげなく到達。ここで、ちょうどフル中間ポイントで沿道の父親に遭遇。声援を送ってもらいました。
 
余談ながら、田沢湖ラソンは応援がいいんです。これは念押ししておきたい。
決して沿道の人が多いわけではない。むしろ他の大会と比較すると少なめである。ハイタッチなどはしないし、吹奏楽部の活気溢れる演奏もない。ボランティアで梅干しやアメやコーラを用意してくれているわけでもない。
 
でも、なんでだろうね。応援がいいんですよ。もしかしたら、応援数もランナー人数も少ない分、応援がランナー1人1人に向けられている感じがするのかもしれない。心に寂しさを感じている人は走って見ましょう。きっと元気が出ますよ。
 
ーー
 
さて、後半「湖畔コース」に到着。左側には、青空と美しく広大な田沢湖が広がっている。まさに絶景、これを見ながら走れるのが、田沢湖ラソンの醍醐味であろう。
 
 
ただ、25kmあたりになると、頼もしかった応援がほとんどなくなる。代わりに足音と、静かな湖畔の森の陰から聴こえる生き物の鳴き声が響くようになる。
 
なお、ここあたりで歩き始めたりペースダウンするランナーが多かったように思う。やはり前半に無理をしたランナーも多かったのだろうか。私はここまでセーブ気味だったため、ペース維持で進めることができた。(まあ、参加2回目だしね)
 
 
ーーそれでも、30kmを超えたあたりで、足に疲労を感じ始める。一度疲労を意識したら、それが身体中に感じるのはそれほど時間を要さない。肩がガチガチに硬くなるのを感じ、お尻の筋肉が張り、足首に痺れが生じる。そして、なによりも疲れで視界がぼやけ、集中力が低下していった。
 
心の中で「あと10km切ってんだ。あと1時間で終わり。大丈夫大丈夫、いける」と言い聞かせる。しかし、毎度のことながら、この10kmが長いんだよね(笑)
 
 
ーー
 
35kmに到着。相変わらず絶望を突きつける急斜面が現れる。このコース設定をした人は、過激なサディストと思えてならない。
 
最初は歩いても走っても大して変わらないから歩いてしまおう、と思った。だが、すぐ後ろから、おそらく自分の母親以上の年齢の女性の方が坂を力強く走って私を追い抜く。それを横目にし、逃げの姿勢に甘んじた自分を恥じた。そして、脚をバシバシ叩いて走りモードに切り替える。といっても、かなり遅く、約7分/kmペースであったが。
 
 
坂を登り終え、そこから急降下していくと、「残り5km」の看板が見えてくる。
 
 
実は、田沢湖ラソンはここからが一番辛い(あくまで私の体験談)。
 
再度、上の高低図を見ていただきたい。35kmの坂が名物なのであまり注目されないが、残り5kmからもアップダウンは続く。決して高低差は大きくないが、疲労がピークを迎えるので、図で見るよりも体感的な辛さは大きい。
 
ただ、40kmを超えると、少しずつ沿道の声援が増えてくる。その声に支えられながら、残り2kmに意識を向けて最後の力を振り絞る。
 
 
そして、なんとか無事にフィニッシュできました。
 
 

(ツレが撮ってくれたゴール直後の写真)
 
 
ゴール直後は、足がガタガタで動けなかった。
 
 
余談ながら、この日、遠距離中のツレも田沢湖ラソンに参加していた。20kmだったので私よりも早くゴールし、うちの父とゴールで待ってくれていた。父とツレは何度も会っていたが二人きりになることはなかった。そのため父もツレも 、いろんな意味で私のゴールを待ちわびていたことだろう。(邪推であるが)
 
 
 
さて、タイムだが、前回よりも30秒程度早く、ギリギリサブ4って感じでした。いやあ、今回も途中で「サブ4は無理かな・・・」と諦めそうになりましたが、35kmの坂で気持ちを維持して頑張れたのが良かったです。自分を褒めてやりたいです(自分に甘いやつです)。
 
 
走り終えて身支度を整えた後は、15時最後までゴール前でランナーを応援。
5時間制限時間前は、見ていてなんだか心動かされるものがある。そして、たくさんのドラマがありましたね。15時に大会終了の号砲が鳴り、2018年の田沢湖ラソンが終了した。
 
 
田沢湖ラソン、ハードだし、走っている最中は二度と出るか!って思ったけど、この日記を書き終えた今になると、また来年も出たくなっている。相変わらず辛いけど、不思議で魅力的な大会ですね。
 
 

 
おしまい!

ただ少し酒をやめただけの事。そして、本来書きたかった帰省の事。

 
A「やめようと思えばいつでもやめられるんだ!しかしメリットがあるから自分の意志でやめないだけなんだ!」
 
B「いつでもやめられるなら!今すぐ!一週間でもいいからやらないでみてください!」
 
A「無理だあああ!」
 
C「無理なの!?」
 
マンガで分かる心療内科 依存症編(酒・タバコ・薬物)』より
 
 
土曜日。
 
朝9時伊丹空港に到着。
 
11時ごろの出発予定なのだから、まだまだ時間がたっぷりある。朝食を食べようと、空港内のレストラン区画をブラブラする。そして、
 
朝食ビュッフェ  950円
 
を見つける。お米をたくさん食べておきたかったし、他のレストランと比較してもリーズナブルに思えたので、そのお店に入る。
 
店内は、ビジネスホテルの朝食バイキングのような雰囲気。客数がそこまで多くないのがよかった。適当におかずを皿に乗せ、ご飯をたっぷり茶碗によそい、空いている席に着く。
 
さあ食べ始めようと思っていると、店員が私のところに来て
 
店員A「ご注文いただきました中瓶ですが、お店を出る前にご精算をおねがいいたします」
 
「はあ?」
 
請求書を見ると、中瓶1本540円とある。はてな
 
 
私、これ頼んでませんよ、と言う前に、別の店員Bがやってきて
 
店員B「違う違う、こっちじゃなくて、あっちのテーブルのお客さん!」
 
といい、請求書を隣の席の客へ持っていく。
 
店員の行く先を見ると、そこにはご夫婦と、二人の小さなお子さんの家族グループが座っていた。そして、そのテーブルには、請求書と合致する中瓶が一本、置かれていたのであった。
 
(朝から空港でお酒・・・・・・うらやましいけど、やっぱり違和感)
 
私は、お父さんの前にある黄金色の液体を一瞥したあと、ほうじ茶をすすり、目の前の朝食を食べ始めた。
 
 
 
ーー
 
前回の日曜日から、お酒を飲んでいない。つまり、土曜日の今日で禁酒7日目になる。たかだか7日だが、こんな期間酒を飲まなかったのは何年振りのことだろう。
 
 
前回の日曜日、ふと酒をやめてみようかと思った。きっかけは些細なもので、月曜日の商談の朝が早かったからである。まあ、月曜日の朝に商談が入るのはこれまでも何度もあったのだが、今回はいつもよりも少し気合を入れたい商談だったのである(商談相手が年下の女の子だった、と言うことはそこまで関係がない、と思う)。
 
 
日曜日の夜はいつもよりも長かった。だが、ご飯をたくさん食べると、酒を飲みたいという気持ちはあまりなくなっていた。覚めた頭でいつもよりも読書を楽しみながら過ごしていると、いつのまにか眠くなっていた。
 
 
酒を飲まずに迎えた月曜日の商談は、特に問題もなく終わった(ときめき溢れる出来事もなかった)。さて、その日の夜から再び酒をーーと思ったのだが、その日も積極的に酒を飲みたいと思わなくなっていた。日曜日にアルコール依存症がらみの本やサイトを見ていたせいかもしれない。また、月曜日の朝の目覚めがいつもよりも清々しいものだったことも影響していたと思う。
 
というわけで、ダラダラと酒を飲まないまま、プチ禁酒7日目を迎えたのであった。一般的な人からすれば大したことはないかもしれないけれど、ほとんど毎日お酒を飲んでいた人間からしたら、これは偉業に値するだろうと思う。
 
ちなみに、この7日間、禁酒することで味わえるメリットを十分に享受した。
 
・目覚めが良くなった
・自由な時間が増えた(読書量が増え、久しぶりに英語のテキストを手に取りました)
・クッキングが好きになった(そして、野菜の摂取量がかなり増えた)
・彼女の長電話に付き合えるようになった
 
など。酒をやめたことで得られることは思いの外多かった。
 
 
ーーまあ、一方で、ちょっとイライラしやすくなっていた気もする。
 
今回の連休、地元に帰省することになっていた。そこで仕事終わりに百貨店に行ったのだが、とにかくイライラしっぱなしだった。
 
・人混みにイライラ
・前のお客に手こずっている店員にイライラ
・店員を手こずらせている客にイライラ
・前方から歩きスマホして私にぶつかったのに、謝らないまま進んで行ったサラリーマンにイライラ
 
など。器の小ささがモロに出てますね。
 
酒を日常的に飲んでいる時は、シラフの時でも、良くも悪くも日常的にイライラすることはあまりなかった。(感情が鈍化しているだけかもしれないが。もしくは、酒は一切は関係ないかもしれないが)もう、なんでこんなにイライラするの!?(禁断症状?)
 
 
さて、私がどうやってこのイライラな気分とどう向き合ってきたかについて書いてみようと思う。
 
 
ーー打ち切りーー
 
 
余計な話はこれくらいにして、さっさと本題に入るとしよう(ダラダラした自分の文章になんだかイライラしてきた)。
 
 
 
先程記したように、今回の土曜日は帰省することにしていた。本当はこっちについて書きたかったんだよ。
 
 
今回帰省したのは、またこの大会に出るため。
 
 

 
 
ご存知、田沢湖ラソンです。私の故郷から比較的近い場所にあるマラソン大会です。昨年も参加しましたが、今年も参加することにいたしました。
 
練習はサボり気味だったけど、アルコールは7日間抜いてみたので、多少は気持ちよく走れるかな?・・・・・・あんまり変わらないかな?
 
頑張ります!(書きたかったことがテキトーになっちまったジャネーか!イライライライラ)
 
 
 
細かいことはまた落ち着いたら、で。すみません、ゴミのような日記で。こんな日記を書いた自分にイライライライラいら。
 
 
 
 
 
 

叫びのない爪痕

 

 
水曜日。朝。
 
家を出てから、駅までのあいだ、特に台風21号の被害は感じられない。まあ、枯葉やゴミが散乱していたが、それは台風の規模に関係なくお馴染みの光景だろう。
 
テレビの街の被害を伝える実況はどこかバラエティじみている感じがしたし、大きな被害として放送するのは関西空港が中心の印象。外国からの旅行者は大変気の毒だが、こちらとしては、私生活を送る分には何も問題が無いように思えた。
 
 
 
(身の回りを見る限り、当初感じていたよりも大した台風ではなかったのかもしれないなあ)
 
 
と思いながら、会社の最寄駅につく。そして、上の写真である。
 
なんの写真かわかるかしら?毎日「おはよう」と声をかけていた樹がいた場所である。いや、正確に言えばまだそこにいるのであろう。見る限り、あたかも刑事ドラマの死体現場のようである。
 
駅から会社に向かう約10分の徒歩中も、同じようになぎ倒された樹、巨人が斧を振り下ろした後のように無惨に裂けた樹を、何度も見かけた。
 
 
 
(…あれ?思ったよりひどかったんだろうか?)
 
少しざわつく。だが、周りを見れば、何事もないように出社しようとする社会人たちの波。その波の一部になると、いつのまにか、ざわつきはおさまっていった。
 
 
ーー
 
会社に着くと、同僚たちがいつものように、全く欠けることなく出社する。始業時間まで軽く世間話のように昨日の自宅待機の過ごし方について話したが、まるで休日の過ごし方を聞くような平和な内容ばかりであった。
 
 
朝礼も、特に台風に触れることなく、代わり映えのない内容。そして、いつものように仕事が始まる。
 
 
 
取引先に、台風の被害状況を確認する。一部、大きな被害のあるお客様がいた。しかし、ほとんどのお客様は被害はなさそうだった。昼過ぎになる頃には、主要な取引先の状況を確認し終え、夕方になる頃には「とりあえず被害を確認するのがマナー」程度になっていた。
 
 
ーー
 
終業後、少し早めに帰宅。そして、約1週間ぶりに近所の河川敷を走る。
 
 

 
 
 
 

 
 
(……え?)
 
 
木材やブルーシートが散らばる。大量の細かいゴミはもちろん、冷蔵庫や
テレビ、タンスなどの粗大ゴミが、あたりに散っている。画像にはあまり写ってないけれど、なぜか大量の買い物カゴが散らばっていた。
 
 
(あ)
 
 
今更のように思う。河川敷には、私たちのほとんどが知らない世界があるということを。それは、テレビやYahoo!ニュースなどではほとんど取り上げられない世界である。そして、その世界で生きている人たちがいる。
 
 
……彼らは、あの台風の中、どうしていたのだろう?今は、どうしているのだろう?ちゃんと避難できたんだよね?
 
朝のテレビや、仕事サボりで見たネットニュースの台風状況を思い出すが、上の疑問の解決につながるすような情報は何もなかった。
 
 
 
なんだか怖くなり、逃げるように河川敷を抜け出した。
 
 
ーー
 
 

 
河川敷をのぼって、一般道を歩いて帰ることにした。
 
街に出ると、そこはまたいつもとは異なった世界だった。停電の影響で、信号機が機能していなかった。自動販売機やコインパーキングは動いていない。歩いていると、倒れてしまった自動販売機や、鉄パイプがへし折れた看板をチラホラ見かけた。停電している区域では、コンビニも閉店していた。いつもより、赤色のカラーコーンを沢山見かけた。
 
 
停電区域から1kmも歩くと、あたりはいつものようにパッと明るかった。暗い空間を過ごすと、その明るさがとてもありがたかった。
 
 
帰り道、スーパーに立ち寄ってみる。常温品はいつも通りの品揃えなのだが、生鮮品や日配品、惣菜などはほぼ何もなかった。補充がままならない状況だったのだろう。とりあえず、お米と牛乳の代わり豆乳を買った。
 
ーー
 
20時前、家に到着し、シャワーを浴び終えたらテレビを点ける。
 
テレビは昨日の台風が嘘のように、通常放送のバラエティ番組ばかりだった。それにとても違和感を抱いた。
 
でも、それは少しだけ私よりも早いだけで、私もまたいつものように、すぐこのテレビのペースに追いつくんだろう。テレビもシャワーも使えない人たちが沢山いるんだから、私はかなりお気楽な身分だしね。
 
ただ、今はメディアで報じられているよりも、ほんの少しだけ、ほんの少しだけ台風の恐さを感じている。まあ、こんな気持ち、すぐに忘れてしまうんだろうけどね。
 
 
 
 
 
 
 

突然雨読

 
 
 
 

 
月曜日。夕方。
 
 
 
総務部「お仕事中すみませーん、明日は台風の影響のため、基本的に出社せずに自宅待機でおねがいしまーす。またメールで全員発信しますねー」
 
 
 
その言葉を聞いた時、なんとなくはしゃいだ気持ちになったのは、私だけではなかったはず。
 
 
雪国出身の私は、雪の影響で休校(もしくは午前で帰宅)になったことも何度かあり、その度に跳ねるように喜んだものである。
 
お客様へのアポイントもあったのだが、日程変更をお願いし、火曜日は大人しく家でゆっくりすることにした(誤解のないようにいうが、あくまで自宅待機であり、ノートパソコンを持ち帰って仕事をしましょう、という意味である)。
 
 
帰り、近くのスーパーに立ち寄り、明日の食料を買いに行く。
お肉やパンなどはほとんどなくなっていた。なぜか砂肝が一つだけ残っていた。また、パンコーナーでは、某メーカーのスコーンだけが大量に残っていた。
 
 
ーー
 
火曜日。
 
 
朝も8時半に起床。いつもならばすでに出社している時間である。それが、急遽台風の影響で休み(自宅待機)になってくれたおかげで、ゆっくりした朝を迎えることができた。
 
 
日中は休日(自宅待機)らしく、ミートソースづくりを楽しんだ。最近、お料理熱が高まってます。
 
 
 
会社からのメールを時折チェックしながら、私はiPadを手にし、キンドルを開く。
 
「今日のセールはなにかしらー」
 
今日のセール本をチェック。
 
 
キンドルとは、ネット通販の王者、Amazon.comが運営している電子書籍サービスである。
Amazonを通じて電子書籍を購入し、iPadiPhoneなどの電子媒体で読書を楽しむことができる。電子書籍の素晴らしさについては、また今度じっくり語らせていただくとして、上に記したのは、Amazonが日替わりで行なっている電子書籍セールである。
 
 
普段、自分からは手に取らないような本をセールしているので、新しい出会いに導いてくれる。また、最新本でも50%以上オフの場合が多いので、実にお買い得。毎日1冊セール対象となるので、これを欠かさずチェックするようになった。(…つまらない人生とか言わないでね。すっかりカモなのはわかってます)
 
 
ちなみに、9月4日のセールはこの本だった。
 
 

 

世界で通用する「地頭力」のつくり方 自分をグローバル化する5+1の習慣

世界で通用する「地頭力」のつくり方 自分をグローバル化する5+1の習慣

 

 

1,620円のところ、この日買えば599円。63%オフである。すごいよね。
 
 
自分の意思では絶対に買わないような類の本である。でも、そんな本こそ、買って読むようにしている。そんな本に出会えるのも、このセールの醍醐味なのだから。ハズレも多いんだけどね(笑)
 
(・・・・・・)
 
 
約2時間で読了。
 
余談ながらこの本は、私の部署のボスがよくいう「海外人材としての気持ちを高めろ!」や自己研鑽、特に力をいれろ!」、そして「オフはしっかりとって仕事に活かせ!ということが250ページぎっちり書かれていた。あまりにボスの口調と似ているので、まさかボスはこれを元に話しているんじゃないか?と思うほどであった。
 
「…まあ、ボスの気持ちが少し理解できただけでもよかった、かな。アハハは」
 
本を読み終わったら、前に購入していた別の本を読み始める。キンドルのおかげで、本当に読書量が増えた。眼は悲鳴を上げているけど、読書が学生時代並みになっているのは、多分いいことなんだと思ってます。
 
ーー
 
テレビをつけると、どの局もずっと台風の中継を放送している。窓ガラスごしに、救急車のサイレンや、ガシャンガシャンと物々しい音がきこえる。ちなみに、会社携帯は全く鳴らない。この天気だと、お取引先様もお休みのところが多いのだろう。まあ、電車も動いてなかったしね。
 
ーーあんまりいい加減なことを書くと不謹慎、って言われるかもしれないけど、こういう突然の平日休みって、やっぱり得した感じがしたのであった。
 
どうでもいいけど、こういう突然の休日って、皆どう過ごしているんだろう。とりあえず、明日会社で同僚に聞いてみよう。取引先にも。
 
 
また明日から頑張ろう。やっぱり不謹慎…?
 

24時間かけて、北海道から大阪へ(北海道マラソン、帰宅編)

 
 
先週の日曜日。
 
北海道マラソンを終えた後、私は札幌駅から小樽駅電車で向かう。
小樽の海鮮丼を楽しみにしていたのだが、夕暮れ時だったこともあり既に市場は閉まっていた。
 
残念な心地で市場近くをぶらぶらしていると、小樽ビール工場を発見。
 

 
中に入って見ると、ちょうど工場見学が始まっていたので、それに参加させてもらった。ビール製造のしくみや、発酵工程を実際に見ることができて、大変面白かった。
 
さて、せっかくなので、ここでマラソン完走後の祝杯をあげることにした(さすがに小樽まで来ているマラソン参加者はほとんどいなかった。でも、一人、ランナー風の人をお見かけしたけど)
 

 
ビールもたっぷり入ってました!うまかったなあ。これだけ食べて2000円いかないくらいだったと思う。なんて良心的なお店だろう。(プリン体は気にしない)
 
さて、しばらく小樽をぶらぶらし、21時のバスで小樽港に向かった。
 

 
 
小樽港から京都の舞鶴港を直行するフェリーの便がある。
 

 
片道約21時間。料金は部屋のランクにもよるが、節約したいようであれば1万円を切ることもできる。ちなみに私は相席部屋の最安値9970円コースであった。
 
ちなみに、舞鶴港から大阪行きの高速バスが出ているので、それに乗れば、約3時間で大阪に到着できる。つまり、フェリー+バスで約24時間かけて、北海道から大阪に帰るプランなのであった。
 
 
飛行機や新幹線などの交通手段は、ひとえに移動スピードを上げることに重きを置いて歴史を積み重ねた。今や北海道から大阪までは約2時間で移動できるところまでにたどり着いたわけである。
 
効率化を求め、「タイムイズマネー」が口に出すのも恥ずかしいほど常識化した現代において、フェリーで1日かけて移動する物好きはそう多くはないだろう。(輸送車の運転手や、愉快なバイク野郎たちは別だが)。
 
 
ーーそれでも、私はあえて月曜日に有給をとって、このフェリー旅行を決行した。細かい理由は差し控えるが、フェリーは私の青春なのである。ゆとり世代と言われても構わない。ただ私は、船の上でぼんやりと、一人で過ごすゆとり溢れた時間がなによりも大好きなのである。
 
 
 
 

 
というわけで、フェリーで受付を済ませ、23時30分発のフェリーに乗り込む。
 
 
久しぶりのフェリーに、心が踊った。
 

 
フェリーに乗ったら、すぐに大浴場で汗を流した。そして、風呂上がり、船の中で食べるカップ麺とビールがたまらなく美味しかった。
 
 
25時ごろ、寝台列車風の相部屋で眠る。背中に伝わる船の揺れは、なんだか大冒険の途中のようでワクワクであった(マラソンの疲れですぐに寝てしまったが)。
 
ーー
 
月曜日。6時
 
船内アナウンスが流れる。アナウンスは、現在、船が秋田県能代沖辺りにいること、朝食レストランと大浴場が開店したことを告げた。起きているのか寝ているのかよくわからない私は、それを聞いてもまだベットにしばらく横たわった。
 
 
 
少しして顔を洗い、船内の進行状況の情報を確認する。
 

 
ちなみに、船の上ではインターネットも電話も繋がらない。そのため、進行状況はこのモニターを観ないとわからない。強制的にネットに繋がらなくなる空間というのも、船旅行の醍醐味だよね。
 
 
船のオープンデッキにいって、外の空気を吸う。
 

 
曇りだけど、静かで心地よい。雲の隙間から晴れ間が見え、潮風も心地よかった。
 
せっかくなので、小樽駅近くのスーパーで買っていた朝食セット(カップラーメンと煮卵とペットボトルのお茶)を用意。海を見ながら朝からラーメンをすすったのであった。
 
 
 
さて、移動中はほぼすべて読書にあてた。学生時代からずっと読みたかった冒険小説である。こんなにまとまった時間、本を読んだのもかなり久しぶりだった。読書はぐいぐいと進む。
 
少し疲れを感じたら、船内の大浴場にいって海を見ながら風呂に入ったり、マッサージチェアでリラックスしたり、ゲームコーナーをのぞいだり、ベッドで午睡を楽しんだりした。まさに至福の時間である。
 
 
 
ちなみに、昼ご飯はカップ麺をやめ、船内のレストランで豚丼を食べた。
 

 
 
少し高めだけど、海の上で豚丼っていったら、かなりレアな食事なので、満足満足。
 
 
さて、夕方になったら、オープンデッキで早めのビール登場。(尿酸値高いのにいいのって?ビールにプリン体が入ってないらしいからヨカッタヨカッタ)
 
 
 
 
本を読みながら海を見ながら、ビールを飲みながら、カンパンとチーズを楽しむ。oh、至福ぅ。
 

 
さて、21時ごろ、予定よりも少し早めに舞鶴港に到着。
 

 
その後、約3時間かけて高速バスで大阪に帰ったのでした。こういう有給の楽しみ方、悪くないと思った。
 
 
フェリー旅行、やっぱりいいですね。こういう移動手段は、今後もなくならないでほしいなあと思うのであった。
 
 
 
 
 

北海道マラソン2018 おふりかえり

 
 
 
朝。5時半に起床。
会場である札幌の大通り公園までは、ホテルから約1時間半ある。余裕のある朝を過ごす為に、4時半にセットしていたのだが、見事に1時間の寝坊である。まあおかげで睡眠量はバッチリだったが。
 
7時半。無事会場に到着。
 
 

(スタート会場である大通公園にあるお花畑。ひとつだけ違う花が咲いている妙味を走る前に発見。まったくもってマラソンとは関係のない画像である。ジッと見ると目がよくなりそうな画像である。)
 
 
○当日の天気
曇り時折晴れ(雨は降らず)
○気温
22〜25度くらい
○湿度
70%強
 
 
多分、走りやすい気候だったと思う。しかし、湿度が高い分、気温以上の体感温度に感じた。
 
 
さて、睡眠をたっぷりとり、体調も準備も万全!これで天気もいいときてるんだから、もしかして自己ベストいけるか?少なくとも、この段階ではそう思った。
 
 

 
 
時刻通り  9時スタート!
 
 
さて、今回は紙幅の都合のため、「走り終えた後に感じた5つの正直な記憶」を持って振り返ってみよう。(手抜きではない)
 
 
 
①最初から最後までずうっときつかった・・・・・・
 
この大会、スタートした当初からゴールに到達するまで、一貫して辛い走りとなった。
 
 
今までの私の失策の記憶を辿ると、序盤に調子に乗りすぎ、後半に体力が枯渇するというパターンが多かった。…しかし、今回は序盤から体が重かった。後半になるごとに重さを増し、お尻から足首にかけてまで筋肉疲労を感じた。肩こりの酷さも辛くて、腕をぐるぐる回す動作が増えた。そして、35kmに到達する頃には体力をあらかた使い切った心地がした。
 
最後は(つらい走りの時がいつもそうであるように)「二度とフルマラソンなんてごめんだ!」と思って走ったのであった。
 
ちなみに、走ったコースの高低差が激しいわけではない。トンネルをくぐる際、少しノボリクダリを感じたが、それ以外は比較的平坦な道が続くような、むしろ走りやすいコースだっと思う(平坦すぎて、「これ、いつまで続くんだろうーー」って思ってしまうくらいだった。もしかしかすると、この果てしない平坦さが、知らぬ間に走るための集中力削いでいったのかもしれない。ーーそう考えると、実は結構恐ろしいコースだったのかもしれない)。
 
 
②すばらしい沿道の応援!
 
応援は非常に活気があり、給水所での水の手渡しや吹奏楽部の演奏は、落ちていく私のモチベーションを力強く支えてくれた。給食所は他の大会よりも少ないように感じたが、それを補うようにボランティアの数が圧倒的に多く、そちらを利用させて貰えば、特段困るほどでもなかったように思う。
 
ちなみに、これは私自身の問題だが、もっと沿道の人とハイタッチとか「ありがとうございます!」とか返したかったなあ。つらくてハイタッチもできず、お礼もできなかった。また、上述のボランティアの給食提供を、私は恥ずかしくてまったく活用できなかった。それももったいなかったなあ、と今にして思う。あの沿道のスイカ、食べたかったなあ・・・・・。
 
 
 
③コーラ多すぎない?
これはあえて書くべき疑問である。どうやら、北海道民はコーラが大変にお好きのようだ。
 
②の応援と関係するが、沿道の人たちがボランティアでスポーツドリンクや果物を用意してくれていた。ーーその中でも、なぜかよく目にしたのが
 
コーラ
 
であった。応援の老若男女が、なぜかキンキンに冷えたコーラのペットボトルを片手に
 
「コーラあるよー!」
 
とランナーに叫ぶのである。1人や2人ならば、面白い応援だと済ませることができるが、私の記憶する限り、沿道のボランティアの1/3は、コーラを片手に応援していたと思われる(多少の記憶違いはあるにしても)。
 
なぜあんなにコーラを飲ませてくれようとする人が多かったんだろう?他の大会でもたまに見るけど、北海道マラソンは今まででいちばんコーラボランティアが多かった気がする。北海道の人って、よくコーラを飲みながら走るのかしら?私は結局飲む勇気はなかったけど。
 
 
ちなみに、コーラを飲まなかった理由は下に続く。
 
 
 
④またお腹を下しました・・・・・・
 
つらい走りだったのは、ある意味で私自身のお腹の弱さも影響していたと思う。
 
今回、10kmあたりからずっとお腹の痛みと張りと緩みを感じていた。そして、トイレに駆け込んだ回数は、たしか4回くらい。今までで一番お腹の調子の悪い走りとなってしまった。
 
日本のサラリーマンはストレスが胃腸に直結するらしい。しかし、日頃のストレスによる胃腸の摩耗が、これほどまでに走りに影響するとは思わなかった(彼女からは「ただの酒の飲み過ぎだ」と一蹴されましたが。直前に酒を抜くくらいじゃダメってことですかね)。
 
 
 
4時間の関門
 
さて、最後にフィナーレを飾る思い出を一つ。
 
 
 
40kmあたりまで到達した時には、
 
(今回はかろうじて4時間ギリってところかなあ)
 
と思っていた。我が腕時計を見る限り、それはある程度保証されていた。
 
 
ラスト500mあたりで、周りのランナーのスピードが急速に上がっていくのを感じる。
 
(ラストスパートで頑張ってんだな。すばらしい頑張りだ。だが、私はもう限界なのだ。4時間切れるならば私はいいのである)
 
とりあえず4時間を切れることを確信していたので、私はマイペースで走り続ける。    
 
 
 
さて、ラスト195mあたりに差し掛かった頃、ゴールからの実況の声が聞こえてくる。
 
 
実況「さあ、最後の追い討ちをかけてどんどんランナーが走ってきます!ちょうど4時間きれるかどうかの瀬戸際です!みんながんばれー!!」
 
 
(・・・・・・え?)
 
私の視界にはフィニッシュラインが映る。同時にゴール間近で経過時刻を刻む電子時計に目をやる。時計は
 
 
03:59:45
 
 
を示す。
 
 
 
ーー私は瞬時にすべてを悟った。
 
 
グロスタイム・・・・・・!しまった!!)
 
 
私の腕時計が刻むのはネットタイムであった。そして、ゴールに設置された電子時計が刻むのは、号砲が鳴ってからのタイムであるグロスタイムであった。
 
【用語】
グロスタイム:スタートの号砲からフィニッシュするまでのタイム。
ネットタイム:ランナーがスタートラインに到着してからフィニッシュするまでのタイム。参加ランナーが多い場合、スタート地点に到達するまで数分かかる。その誤差を修正したタイムである。
 
【解説①】
ラソン大会は、基本的にはグロスタイムを基準とする(制限時間とかね)。しかし、グロスタイムではスタート地点を基点とした前方ランナーと後方ランナーとのタイムに差が生じてしまう(参加ランナーが多い北海道マラソンの場合、グロスタイムネットタイムには2〜3分の開きが生じる。ちなみに東京マラソン大阪マラソンでの差は、平気で10分を超える)。
 
ランナーにもよるが、ネットタイムを基準として走るランナーも決して少なくない。スタートライン後方に並ぶ市民ランナーは、ネットタイム重視派が多いのではないだろうか?ちなみに、私はネットタイム重視であった。
 
【解説②】
とはいえ、直前にグロスタイムでも4時間ギリができそうって思ったら、そりゃできるに越したことはないでしょ?だから、ゴール直前にグロスタイム4時間ギリギリであることを知って、一気に慌てたってわけ。おまけに、周りも急にスピード上げて走り出すんだもん。
 
 
 
 
(残り100mくらい?15秒!?いける!?いける!?いくしかない!!)
 
 
と、今までの足の疲れが嘘のように、ゴールめがけて全速力で走った。ゴールに達した時、沿道から一斉に声があがるのを聞いた。
 
 
 
ーー
 
 
ゴール後、しばらく動けなかった。走り終えた後は完走メダルをかけてもらい、完走タオルを受け取った。
 
 
なんとか完走はできた。しかし、もしも北海道マラソンの制限時間が「4時間」だったとするならば、私はゴール後に完走メダルを首にかけて貰えないまま、大阪の地に帰ることになっていたことであろう。
 
 
 
 
残念ながら、4時間の関門は、私がゴールをまたぐ寸前、無情に閉ざされたのであった。
 
 
 
 
 
以上、北海道マラソンを振り返ってみました。いろいろ思うことはあるけれど、でも、やっぱり参加して良かったです!来年参加するなら、もっと準備をしっかりと!
お腹を下したのは単なる言い訳です。やっぱり、ちゃんと日頃の練習を積んで臨まないと、そりゃ体がついていかないわなあ。
 
「だって猛暑だったからしょうがないじゃない!
 
という言い訳は通用しないからな!!
 
 
それはそうと、コーラがやっぱり気になるなあ・・・・。