未来は役員と僕らの手の中
運命は我々の行為の半分を支配し、他の半分を我々自身にゆだねる。
この夏のある時期、会社で恒例の「異動」が発表された。
会社または組織の中において、担当する職務または役職、勤務地が変わること。『人事異動』とも呼ばれる。
例えば『総合職』として採用された場合、従事する職務や勤務地を特に限定しない包括的な雇用契約が結ばれていることが一般的。職務や勤務地を明確に限定した雇用契約でない限り、会社は原則として自由に人事異動を命じることができる。
コトバンク『異動』より
このような書き方をすると、私自身が異動になったようであるが、私は異動していない(してないのかーい)。ただ、普段、私の日常にかかわっていた人の多くが異動となった。そのため、私が変わらなくても環境の変化が大きかったのである。
さて、異動する人たちを見送る側になったせいか、観察とまでは言わないまでも、異動するたちのふるまいを意識して見ていたような気がする。
彼ら彼女らの反応は、実に個性が反映されているように感じる。まあ、当人からすれば、大きな変化だろうから、人間性が自然と現れるのも当然といえば当然なのかもしれない。
以下、あくまで私が感じた印象を記してみたい。別に何か学術的にのっとって書いたものでもない、単なる私の偏見の羅列である点、ご留意を。
〇異動を喜んでいるように見えるもの
このタイプの反応を示した人たちが一番多かった気がする。振り返ってみると、若い人が多かったような。あとは、今の環境に対する不満を述べている人が中心だったような(笑)
公然と喜びを口にだすものもいれば、表情や声色で感じるものもいた。関係者に電話をかけまくり、異動に対する喜びの感情を共有したがる。送別会でも、次の勤務地の話や決意表明を比較的ポジティブな口調で語っていた。
このタイプは、異動に必要な引継ぎ作業を実に素早くこなしていた。そして、「この日までに引継ぎ作業を終わらせ、次の勤務地に着任します」という意思が強く感じられた。それが後任者をシッカリ思った行動であったかは別で、とにかく決まった期日で終わらせることを最優先にしていたように思う(それが中途半端な状態であれ)。新天地に早くいきたいからだろうか?(それとも今の場所から早く去りたいからだろうか?)。
別に嫌味を言いたいわけではなく、当人の見立てに反し、この方々は転勤先での困難が多くなるような印象を受けた。普段よく話す同僚がこの態度を示すと、少し不安になってしまった。なんでだろ?
まあ、本人の希望通り、うまくいってくれることを願うが。
〇不安を抱くもの
このタイプの反応を示す人は、どちらかというとベテランであまり転勤をしてこなかった人が多かったように思う。
この方々は、新天地に移るための動きが鈍い。引継ぎ作業もじっくりやっている。後任者からすればありがたいだろうが、当の本人の行く末をどこまでまじめに考えているのだろう、と老婆心ながら思った。新天地の話題もよくするのだが、内容はところどころで不安を感じさせるものが多かった(本人はポジティブ、もしくはひょうきんに話しているつもりでも)。
「まあ、この人なら何とかなるんだろう」と思う人もいれば、「この人、病気になるんじゃないかしら……」と、こちらまで心配になる人もいた。どちらかというと後者が多かったかしら(笑)
困ったことに、このタイプが、私に懇意に接してくれた人や、今後深くかかわりそうな人が多いのであった(どういう意味だろう)。
〇淡々としているもの
異動に対してどう思っているのか、よく見えない人。新天地の話題もあまりせず、淡々と引継ぎ作業をこなす。次の場所でも頑張ってください!なんて言葉をかけても、少し笑うか、少し愚痴や不安をこぼす。まあ、いつもと同じ様子の人。送別会では、形式的な挨拶をこなし、感情を表にあまり出さないように済ませていた(ように見えた)。
この方々は、別にベテランばかりだったわけではない。若手の人でも、こういう態度を示す人は何人かいた。
まあ、こういう書き方をすると察しもつくだろうが、異動に対して淡々としているように見える(外部に見せる)人というのは、不安な未来を想像できなかった。もちろん、本人の中では複雑な心境を秘めているのかもしれないが。
いずれにしても、この人だったら、たぶん新しい場所でも今のように淡々と仕事をこなしていくんだろうな、と感じたのであった。
以上。個人的偏見の羅列であった。まあ、サラリーマンである以上、異動は避けられない。私の見立てが正しいか間違っているかどうかは別にして、異動を命じられた人は、それぞれいろいろな思いを抱えていたことだろう。もしも今、自分が異動を命じられたらどういう反応を示すんだろう?
「上が決めたことに応えるのがサラリーマンだ」
「やりたいことをやるのではなく、今やっていることを好きになるんだ」
「仕事は選べないし、仕事を選んではいけない」
こんな言葉が今でもよく目にすることからも、多くのサラリーマンの共通認識として、過度に期待や不安を抱かずに淡々と異動を受け入れたいと思うものではないだろうか(違うかしら?)。
今回の人の異動に対する動きを見て、そうは思っても、やっぱり言動に感情は出てしまうものなんだよなあ、と感じた。
自分が異動の時には、淡々と異動を受け入れたいものだと思ったのであった。
余談だが、異動する人たちを見送る人たちも、結構個性が出るものだと思った。新しく来る人に期待を込めたり、異動の内容に文句をつける人もいたり、次の異動に期待を込める人もいたり、私のように異動する人をじろじろ見る人もいたり――。
異動は人間模様が出て面白いですね。社会人の醍醐味だなあ、と改めて感じたのでした。