田沢湖はそこにあるから(田沢湖マラソン後半)
(本日は美しき辰子姫から)
日曜日。9月17日の朝。
前回記した通り、この日、田沢湖マラソンに参加することになっていた。
父が運転する車で会場に向かう。助手席には母、後ろの席に私が座った。
移動中、私は母が早朝から作ってくれたおにぎりをほおばる。
父「……なんだか天気が悪くなってきたなあ。雨は降ってないけど、風がなあ」
母「風強いねえ。もしかして大会中止になるんじゃないの?」
「……大阪からはるばる秋田に来て、ここで中止になったら、目も当てられないな。もう二度と走りたくないって思うだろうね」
心配性の父、思ったことをすぐ口に出す母。そして、その2つの性格を足し合わせた性格の私。明るい話題はなかなか上らない。
ご存知の通り、今回の連休は、台風が日本列島を直撃した。
(振り返ってみても、実に恐ろしい進路であった)
大会当日の朝、台風は九州から関西に向かっているところであった。大会が行われる田沢湖でも、午後から雨の予報となっていた。
父「まあ、田沢湖マラソンっていっつも天気が悪い印象だけど、中止になったことはあんまりないから大丈夫だよ、たぶん」
「ふーん。そういえば、オヤジは今まで何回くらい田沢湖マラソンに出たんだっけ?」
父「10回くらいか?40歳ごろから60歳になるまで走ったから、まあそれくらいかな」
「ふーん、すごいね。俺はそんなに走れる気がしないよ(本当に)」
母「そんなことより、走り終わった後はどうすんの?どうやって帰るつもり?」
「そうねえ……」
当初の予定としては、翌日の月曜日の朝に飛行機で帰る予定だった。しかし、台風の影響で飛行機が欠航になる可能性が高かった。
「飛行機、無理かもねえ。最悪、火曜日に会社遅刻して帰ろうかな(笑)」
父「それはダメだろ。社会人として」
「いや、別にいいんじゃない?事前に上司に連絡しておけば。たぶん、いいよっていうと思うよ」
母「そういうのは口で『いいよ』って言っても、内心じゃどう思われているかわからんもんだよ。まだ若手なんだから、そういうとこ見られてるんだから。ちゃんと火曜日は出社しな」
「じゃあ、今日走り終わったら新幹線で帰るしかないなあ――」
父「走った後にそれはきついだろ?今日は家に泊まって、明日の朝に新幹線で帰ればいいだろ」
「そうもいかんよ。さっきは冗談で火曜日に出社するって言ったけど、月曜日はどうしても大阪にいなきゃいけないんだ」
母「なんで?」
「月曜日の午後に、どうしても受けなきゃいけない試験があるんだもの」
月曜日の午後2時ごろ、私はとある試験を控えていた。新幹線で帰るとなると、これに間に合うためには日曜日中に大阪に帰る必要があった。言い換えるならば、マラソンを終えた後すぐに新幹線に乗って帰らなければならなかったわけである(もし台風がなければ、月曜日の朝に飛行機で大阪に帰って、悠々と試験に向かう予定だったのだが)。
心から台風を呪った。そして、そもそも、フルマラソンの次の日に試験を入れる過去の自分を呪った。
無事会場に到着。すでに人でにぎわっている。到着したときの天気は曇り。台風の影響が出てきたのか、風が強くなり始めていた。
スタート30分前。ストレッチして体を温める。
「そろそろスタート地点に行こうかな」
母「トイレ行った?」
「さっき行ったよ。見てたじゃん」
父「まあ、ともかく頑張ってこい」
「うん。――あ、田沢湖マラソン経験者として、なにかアドバイスちょうだいよ」
父「アドバイス?……そうだなあ、まあやっぱり35kmを超えたあたりにある坂を甘くみるな、ってことかな」
父が言っているのはこの坂である。
(田沢湖マラソンコース高低図)
フルマラソンには「30kmの壁」というのがある。
前半の疲れやエネルギー不足等によって、30㎞あたりでそれまで蓄積してきた疲れが一気に心身を襲うのである。多くのランナーはそれまでのような身体の自由がきかなくなり、ペースも急激に落ち込む。文字通り、大きな壁としてランナーの前に立ちはだかるわけである。興味深いことに、30kmの壁は、ベテランだろうがアマチュアだろうが容赦なく襲ってくるようである。
この30㎞の壁こそ、あらゆるフルマラソンランナーにとって最大の試練になるわけだが、数多くのドラマが生まれるのもこのポイントであり、ここをどう乗り越えるのかが最大の醍醐味といえよう(多分)。
さて、この田沢湖マラソン、ちょうど35㎞あたりで急激な高低差があるわけである。35㎞と言ったら、30kmの壁に直面し、疲労が限界点を超えるかどうかのタイミング。ここで殺人的な高低差があることがどんな意味を持つかは、私ごときでも走る前から容易に想像できた。
父「――俺はこの坂に負けたんだ」
「?」
父はポツリという。
父「60歳、人生最後のフルマラソンも、この坂でリタイアして……そうだったんだよなあ」
「……」
母「その日は私が運転して家まで帰ったんだよね。リタイアしたような人に運転させるわけにはいかない、ってさ(笑)」
父「――そうだっけ?」
母「そうだよ。忘れたふりしてる」
「……なるほどねえ」
父「ともかく、この坂は辛い。登りがかなり辛いんだが、俺が本当に辛かったのはむしろ下りだな。硬直した足であの急激な下りはかなり響く。まあ、下りは無理せず歩くくらいのペースで走って、最後の平坦道を走りきることだな」
「覚えておくよ」
父「で、お前の目標タイムは?」
「……うーん、まあ、とりあえず4時間きることかしら?」
父「――そうか。まあ頑張れ」
――
3時間半~4時間の位置に並ぶ。周りを見ると、ベテランランナーが集っている。参加者は皆ツワモノに見えた。事実、このマラソン大会は、初出場よりもリピーターが多そうだった。
さて、10時。定刻通りスタート。
◯0〜10km 平均5:30/km
最初は抑え気味かつ一定のペース。しかし、序盤から結構な高低差があるせいか、速度調整が難しい。
(焦るな、とりあえず焦るな)
と心を落ち着かせる。なお、朝に食べたおにぎりがまだ充分に消化されていないようで、お腹が少し張っていた。後半ごろにはエネルギーに代わってくれていることを願う。
◯11〜20km 平均5:20/km
まだまだ余裕。ここあたりから少し加速。しかし、下りが多いせいか、身体が前のめりになり、予定以上にスピードが上がってしまう。
……今振り返っても実に恥ずかしいことだが、この時頭の中で
今日は調子がいい。頑張ればサブ3.5(3時間30分未満)行けるかも
なんて思ったりもした。そして、登りに差し掛かっても勢いよく進み続ける。しかし、この時にはしゃいでいた代償は、後半に容赦なく襲い掛かってくることになる。
◯21〜30km 平均5:25/km
ここまでが前半戦だとするならば、ここからは後半戦。走るコースは街中から田沢湖周辺にシフトする。
(前半が右側をうねうねし、後半から田沢湖を一周するのである)
21~30km地点は多少の起伏はありながらも、比較的平坦な道のりを走ることになる。そして、横には翡翠色に染まる田沢湖が広がっている。心地よいランニングコースと言えよう。
時折景観を楽しみながら、ペースを維持して走る。ここまでとても心地よく走ることができた――ここまでは。
〇31~35km 平均5:50/km
決して起伏が激しいわけでもないのに、脚が重くなる。
(――順当に30㎞の壁か。でもあと10kmで終わってしまうんだ…頑張れる)
ここにたどり着くまでの蓄積していた高低差の疲労がむき出しになり始める。脚はすでに悲鳴を上げていた。また、肩の凝りも気になり始める。だが、気持ち的にはまだ余裕だった。
5分おきくらいで伸びをしながら走りを続ける。しかし、気持ちとは裏腹に、平均ペースはみるみる落ち込んでいった。
35㎞地点、父が言っていたあの坂についにたどり着いた。
〇36~40km 平均6:35/km
(……!きつっ……!!)
この坂、想像以上にきつい。私だけではなく前後を走るほかのランナー達も同様のようで、次々に走ることをやめて歩き始める。
私は意地でも歩かないと心に決めて、走り続ける。ほとんど歩くのとペースが変わらない。だが、疲労はみるみる蓄積される。
(……骨が折れる!筋肉が裂ける!脚がもげる!!あああいい!!)
という気分。
なんとか上り坂を終えたころには、3時間20分を回っていた。ここでおおよそ36㎞地点。残り約6㎞。
(4時間切りを達成するには、残り6分40秒くらいのペースを維持しなきゃ……)
普段ならば6分40秒/kmというのはかなりゆっくりなペースである。しかし、この時の私はこれがかなり厳しく感じた。脚はすでに限界に達しつつある。下り坂に入ると、一歩一歩が上半身の方まで響いた。
父の言葉が脳裏をよぎる。
父「ともかく、この坂は辛い。登りがかなり辛いんだが、俺が本当に辛かったのはむしろ下りだな。硬直した足であの急激な下りはかなり響く。まあ、下りは無理せず歩くくらいのペースで走って、最後の平坦道を走りきることだな」
(親父が言っていたことは正しかった……こりゃかなりやばい……)
後ろのランナーから次々と抜かされる。ベテランランナーはこの坂との戦い方を熟知しているのか、ペースが乱れることなくどんどん先に行く。
一方、私の脚は硬直。
(もう、ダメ……)
ついに止まってしまった。
(初めて止まってしまった……)
この時、膝から崩れ落ちそうになった。だが、そこはなんとか気力で持ち直す。そして、片足ずつゆっくりと10秒ずつ伸びをした。
(まだいける……というか、いかないと親に合わせる顔がない!)
時計を見る。残り5㎞のところで3時間27分を過ぎたあたり。
(6分30秒/kmを守ることだけ。それだけ守って走ろう)
もはや戦略を練る余裕はない。簡単な目標だけを定め、自分のペースをコントロールした。
半分意識を失っているところで、給水所にたどり着く。
給水所にあったレモンを手に取る。口に含むと、酸味が一気に脳みそを刺激し、朦朧としていた意識を覚ます。
(もう、本当にラストなんだから……!)
〇41km~ラスト 平均6:10/km
ここまできたら、あとはもう気力。ゴールに近づくにつれ、応援が多くなってくる。その声を両サイドから受けていると、不思議とペースが上がってくる。もう、ここまで来たら走り切ることのみ。そして。
(父が撮ってくれた写真)
辛うじてゴール。
父「お疲れだったなあ」
母「お疲れだったなあ」
「……うん」
ゴールで待っていた両親が来てくれる。走り終わったあとは、脚が硬直してへたり込んだ。
終わったあと、豚汁と日の丸弁当。しばらくは寒いし気持ち悪い、で、全く食べられなかった。でも、時間が経つと食欲も回復し、一気にかき込んだ。やっぱり、走り終わった後のゴハンは何物にも代えられないうまさがあった。
ゆっくりと完走後の余韻に浸りたかったのだが――
父「じゃあ、そろそろ田沢湖駅に行くぞ」
「……そうね」
上述の通り、ランニング後はすぐに新幹線に乗って大阪に帰らなければならなかった。お楽しみ抽選会も参加することなく、父が運転する車で田沢湖駅に行く。東京経由大阪行きの新幹線乗車券を購入。出発まで30分ほどあったので、駅前の両親と駅前の食堂でラーメンを食べた。
「本当は家で祝いの酒を飲みたかったんだけどなあ。台風を呪うよ」
父「まあ、仕方ないわな」
母「今度はもっと余裕を持ったスケジュールにしな」
というわけで、今回の田沢湖マラソンはあわただしい感じで終わったのであった。まあ、大会が中止にならなかっただけ幸せですね。
最後にタイムですが、
3時間59分50秒台
で、無事に4時間切り達成しました!
振り返ってみても、本当にギリギリでしたね。この執念をもっと仕事に活かしたいと思います(仕事よ、もっと私を追い込んでみろ)
親父よ、今度は一緒に…なんて願うには遅すぎたかもしれない。でも、とりあえずタスキは受け継いだ。そして、毎年実家に帰る口実ができたかな。
おしまい。