「まくら」営業、はじめました。

営業職の男です。「まくら」を極めて営業のタツジンになりたいのです。

(場合によっては)コミュニケーション改善の答えは、パソコンを買うことにあった


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彼女との電話(よくある例)。


「あ、もしもし?今度の旅行の件なんだけど」

「ああ、うん」

「メール見てくれた?旅行計画表送ったんだけど」

「うーん(テレビを観ながら相づち)」

「どう思った?そっちも行きたいところがあったら、まだ変更きくからいってね」

「あぁ、ごめん、まだ見てなかった」

「・・・まだ?3日前に送ったんだよ?」

「うん、今見てるよ~(スマホでメールを開くが、エクセルファイルなので見づらい。おまけに、知らない地名や場所の名前で興味がわかない)」

「どう?」

「・・・うーん。いいプランなんじゃないまあ、任せるよ」

「・・・なにそれ」

「いやあ、正直よくわかんなくてさ。こっちでもちゃんと調べておくよ」

「もういい!」

「いやゴメンゴメン、ちゃんと見るから・・。あ、五分たつから切るね(※)」

※無料電話時間が5分のスマホを使っている。


つぎかけても電話がつながらない、もしくはつながっても沈黙が続くーーこんなことがしばしばである。上の会話は本当に日常アルアルである。



遠距離の関係上、主なコミュニケーションツールは電話となる。

・・・しかし、顔の見えないコミュニケーションというやつはどうも苦手だ。顔が見えないことをいいことに、違うことをやれてしまうし、何より顔が見えないので相手の気持ちがわかりにくくなる。それに、無料電話の時間に制約があるのも面倒でしょうがない。

まあ、言い訳と言われれば反論の余地がないのだが・・・。それにしても、こんなズタボロのコミュニケーションが続いたにも関わらず、よく彼女は私を見捨てなかったものだ。きっと私には、口数の少なさを補ってあまりある何かがあるということだろう(経済力、高身長、幅広い人脈、顔面偏差値、優しさ、気遣い、語学力以外の何かであることは間違いない)。


ーー

日曜日の昼。

パソコンを取り出し、彼女に電話をかける。

「あ、もしもし?準備できた?」

「うん、今起動した」

「じゃあ、電話するねーーおお、電話が発信されたぜよ!」

「え、うそ、まだきてないけど・・・・あ、きたきた!じゃあ、スマホは切るね」

「おお、顔が見えるぞ顔が!そっちは映ってる?」

「え、映ってないよ?ちゃんとカメラモードにしてよ」

「あ、ごめんごめん、えーとーーあ、これか!ほれ」

「あ、映った映った!あとさ、これ押せば私のパソコン画面も見えるんじゃない?」

「本当だ!すごいなあスカイプってーーこれが無料なんでしょ?時代は進んでるわ~」

「いや、まあビデオ通話ならラインでもできるんだけどね」

「ラインってすごいなあ。俺もラインやってみようかなあ~(※2))」
※2 私はラインをやっていない。使い方がよくわからないのと、友達があんまりいないから。



「じゃあさ、私の画面映すから、旅行行程表見ながらスケジュール確認しようよ」


というわけで、この日、いつも5分続かない電話が1時間続く。本当に、便利なツールが世の中にたくさんあるんだなあ、と改めて実感したのであった。



ーー平成も終わるというのに、2019年にこんな日記を書いている私って、大分時代遅れですね(笑)


まあ、別に、パソコンじゃなくてもスマホでもできたんだろうけど、パソコンを手に入れた喜びが私をスカイプへと突き動かしたのである。彼女とのコミュニケーションが改善されただけでも、パソコンを買った意味があったというものであろう。やっぱりパソコンを買って良かったなあ。



いやあ、パソコンを手に入れたことがうれしくてしょうがない毎日です。ああ楽し。単純?

答えがわからないので、とりあえずパソコンでも買う

人びとは、失敗したことより行動を起こさなかったことを二倍後悔するという。なぜだろう?私たちは失敗を正当化するが、何も試みなかったことは、正当化できないからだ。さらに、歳を重ねていくにつれ、人は良いことだけ覚えていて、悪いことは忘れてしまう傾向にある。そんなわけで、単純に多くのことを経験すればするほど、年老いたときに幸福感が増し、孫に聞かせる武勇伝も増えるというわけだ。
エリック・バーカー『残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する(原題:Barking up the wrong tree』より





あっという間に2月が終わり、3月に突入した。


2月もいろいろあった。しかし、気持ちが悶々としており、どうも日記を書くことができなかった。
ちなみに、2月には京都マラソンに参加した。満足のいく走りであり、しっかり日記に書き残しておきたかった。だが、途中まで書いたものの、最後まで書き切れなかった。(まあ、いつか続きを書こう)と思っていたら、あっという間に2週間が過ぎ、すっかり走ったときの記憶が薄れてしまった・・・なんとももったいない。


さて、3月になり、会社からは売上ノルマの達成を一層強く命じられ、プライベートでは彼女や両親から結婚準備について一層急かされることになることが予想される。そのストレスからだろうか。何か大きな買い物をしたい衝動に駆られる。



ーーそして、買ってしまった。



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どーん!新しいノートパソコンでーす!!わーいわーい。今まで使っていたオンボロPCとは違い、富士通の最新ノートPCちゃん。ざまあみろってんだ。ついでに、インターネット環境もちゃんと整えた。これでスマホIpadだけの中途半端ネット生活とはおさらばじゃ。


まあ、今までこういう高い買い物をするときは、「なぜそれを買う必要があるのか?」ということを熟考していた。そして、その必要性が高いと感じなければ決して手を出さなかった。それが時間もお金も無駄にしないために必要な作業だと思っていた。

・・・だが、ここ最近、いろいろな本を雑多に読み漁ったり、仕事でもマンネリ感を打破するためにいろいろともがいているうちに、考えが変わってきたんです。つまり、なんといいますか、「あまり考えすぎないで、もっと積極的に行動してもいいのかな」って思ったんです。

いや、熟考することが悪い、っていいたいんじゃないですよ?ただ、ちょっとその考えが当たり前になりすぎて、新しいことをしなくなっていたかなあ、って思ったんですよ。

必要性というものは、本当に事前にわかるものなのだろうか?それを使っていくうちに得られることって、きっとたくさんあるんじゃないのか?もしかしたら、今まで自分がたくさん時間をかけてきた「事前の熟考」作業は、自分が新しい経験を積むための機会を切り捨ててしまっていたのではないか・・・?と、少し後悔したわけです。そう思ったとき、パソコンを買うことはもはや必然となっていたんですね。よくよく考えるのも大事なのはわかるが、お金を使って新しい刺激を求めることも・・・大事なことでしょ?そうなんです。そういうもんなんです、人生って(長々と誰にいってんだろう)。

ーー

さて、家で初期設定を済ませ、家の近くのファミレスに移動し、この日記を記す。

(なんという打ち心地でしょう・・・)

前に使っていたノートPCは相当打ちにくかった。そのPCが壊れた後はIpadで日記を書いていたが、それはさらに使いにくかった。日記を書く頻度が減ったのは、もしかしたらここに原因があったのかもしれない。


(これで日記の更新頻度も一気に増えることだろう。いやはや、キーボードにこだわってよかった。さて、たまっていた写真の整理をしようかな。部屋の書籍もどんどん電子化して、パソコンで一括管理しよう。部屋が広くなるぞ。そうだ、エクセルの勉強を本格的にしてみるのもいい。あ、思い切って動画編集の勉強しようかな。いっそのこと、パソコン教室にでも通ってみようかしらーー。)


パソコンが生まれ変わり、私も一緒に生まれ変わるーーという単純なものじゃないだろうけど、でも、環境を少し変えてみるのもきっと大事なんですよね。文章はつまらないですが、なんだか気持ちがワクワクしております。(数日してほこりかぶっていないことだけを祈ります)

2019年「大阪42.195kmフルマラソン」記録 (人生とはこのマラソン大会のようだ)

 
 
もはやだいぶ前。書いていたのにブログに出すの忘れていた。
 
 
 

 
 
2019年2月3日の日曜日。
 
私は朝6時に起床し、この日開催予定の第41回大阪42.195kmフルマラソン大会の会場である長居公園に向かった。
 
あ、皆さんご存知の大阪マラソンではありません。大阪42.195kmフルマラソンです。紛らわしい名前つけるなよと言いたいところだが、歴史は圧倒的に本大会の方が長い。
 
 
【大阪42.195kmフルマラソン概要】
参加数:約350名。(ハーフマラソンも同時に行われており、こちらを合わせると約600名)
参加料4,200円
コース
 

 
 
大阪の長居公園をぐるっと一周(2,813m)まわる。途中にヤンマースタジアムに入って一周(567m)する。
①約3,301mを12周する。
②13周目はヤンマースタジアムをゴールにするため、約2,575m。
①+②=42.195kmとなる。
 
 
…なかなかの単調具合である。
 
 
ちなみに、GPS時計で距離を測れるランナーは別だが、「あれ、今俺何周目だっけ?」となってしまう人もいるだろう。そんな人のために、会場には大量の輪ゴムが置いてあるわけである。
 
 

(なお、靴につける計測チップはちゃんと渡される。そのため、距離不足でのゴールはできない。ご注意を)
 
 
 
さて、予定通り9時半にスタート。
 
フルマラソンは約300人強の参加人数であるため、序盤の混雑はほとんどなく、すぐにマラソン態勢になる。
 
コースは先程書いた通り、公園の周りを走り、途中でヤンマースタジアムを一周した後に再び公園に戻るというもの。
 
なお、公園はマラソン大会のために貸し切りーーというわけではない。通常通りの開園?である。そのため、散歩している人や自転車を漕いでいる人や、公園で休日を過ごす家族づれなどがいたるところにいらっしゃる。(ポケモンGOかなんだか知らないが、大量の人々が1箇所にあつまってスマホをいじったりしてもいた)。
 
 また、一般のランナーが練習で走っているため、どの人がマラソン大会参加者なのかよく分からない。(ゼッケンはつけているのだが、基本的にお腹側につけるので、後ろ姿では分からない)
 
 
(まあいいや。練習みたいな大会だし。今年最初の足慣らしってことで、気楽に走っていこう)
 
 
なお、給水所は1箇所だけ設けられており、そこにスポーツドリンクとお水、そして簡単な軽食が用意されている。この給水所の存在は大変ありがたい存在なのだが…序盤の私は
 
 
(またこの給水所か…。まあいいんだけどね)
 
 
と、心の中で何かひっかかる。普通のマラソン大会であれば、給水所もまた楽しみの一つ。それぞれの給水所にそれぞれのスタッフの方々が応援しながら待ってくれる。また、ご当地の美味しい食べ物が食べられることも多い。給水ポイントもマラソン大会の大事な要素なのである。それが毎回同じとなると…まあ、ね。
 
 
(…まあ、いいんだけどね)
 
 
さて、3周したあたりで、
 
 
(またこの景色…なんだろうね、コレ)
 
 
と、見慣れた景色がまたお出迎え。当たり前だが、どれだけ距離を重ねても、景色は一定なのである。それにしても、何度も同じ景色ばかりというのが、これほど辛いとは…。結果として、少しずつ集中力が無くなってくる。
 
(あと10回もこの景色見るのか。…先は長いな。それにしても、なんだかなあ…)
 
 
同じ景色である以上に、ほかのマラソン大会と決定的に違うことがあり、どうにも気持ちが乗り切れなかった。それは、
 
 
 
応援の量
 
 
である。
 

 
 
 
ラソン大会では、沿道で住民の方々が旗を振りながら応援してくれる。応援ブラスバンド演奏や太鼓もあり、中には有志で給食ポイントがあったりする。あと、ハイタッチとかあるじゃないですか。あれがいいんですよね。あれでどれくらい力をもらえることか。
 
…でも、この大会ではそういうのはなかった。スタッフの数も少ない中で運営していただいているため、応援の掛け声はほとんどない。そのせいかーーやはり、なんというか、お祭り感というか、はしゃいだ感じがまるでない。言うまでもなく、応援サポーターの芸能人もいないし、大会のためのテーマ曲もない。まあ、わかっていたのだが、気持ちは素直なものでーー
 
 
(なんだかなあああ。はあああ。帰りたい。途中、コースから抜けてもだれも気付かなそうだしなあ…)
 
と、すっかりやる気がダウンダウン。
 
 
 
ーーさて、まとめてみると、この大会はこんな感じだろう。
 
 
①同じコースを繰り返す単調さ。景観も乏しく、同じことの繰り返し。
②参加ランナー人数が少なく、また、一般ランナーも混じっているため、大会に参加している感じが弱い。結果、孤独感がすごい。
③応援もほとんどなく、他の大会のようなお祭り感がない。公園に来ている人たちからすれば、むしろランナーの存在を疎ましく感じているくらい?(被害妄想?)
 
 
 
…こんなことを考えながら走っているうち、私は、あることに気づいてしまった。
 
 
(ーー同じことの繰り返し。単調な日常。これなんの意味があるの?って感覚。周りと気持ちが通じない孤独な走り。応援もほとんどない、お祭り感もイベント感もない走りーーこれってまるでーー「今の俺の日常」そのものじゃんーー)
 
 
固定化した人間関係、マンネリ化した仕事、誰からも応援なん受けない孤独な日々、お祭り感とは縁遠い日常ーーそして同じ事の繰り返し。そんな日常にじれったさを感じながらも、何もできないまま、その日常を繰り返していた。
 
 
(…マラソン大会も、そうなの?)
 
 
この42.195kmに対する走り方そのものが、今の自分の虚しさを表しているように思えてならなかった。でも…
 
 
(…じゃあ、もしも。このコースを満足いくように走り切れたなら、どうだろうか?)
 
 
わからない。でも、そう思った時、この単調なコースに向き合いたくなった。
 
 
(焦らないでこの単調さに耐えてみよう。それは、どんなマラソン大会でも同じことだ)
 
 
気持ちを引き締め、走りに集中。「単調さをこなす」のではなく、この繰り返しに向き合うのだ。序盤ここで飛ばさないように冷静にペースのコントロールを意識。
 
 
あと何周で終わるのか?
 
何度も思ったが、すでに新しい景色に思える所になった。
 
気持ちが切り替わると、同じ場所にある給水所が唯一自分をサポートしてくれる頼もしい存在に思える。また、少ないながらも応援してくれるスタッフの声が心に響き、いつのまにか「ありがとうございます」と返していた。
 
 
(なんだ、沢山の人が応援してくれていたんじゃないか…気持ち次第でなんとでも変わるんだな)
 
あとはひたすら無心に、かといって集中力は失わずに走りを続けた。
 
 
ーー
 
13周目に迎えたの最後のヤンマースタジアムは、全力で走った。息が切れることはなく、最後の最後で笑顔でゴールを迎えることができた。
 
 
 
 
 

 
 
ゴール後、拍手を送ってくれたスタッフの方に頭をさげる。
計測チップを外し、完走証をもらった。いつもより足の疲労も少なく、また、気持ち悪くて動けないということもなかった。
 
タイムは約3時間46、7分。自己ベストとは行かなかったけど、個人的には悪くないペース、なにより、心地よい気持ちで走りきることができましたことが嬉しかった。
 
 
大阪42.195kmフルマラソン大会、この大会が40回以上も続いている理由がすこしだけ理解できた気がした。繰り返しは単調に思えるけど、その単調さに真剣に向き合えたときに、きっと素晴らしいゴールがあるのかも知れない。単調さに焦るでもなく、単調さに飽きて怠けるでもなく、ただひたむきに。
 
 
もしかしたら、人生もそういうものなのかもしれない(説教くさいですね)。
 
 
おしまい。
 

 
ーー
 
以上。この日記は約2週間前に書いたもの。マンネリ感で悩んでいる気持ちがでてますね笑。今は気持ち切り替わって前向きになり始めてます!
 
 
 
1つ余談。
このマラソン大会、応援が少ないといいましたが、たしかに応援の総量は少なかったものの、実はこれまでどのマラソン大会でも出会ったことのない、
 
最強の応援人
 
がおりました。ヤンマースタジアムで1人、全てのランナーにスタジアムの外に響くほどの声量で全力で応援していた男性がいらっしゃったのです!私もこの方に何度勇気をもらったことでしょう。本当に、感謝の気持ちしかありません。え、もっと具体的に書けって?それは来年、この大会に出て実感してくださいな(来年もいらっしゃるかはわかりませんが)
 
 
 

10円が教えてくれたこと

 
 
 
今日。なんにもしなくていい日曜日だった。
 
 
 
筋トレをした後に軽くランニングをし、朝食を食べ終えた後は部屋でゴロゴロ。やることがないので、無意味なネットサーフィンに時間を費やす。
 
 
 
(…はあ、つまらんなあ)
 
 
人間、何かやっていないと少しずつ不安になってくるものである。
 
(あと何十年かして人生を振り返った時、おそらくこういう時間の過ごし方にすごく後悔することになるんだろうな…)
 
 
 
と思い、気持ちが萎える。そんな時、テレビ台の上のアレが目に入る。
 
 

(アレ)
 
お菓子のプラケースに入れた大量の10円玉。小銭入れから10円をよく取り出して入れているうちにかなりたまっていた。
 
え?なんでそんな事してるかって?そりゃ、10円玉には消臭効果があるっていうでしょ?これで消臭剤いらずじゃん。(知らんけど。多分間違っているけど)
 
 
 
 
少年の頃、10円玉を手に入れた時には、それがギザ十なのかどうか逐一確認していた。そして、それがお目当てのギザ十だった時には、宝物のように大切に机の中にしまっていたものである。(あのギザ十たち、どこに行ったんだろう?)
 
少年の頃は、ギザ十を見つけることすらワクワクする遊びの一つだった。本当にいろんなことを遊びにできていたんだよなあ。…それが今はどうだろう?せっかくの休日を無意味にネットサーフィンに過ごし、なんの興奮もないまま時間だけを過ごすばかりである。
 
 
(…よし、久しぶりに数えてみるか。)
 
 
ということで、たまった10円玉の中から、ギザ十を数えることにした。
 

(一枚1円玉が混ざってました)
 
 
 

 
全部で362枚。子供の頃だったら、大変なお金だったことだろう。この大金を持って、中古のスーパーファミコンのカセットか、藤子・F・不二雄先生の漫画を買いに行ったに違いない(そして店員さんに苦い顔をされただろう)。
 
 
さて、この中にギザ十は何枚あったでしょうか?
 
 
 
・・・・・・答えは!
 
 
 
 

 
12枚!12/362なので、おおよそ30枚に1枚の割合ですね。
 
 
(これが多いのか少ないのかーー、ん?あれ?30枚に1枚?)
 
 
 
 
ーーここでふと、思う。そして、私は震えた。
 
 
(10円玉の総数がおおよそ1年間の日数を表している。これは偶然だろうか?…では、ここでいう「ギザ十」って、私にとって何を意味しているのだろう?)
 
 
私は、
 
(良くも悪くも)特別だと思える1日
 
 
と思わざるを得なかった。(まあ、もう少しお付き合いください)
 
 
 
 
私たちが年の瀬に1年間を振り返ってみた時、「ああ、あの日は記憶に残る1日だった」と思える1日って、どれくらいあるだろう?
1年間のうち、1日か2日くらい?もしかしてゼロ?365日毎日が特別?
 
 
こういうのは、統計学の範疇ではない。だって、「特別な1日」なんて、人によって捉え方がちがうものであり、明確な定義づけができないのだから。…でも、なぜだろう、この、30枚のうち1枚にギザ十があるという状態が、妙に私の気持ちをざわつかせる。それはつまり、もしかして、今の私にとって特別な1日とは、
 
 
1ヶ月に1日あったらいいくらい
 
なのではないだろうか?
 
 
こじつけもここまでくると病的かもしれない。ただ、数字的な根拠が何一つあるわけではないものの、
 
 
特別な1日が減っている
 
という感覚については、思い当たる節がないわけではない。それどころか、最近の主たる悩みでもあった。
 
 
ーー最近、どことなく日々の生活に惰性を感じていた。仕事でも、眠れなくなるほどの緊張感を持つことはほとんどなくなった。業務で成果を上げたとしても、「別に俺じゃなくても出来たこと」と、感情の高ぶりが少なくなっていた。失敗しても、被害を最小限に抑えるように体裁を繕えるようになっていた(実際できてるかはわからんが)。
  プライベートも、今の彼女とうまく行っている。でも、付き合いたての頃のような心騒ぐ日々というよりかは、なんとなく落ち着いた関係になっているようにも思う。それが不満ということではないんだけど・・・。
 
 
 
この前、何気なく見ていたNHKの『チコちゃんに叱られる!』という番組の中で、
 
大人になると1年が早いのはなぜ?
 
ということについて取り上げられていた。
 
 

 
 
その回答は、年齢を重ねるとトキメキが少なくなるから、というものだった。(詳しくは自分で調べてね)。もちろん諸説あるから一概には言えないんだろうけれど、妙に納得してしまった私がいた。今の私にとって、トキメキはどれくらいの頻度で感じられているのだろう?…もしかして、目の前にあるギザ十と同じくらい、珍しいことになっていないだろうか?
 
 
ーー幼き頃は、毎日が本当に刺激的だった。雨が降っただけではしゃいでいた。母がカレーを作った時にはさらにはしゃいだ。学校の授業で体育があるだけで絶望だった。図工があるときはもっと絶望だった。クラスの好きな女の子と話しただけで天に昇った。バレンタインデーの日なんかチョコをもらえるわけないのに、朝からずっとソワソワしていた。2000年問題の時には、ノストラダムスの予言に心がざわついた。給食に小さな虫が入っていた時には発狂していた。・・・なんというか、30日に1日くらい、なんでもない日があったくらいじゃないだろうか?と思ってしまう。
 
 
無論、どっちが幸せということではない。今はむしろ感情を乱すことなく日々を過ごせているとも言える。…ただ、少し刺激が足りなすぎる日々になっていたのかもしれない。もっと自ら刺激を探して行きたい。もっと失敗して、もっと遊んで、もっと喜怒哀楽を感じられる人間になろう!刺激が欲しけりゃバカになれ!WOWOWOWOW!
 
 
(10円は私に大切なことを思い出させてくれた。…ありがとう)
 
私は10円玉を一つ一つ撫でながら片付ける。もとのプラケースに戻し終えた時には、少しだけ世界が澄んでいる気がした。
 
 
ブーブーブー
 
 
「はい、もしもし」
 
彼女「あ、やっと出た。どこ行ってたのよ!なんで昨日から電話でないのよ!」
 
「…いやあ、まあ、いろいろあってね」
 
彼女「会場の下見の予約だけど、3月中旬の○日か△日で進めていい?もう、相談したい時に繋がらないんだから!予約できなかったら困るんだからね!?」
 
「ああ、ごめんごめん。うん。あ、親父から電話だから、一旦掛け直すわ」
 
 
ーー
 
「はい、もしもし」
 
親父「やっと出た。何回も電話してんだから、ちゃんと出んか!死んだかと思っただろうに」
 
「いや、ごめんごめん。携帯の調子が悪くて」
 
親父「顔合わせどうするんだ?3月くらいにやるんだろ?ちゃんと考えてんのか!?こっち(故郷)でやるんだったら、都会と違ってそういう店、少ないんだから。早めに予約しないと店なくなるんだぞ!?」
 
「あ、ごめんごめん。とりあえず確認しとくわ。また電話するよ」
 
 
 
やることのない日曜日、それもまた気の持ちようであるようだ。この日記、関係者が見たら怒るだろうなあ。
 
 
 
 
 

送別会で泣くヤツってあざとい、と思うところもあるんだけど・・・

 
 
時折 、したり顔に 、 「あの人は清濁あわせ呑むところがあって 、人物が大きかった 」などという人がいる 。それは 、はっきりまちがっていると 、わたしは思う 。少なくとも子どもには 、ちがうと教えたい 。ほんとうに大きな人間というのは、世間的に偉くならずとも金を儲けずとも、ほんの少しでもいい、濁ったものを清らかなほうにかえる浄化の力を宿らせた人である。
 
磯田道史『無私の日本人』あとがきより
 
 
 
 
 
 

 
 
 
木曜日の夜。東京の某居酒屋。
 
 
幹事「えーそれでは、異動されますシマウマ課長、前にどうぞ!」
 
 
送別会の幹事を担当している先輩社員の司会進行のもと、シマウマ課長は照れ臭そうに前にでてくる。
 
私が所属する部署と、日常業務で関係する部署の社員の方々を合わせて、約30名が参加した。この日は、1月付けで別部署に異動となったシマウマ課長の送別会が催されることになっていた。
 
ちなみに、私は普段大阪にいるが、このために朝から東京に来ていた。
 
 
幹事「今更説明の必要はないかもしれませんが、シマウマ課長は入社してから20年以上、うちの部署一筋で活躍されてきました。当然、この中にもシマウマ課長にお世話になった方はたくさんいると思います」
 
 
ここで周りから拍手が起こった。シマウマ課長は手と頭を横に降っている。
 
幹事「では、シマウマ課長からお言葉ーーをいただく前に、特にお世話になってきた人からの言葉を聞きたいと思います。まず始めに、やきいも君、お願いします!」
 
 
薄々嫌な予感はしていた。しかし、まさか一番手に私の名が挙がってしまうとは。皆の前で話すなんて事前に聞いていないし、当然、何も考えていない。飲み会が始まって約1時間経過し、アルコールが回り始めているため、いつものような計算高いスピーチをできる状態でもない。周りは「面白いこと言えよ!」だの「10分あるからゆっくり喋って良いぞ!」だの囃し立てる。
 
 
「えー、事前になにも聞いていなかったので、なにを話したらいいのかというのもあるんですがーー」
 
社会人経験を重ねてきたからだろうか、こういうときに考えながら話すことに、少しずつ慣れてきた気がする。
 
「私にとってシマウマ課長は、私にとっては、社会人になってはじめての上司でした。話しながら、色々な思い出が思い出されます。私が新入社員の時ーー」
 
 
言葉に詰まることもなく、伝えたい気持ちがスラスラと出てくる。新入社員の頃は、よく言葉のチョイスを間違えて、先輩社員を冷や冷やさせていたが。
 
ちなみに、この時お話ししたのは、私が新入社員の頃にやらかしてしまった大問題についてであり、その失態をシマウマ課長が助けてくれた、というものである。個人的な話なので詳細は控えたいが、本当に、この日のことを思い出すとシマウマ課長には頭が上がらなくなる。
 
「ーーということで、シマウマ課長は私にとっていつまでも心の上司でございます。別の部署に行っても、またご指導をお願いいたします。以上です」
 
頭を下げ、拍手と野次の中、席に戻る。そして、次の指名が続く。
 
私の後の社員も、皆がシマウマ課長の優しくてまっすぐな人柄の素晴らしさを語っていた。一部の人から「もっと悪いことも言えよ!」なんて野次がとんだが、シマウマ課長の場合、それが本当に難しいのである。私が言うのもなんだが、心が澄んでいるというか、悪いことを全く思いつかない清々しさを持っている。そして、シマウマ課長と一緒に仕事をしていると、もっと頑張りたい!と思えるような不思議な魅力を感じるのである。それは、私だけではなく、多くの人が語るところであった。
 
 
 
 
そのあと何名かのスピーチを聞いたあと、シマウマ課長の言葉となる。
 
シマウマ課長「えー、今日はこのような場を設けていただきありがとうございます。正直、今日は皆様からどんな恨みつらみを言われるのかとヒヤヒヤしておりましたが、どなたももったいないような言葉をいただきまして、恐縮しておりますーー」
 
 
・・・・・・正直、シマウマ課長がなにを言っていたのか、ほとんど覚えていない。シマウマ課長の話す姿を見ているうちに、涙が溢れてきたからだ。周りに気づかれぬよう、その拭き取り作業に追われていたのである。
 
ーー
 
スピーチ終了とともに飲み会はお開きとなった。皆がいそいそとトイレに駆け込んだり上着や靴を探している頃合いを見計らって、私はシマウマ課長のところへ向かう。そして、
 
「すみません、先程は失礼しました。でも、本当に、お世話になりました」
 
とだけ、涙ながら伝える。シマウマ課長は笑顔で
 
シマウマ課長「いやいや、ありがとう。でも、毎回会議で聞いているけど、大阪ですごい頑張ってるね」
 
その言葉で、涙がまた溢れた。次の言葉を述べようとしたが、私の泣きっ面に部長が気づき、
 
部長「おい、やきいも、なんでお前泣いてんの?笑」
 
と囃し立てモード。
 
「すみません、本当に、感謝の気持ちだけちゃんと伝えたかったので。これからもよろしくお願いいたします。失礼いたします」
 
と言うだけいって、いそいそと居酒屋を抜け出した(※)。
 
(※)多くの先輩が残っている中、私のような下っ端が勝手に先に帰るのは、普通ご法度である。
 
 
ーー
 
最寄駅で電車に乗り、大阪に戻る新幹線に乗れる品川駅へ向かった。電車に乗っている最中も、涙が止まらなくて困った。周りに悟られぬよう、立ちながら外の景色を見ているのを装ったが、ガラスに反射した乗客と目があってしまい、大変に罰が悪かった。新幹線に乗っている最中も、ボーとしているうちにまた感情がたかぶり、涙が出る始末。
 
 
ーー
 
翌日、金曜日。
 
 
昼休憩中、フリーデスクでたまたま隣になった女性社員(カシスさん)と話す。
 
 
「ーーそういえば、昨日、シマウマ課長の送別会があったんですよ。カシスさんって、シマウマさんご存知ですか?」
 
カシス「シマウマさん?ああ、前に大阪支店にいたのよね」
 
「あ、カシスさんもシマウマさんと接点あったんですね」
 
カシス「まあ、仕事で直接関わることはなかったけど、背が高くて優しい人だったってのはよく覚えてるよ。でも、送別会だったんだね」
 
「そうなんです。そこで情けないことに、昨日、涙が止まらなかったんですよ」
 
カシス「え、シマウマさんが?」
 
「いえ、僕がです」
 
カシス「なんであんたが泣くのよ(笑)普段、無表情なのに」
 
「新入社員の頃に上司だったんですよ。当時はいろいろお世話になりまして」
 
「ふーん。でも、泣くってよっぽどよね。あ、もしかして酒入ると泣き上戸になるの?」
 
「そうかもしれないですね。最近映画とかドラマとか観てても泣くことが多いんですけど、決まって酒を飲んでいるときで…。歳をとると涙脆くなるって言いますが、私もそういう歳なんでしょうか?それともストレス?」
 
カシス「何言ってんのよ、まだそういうこと言うには若いわよ。でも、別に根拠はないけど、歳をとったら涙が出やすくなっていうのはあるんだと思うわよ」
 
「そういうもんですか?」
 
カシス「若いうちは自分が主役で、自分だけの視点で感情も決められてしまうことが多いんだと思うけど、歳をとると、いろんな立場の人の気持ちを想定できるようになるじゃない」
 
「はあ」
 
カシス「取引先の気持ちもそうだし、社内の人もそうだし、何より家族の気持ちなんか、私、ずっと考えているもの。知らないうちにいろんな立場で気持ちの動きを考えるようになると、喜怒哀楽の幅が広がってくるんじゃないの?共感する力がつくっていうのかしらね」
 
「なんだか、深いですね」
 
カシス「・・・深いかしら?でも、シマウマさんの送別会で泣くっていうのは、単純にやきいも君がシマウマさんにお世話になったって気持ちが強かった、ってことじゃないの?」
 
「うーん、そうですね…本当にお世話になりましたからね。あんなに素晴らしい上司に出会えたのは幸せだと思います」
 
カシス「将来部下を持ったときに、そういう風に思ってもらえるように頑張りなさいよ」
 
「そんな日が来るのか……今のように小狡くて怠惰で他者への配慮に欠けているうちは…ダメですね。頑張ります」
 
 
いつか遠い将来自分が部下をもったと想像した時、私の送別会の際に泣いてしまう部下ーーというか、少しでも寂しさを抱いてくれる部下…作れるものだろうか?
 
……正直、自信がないなあ。体当たりでぶつかれば問題視される世の中だしね。というか、そんな関係性を期待すること自体、時代遅れなのかしら?…そうは思いたくないんだけどなあ。
 
 
 
って、今はこんなことで不安になるより、目の前の仕事に向き合うべきですね(笑)シマウマ課長、お世話になりました。成長した姿をお見せできるように、頑張ります!
 
 
 

今年の目標は。

 
 
土曜日。
 

朝。日課となった25分のエクササイズDVDを実施。
 
 
運動後、ブランチを食べ、午後から日本茶の講演会を聞きに行く。
 
特に仕事絡みだったわけでもなく、単なる趣味の一環で参加しただけ。お茶の世界に携わる方々の取り組みを知ることができるということで、興味を持っただけである。実
 
ちなみに、講演の参加者は先着100名だったが、ほぼ満席だった。どんな人が参加していたかというと、調理専門学校に通っている学生が4割くらいだった(開催会場が専門学校だったからだと思われる)。他には、おそらくお茶関係の仕事についている方、飲食店を経営している方、そして日本茶になんとなく興味がある人、といった感じだったと思う。年配の方も多く、真剣に講演をメモする姿が印象的だった。どれだけ人生経験を重ねても、こういう講演会に積極的に参加される姿はとても尊敬。私も、仕事を言い訳にせず、生涯学習を貫いていきたいものである。そのためには、毎日コツコツ努力ですな!
 
 
 
家に帰り、すこしだけ英語の勉強をした後、Amazonプライム・ビデオで『ビリギャル』を観る。有村架純、惚れ惚れするなあ・・・・・・。
 
 
ーー
 
日曜日。
 
この日は家でゴロゴロと過ごす。この日はあえてなにも予定を入れずに、ぐうたら感謝の日としていた(昨日に毎日コツコツ、と誓っていたのだが、すっかり忘れている)。
 
ボーと朝のワイドショーを観て過ごすが、どうも落ち着かない。
 
(…なんかしないとなあ)
 
と思い、部屋をいつもより丁寧に掃除。その流れで、
 
断捨離でもするか)
 
と思うにいたる。なんか、気持ちを新たにできそうだしね。
 
 
早速ゴミ袋の束を持ってきて、部屋の中で捨てられそうな物を探す。
 
(服はそんなに持ってないしなあ。ベッド捨てて敷布団生活にする?でも、断捨離ってそういうことじゃないよなあ…捨てるっていったら…やっぱり、本だよなあ)
 
 

 
今や私の狭い部屋のかなりのスペースを占領しているのは、買いあさってきた本の山だろう。現状、3段本棚×7個分の本がある。これを捨てれば、部屋は一気に広くなるのは間違いない。マラソン大会に参加してたまってしまったタオルやティシャツを捨てるよりも、よっぽど断捨離っぽいではないか(断捨離がなんなのか、正直よくわかってないが)。
 
といっても、これでもだいぶ本は整理してきたのである。学生時代の本のほとんどは実家においてきたし、社会人になってからは、よっぽど読みたい場合を除いて、極力紙の本を買わないようにしてきた。そして、最近では紙の本を買わず、電子書籍で本を買うようになっていた。電子書籍の方がスペースを取らないし、何より私にとっては電子書籍の方が紙よりも読書しやすいのである(その理由を書くと長くなるので割愛)。
 
(ーーあ、じゃあ、これらの本を電子書籍にしたらどうだろう?でも自分でやるとなるといろいろめんどくさそうだしな。…代行サービスとかないかしら?)
 
 
と思い調べてみると、なんといっぱいあるでないの。やっぱり、こういう需要って結構あるんだね。
 
早速、電子書籍代行サービスに登録。本を送るための段ボールを注文。とりあえず段ボールが届いた日に作業に取り掛かろう。
 
 
電子書籍作業がすぐにできないことがわかったので、断捨離作業は中断。コーヒーを淹れ、Amazonプライム・ビデオで『舟を編む』を観賞。辞書づくりのお話に心打たれる。ただ、同時に、主人公が辞書の紙質にこだわっているところで、ムムムっとなる。
 
(わかるよ?紙がいいのはわかるよ?だけどさあ・・・・・・そんなに電子書籍がダメかね?電子書籍には電子書籍の素晴らしさがあるんだからさあ…)
 
と思うのであった。・・・・・・でも、本当に紙で残したい本は、やっぱり紙のままにしようと思った。断捨離の道は険しいね。
 
ーー
 
月曜日。成人の日で祝日。
 
朝起きてからランニング。今日は清々しい青空が広がっており、走っていて気持ちよかった。
 
1月3日から始めたエクササイズDVDは、ほぼ毎日継続している。お陰で、心身ともに前向きになっている(気がする)。合わせてランニング再開。最近、ようやく10km以上走る練習リズムを取り戻し始めてきている。
 
 
さて、走り終わった後、近所のベローチェに行く。この日はピーナッツサンドは注文せず、コーヒーのみでまったり。
 
英語の勉強をしたり、読書をして過ごしながら、ふと
 
今年の目標ーーなんか考えようか)
 
と思い、考える。
 
ここ数日の体験も踏まえ、とりあえず、3つくらい目標ができました。
 
 コツコツでいいから勉強する習慣を身につける。
 (1)去年やりきれなかったTOEICを1年間コツコツ勉強してみよう。
  (2)料理の勉強したいなあ。今読んでいる本がちょうど食に関する本で、影響うけちゃいました。
 
②  物を整理しよう。
  (1)もうすぐ結婚だし、彼女と一緒に住むことを考えたら、早いうちに整理できるに越したことはないだろうしね。特に本!あ、 本を管理するためにパソコン買おうかなあ…?プリンターも気になる。そうか、パソコンを置くデスクも必要だなあ!・・・
 
③   体を引き締めよう
  (1)今年もマラソンを楽しみたいです。今までは走る練習しかしてなかったけど、筋トレもいれながら取り組んだら、もっと安定した走りができるような気がしているんですよね。筋トレしてから、走っているときに肩コリが楽になっている気もするし。
  (2)大河ドラマ『いだてん』の中村勘九郎の身体、みました?鋼の身体って感じがして惚れ惚れしましたねえ。あそこまでとは行かずとも・・・・・・でも、近づきたいなあ。
 
 
 
・・・・・・なんとも頭の悪そうな目標ばっかり(笑)でもまあ、何にもないよりマシでしょう。
 
 
(あ、④ブログをちゃんと定期的に更新する・・・・・・?⑤Amazonプライム・ビデオ中毒からの脱却・・・・・・?)
 
 
まあ、とりあえずいい2019年にしていこう。
 
 
中身のない日記!(毎回か)
 
 
 

「太る」という変化は、私にも起こるらしい

 
 
 
1月2日。実家。夕刻。
 
 
 
「ちょっと、〇〇温泉に行ってくるよ」
 
母「正月だから混んでるよ」
 
「うん、まあいいよ。車貸してよ」
 
母「ーーじゃあ、私も行こうかな。久しぶりだし。無料券あるんだよ」
 
「あ、そうなの?じゃあ、行こうよ」
 
 
というわけで、母とともに、実家から車で5分ほどの場所にある温泉施設へ。
 

昔からある温泉施設。
 
ーー
 
 
温泉に到着。無料券を受付に渡し、男湯へ。母の言っていた通り、脱衣所は人でいっぱい。おそらく、95%は時間を持て余した地元民だろう。 
 
 
服を脱ぎ終え、何気なく体重計に乗る。
 

 
 
(・・・えっ?)
 
体重計には、標準時よりも3kgほど増えている数字が表示。
 
(・・・・・・うそ、こんなに増えてる?)
 
最近運動をしてなかったので、筋肉の増加による体重増でないことは自明であった。最後にフルマラソンに出たのが10月末の金沢マラソン。そのすぐあとに急性食道炎を患い、2週間ほど食事をまともにとれなかった。当然、ジョギングもできなかったのだが、それをきっかけに運動する習慣がすっかり途絶えてしまっていた。食道炎が回復した後も、
 
なあに、走ろうと思えばいつだってまた走れるさ
 
と自分に言い訳を繰り返し、気づけば2ヶ月間、ほとんど走らない日々を過ごした。
 
 
一方で、食事の方は相変わらずムチャクチャな内容。食事量が急激に増えたわけではないが、相変わらずお酒をグイグイ楽しむ日々を過ごしていた。また、昨年の夏頃に近所にできたカフェ『ベローチェ』のピーナッツサンドにハマってしまい、週2ペースで食べていた。(普通の食事に上乗せ)
 

(私は必ず2個セットのものを注文する)
 
 
濃厚なピーナッツクリームと、絶妙に残ったピーナッツの食感は、多くの甘い物好きを虜にするにちがいない。そして、食べ終わった後に何気なくカロリーを確認して愕然となる。だが、「もう二度と食べないんだからね!?」なんて思っても、すでに頭のなかでは次にピーナッツサンドを食べる機会を想像している依存性の高さを有している。…実に恐ろしい食べ物だ。
 
忘年会シーズンも、ためらうことなく出されたものを鯨飲馬食。クリスマス前後もチキンを食べ、ワインを飲みまくった。実家に帰ってからも、寒い寒いと外には出ず、家にこもっていた。そして、出される日々のご馳走をこれまたバクバク飲み食いするーー。
 
 
・・・・・まあ、振り返ってみても、これで太らないわけがない。
 
鏡を見ると、なんだかすっかりあごまわりが丸くなっている。腕は頼りなく細い。足は柔らかいのに無駄に太い。お腹周りには、ズボンの跡がくっきりと残っている。
 
怠惰な生活の成果がわかりやすいほど体に表れている。一人だと気づかないふりができるのに、他の人に裸を見られる場所にくると、どうも自分のたるみが気なってしまうようである(実際はだれも私の裸なんて見ていないのだがな)。
 
 
(・・・・・・ショック)
 
今更ながら、運動する習慣が途絶えると、人間って太りやすくなるんすね。笑
新年早々、生活スタイルを見直す必要性を感じたのであった。
 
 
 
さて、風呂をあがり、家に帰ると、すぐに晩御飯の時間。田舎の晩御飯は早く、我が家では17時を回る前から夕食が始まる。
 
食卓にはおせち料理のほか、刺身にエビチリ、カレーなどが並ぶ。食事をおさえようか悩んだが、実家にいるうちは、食べたい物を食べたかった。
 
(・・・・・・これが最後の贅沢。明日からしっかり運動と食事の節制に努めよう)
 
というわけで、上記のご馳走を大量のビールと日本酒で流し込む。最後の締めには天ぷらラーメン(エビ天が3尾のってる母手製の鶏がらスープの醤油ラーメン)を一気にすする。いやあ、実においしかったです。母ちゃん、ありがとう。
 
 
・・・・・・これが正月じゃろがい!えへらえへら(ベロベロ)。
 
 
ーー
 
 
1月3日の朝。
 
若干胃もたれ気味の中、母が作ってくれたおにぎり2個と高血圧を気にして薄めに仕上げている味噌汁を食べる(減塩はいいんだけど、味噌汁の量が多いんだよなあ・・・)。
 
 
 
朝に飛行機で大阪に戻り、昼前に自宅に到着。家に帰るや否や、収納の奥にしまっていた運動DVDを引っ張り出す。
 
 

(少し前に流行ったエクササイズDVD。新入社員の頃によくやってましたね〜)
 
 
半袖半ズボンに着替え、ホコリかぶった運動マットとダンベルを引っ張り出す。そして、20分間エクササイズを始めた。
 
 
(…きっつ!lこんなにきつかったっけ!?)
 
たった20分なのに、久しぶりにやったら、すごい疲れました…。特に上半身の肩周りがまるで動かなかったです。この日記を書いている最中も、筋肉痛がすごいです。いやはや、自分の身体のなまりっぷりを痛感しました。3年前はこれを平気で2セットやっていた。…今の私では考えられない。
 
でも、やり終えた後は、久しぶりに心地よい達成感を味わうことができたのでした。こいつを毎日やる習慣を身につけよう。さらに、走る習慣を取り戻そう。いくぜ肉体改造!目指せカッコいい30代!
 
 
3日、4日、5日とエクササイズDVDを継続中。いい感じいい感じ!
 
 

 
ーーとか言いながら、運動後、またベローチェに行ってしまう私。やっぱりおいしいんですねえ、これ。
 
まあ、ゆるゆる戻っていけばいいでしょう。幸福感は、体重計では計れないんですから。